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自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

「心をラクに」というのは、「快く安らかに過ごしている状態」という意味で使っている言葉であり、「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

今日も良い記事に出会いました。

この記事には、こんなことが書かれています。

集団的な信念が簡単に狂信に変わる点、異なる信念を持つ者への寛容の姿勢が社会の安定につながる点を繰り返し説きます。そして彼の考えは1つの原則に収れんしていきます。すなわち「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」というものです。誰しも子供の頃に一度は言われたことがあるこの警句は、本書が出自です。そして「この原則に従うならば、人間が他者に向かって、『おまえにとっては信じられないことでも、私が信じていることなら、おまえも信じなければならない。さもなくば、おまえの命はないぞ』などと言えるはずがない」と続くのです。ミッションだ、ビジョンだ、バリューだと言われる昨今、組織運営において私たちは「誰かに何かを信じさせられること」を、強いリーダーの条件だと捉えがちな面があると思います。しかし、組織を1つの行動原理・価値観で塗りつぶさんとする不寛容が、時にどのような不合理と悲劇を生むのかをヴォルテールは教えてくれます。
よく取り上げられる「理念による経営」が間違っているという話ではありません。働く上での動機づけに関しては、ハーズバーグという心理学者が唱えた二要因理論というものがあります。モチベーション要因を、それが足りないと不満をもたらす「衛生要因」と、それが十分だと満足をもたらす「動機づけ要因」に大別する考え方です。これに従えば、理念共有は動機づけ要因であり、寛容性は衛生要因です。理念共有と寛容な姿勢は両立可能なのです。

『君主論』に代表される組織運営の技術論とは、例えば「アクセルを踏めば車は前に進む」というような理屈を教えてくれます。一方、『寛容論』から学ぶべきは、究極的には「その車(組織)で自分(個々の社員)はどこに行くべきか」という問いと向き合う姿勢です。当社でも当然ながら、特定の人物を攻撃しようとする動きは起きます。それを早く察知し、対話や組織変更などを通じて地道に向き合っています。私は、会社とはメンバーが社会で生きていくための生存領域であり社会の縮図だと考えています。その中で、各メンバーに与えられた社会に対する責任とは、「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」という考え方を実践し続けることだと思うのです。

この記事で紹介されている本はこちら。

僕自身も、「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」ということを、教育を受ける中で何度も聞いてきました。

組織の中に存在する規律を守ることは、その組織にいるのであれば1人1人に求められるものである。

それに加えて、社会の縮図として組織が存在するのだから、社会で生きていく上で大切にすべきことも守らなければならない。

それこそ、「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」ということである。

基本的なことだけど、まだまだ自分の言動を突き詰めていけば、そこには改善すべき点がたくさんある。

そう気づかせてくれる内容でした。

例えば、私生活ではこまめな連絡ができるのに、会社の中では上司からの連絡を無視したりする人は少なくありません。

また、無断欠勤をしたり、何も言わずに急に辞めていったりする人も増えてきているという話を聞きます。

そういった行動は、会社に勤める人としての責任を果たしていないことはもちろん、それは同時に、社会に対する責任を果たしていないことでもあるわけです。

無視するとか、約束を守らないとかって、もはや『いじめ』や『嫌がらせ』と同じかもしれませんね。

1人の人間として、自分が勤める会社や、その会社が含まれる社会に対して何をするべきなのか?・・・この問いを自分で立てて、自分で答えを導き、行動に移していける人を増やすだけで、世の中が明るくなる気がします。

「自分がしてほしくないことは他者にもしない」を体現することは当たり前のことかもしれないけど、この当たり前を当たり前にやっている人が少ないからこそ、これを確実にやることが、自分の人生を豊かにしていきます。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。

他のnoteも読んでいただけると嬉しいです。


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