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シウマイ弁当と「価値があるとはどのようなことか」


今朝は、新幹線で出張に出掛けました。
新幹線に乗るのは、いくつになってもワクワクします。

今いるところではない、「どこか遠くへ行くこと」は、いくら世の中を知ってきても、新しい世界にゆく冒険のような気もします。

朝ご飯を食べていなかったので、新幹線の中で、崎陽軒のシウマイ弁当を買いました。

そして、そのシウマイ弁当を食べて、「価値があるとはどのようなことか」を読み始めました。

「価値の普遍性」と「個人の偏好」は、いかにして調和されるのか。これが帯に書かれたキャッチコピーで、本屋さんで思わず買ってしまいました。

この本のなかでは、「価値」について、様々な角度から思考する試みがなされています。

その中には、星の王子さまから読み解く章もあり、新しい視点で、星の王子さまを考えるヒントにもなりました。

私たちは、たくさんの「価値」から、その時折に、選択を続けています。その「価値の選択」は、普遍的な価値に基づくようにみえて、実はかなり個人的な選択だったりします。

喜怒哀楽のような価値観は、誰にとっても共通する普遍的なものでしょう。

しかし、そこに至るまでの選択の数々は、実はかなり個人的なものだったりします。

たとえば、私は今朝、崎陽軒のシウマイ弁当を買いました。無数にある選択肢から、崎陽軒のシウマイ弁当を選んで買いました。

もし、すぐに崎陽軒のシウマイ弁当が、見つからなければ、このお弁当は買っていなかったでしょう。

もし、疲れていて、何もしたくなかったら、お弁当は、買わずにただ新幹線で寝ていたかもしれません。

もし、ラーメンが食べたかったら、新幹線にら乗る前に、どこかのお店で食べていたかもしれません。

こうやって、「もし」を色々とひねくり回して考えると、じぶんの「価値」がいかに曖昧で、いかに流動的で、曖昧模糊なものなのか、考えざるを得ません。

もう少しじっと考えてみると、「価値」を感じるためには、「身体的な健康」があってはじめて成り立つものに思えます。

身もふたもない話ですが、色々な価値をおもい、感じるためには、「元気なからだでいること」がなによりも大切な条件ではないでしょうか?

この本を読み始めて、そんかことを想ったのでした。




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