【ショートショート】SWITCH
●
バイトから帰ってきた俺は、リビングで缶ビールを飲みながら、お笑い番組を大音量で見ていた。
2LDKの部屋には笑い声が響いている。ルームメイトと暮らしてはいるが、一人暮らしのようなものだから気にしないけど。
時刻は、深夜の一時過ぎ。
「ちょっと早いけど、充電するかぁ。暇だし」
ソファから立ち上がると、俺は背中に手をやり、プラグを引っ張った。だらりとのびたコードの先端のプラグは、まるで動物の尻尾のようだ。
部屋の隅では、ルームメイトのチカが充電をしている。
「またお片づけよろしく、チカちゃん」
目を閉じて動かないチカの顔を覗き込むが、もちろん反応なんてない。
チカの隣に座ると、俺は自分のプラグをコンセントへと差し込む。
すると、波が引いていくように次第に意識は遠のいていった。
○
沈んでいた意識に光がさして、ゆっくり海面へと浮上していくような感覚。目を覚ます瞬間、私はいつもほっとする。
安堵したのも束の間。うるさ過ぎるテレビの笑い声が耳に入ってきた。それにお酒臭い。
隣では、ルームメイトのルイが充電をしている。
コンセントから自分のプラグを抜きとると少しだけ引っ張って、シュルシュルとのびたコードを背中に収納した。
「また、ですか」
案の定、テーブルの上はお酒の空き缶だらけで、食べかけのポテトチップスの袋もそのままだ。
時計を見ると、まだ一時過ぎ。早朝というより深夜だ。こんな時間に起こされて、この後始末をしろってこと?
まずは、キッチンのチェック。
シンクの中にはルイの分の洗い物がたまっていて、私は仕方なく洗い物から手をつけることにした。洗い物を片づけ、ひどい有様だったテーブルまで綺麗に拭き終えると、お酒臭いリビングとルイの本体に消臭剤をこれでもかと散布する。
次は、洗面所のチェック。
私の洗濯物はないけど、ルイの洗濯物は何日分もたまっていた。
「もう、本当に無理!」
さすがに、ここまでは干渉したくない。私は家事代行じゃないんだし。
私とルイは一緒に暮らしているけど、その生活自体が被ることはない。
文字通り、ルームをシェアしているだけだ。それでも、ルイの生活が私の生活空間と時間を侵食してくることが、最近は増えてきていた。
異性とのルームシェアは色々な問題もあり、絶対に嫌だったけど、希望するエリアで空いていたSWITCHの物件が、ルイの住む部屋しかなかった。同性のSWITCHの部屋に空きがでたら、すぐにでも引っ越すつもりだったけど、そろそろ我慢の限界かもしれない。
充電中のルイの顔を覗き込み、油性のマジックペンで落書きをした。
「これくらいの権利はあるはずよね」
目を閉じているのに目を見開いたルイの寝顔は、見れば見るほどにおかしくてたまらなかった。さらに顔全体に追加で落書きしているうちに、さっきまでのモヤモヤもだいぶ晴れたような気がする。
その日はカフェのバイトに行って、友達と夕飯を食べてから帰宅。SNSをチェックしたり、本を読んだりしていたら、いつの間にか時刻は朝の五時を過ぎていた。
「そろそろ寝る準備しますか」
シャワーを浴びて、体とプラグをよく拭き、洗濯済みの清潔な服に着がえる。ルイにメモ書きを残してから、私はプラグをコンセントに差し込んだ。
●
柑橘系の良い香りがする。チカのシャンプーの匂いだ。
目を覚ましたばかりの俺は、シャワーを浴びてなかったことを思いだして、洗面所へと直行する。まだ、バスルームには、ほんの数十分前にチカが使った名残があった。
「ちょっ、なんだよ、これ!」
服を脱ぎながらおもむろに鏡を見ると、なんと俺の顔にびっしりと落書きがされていた。チカの仕業だな。
素っ裸のまま、充電中のチカの前へと行き、チカのシャツのボタンに手をかけた。チカは何も知らずにぐっすりと眠っている。その安心しきった寝顔を見て、俺はボタンを外す手を止めた。
「あぁ、もう……」
ボタンを留め直し、シャワーへ戻ろうとしたときに、テーブルの上のメモ書きに気がついた。
『お願い ①充電する時間は朝方にお願いします。 ②部屋は綺麗に使って下さい。 ③洗濯物、そろそろ洗濯したほうがいいですよ。 チカ』
「全然、可愛くねぇ!」
読んだメモ書きをくしゃくしゃに丸めて、俺はゴミ箱へと放り投げた。そのまま紙屑は床に落ちたが、俺は無視して洗面所へと戻った。
○
今日も、ちゃんと目が覚めた。
時計を見ると、朝の四時だった。
「微妙な時間だけど、及第点としますか」
ルイに少しは私の思いが伝わったみたいだ。
立ち上がると部屋中に洗濯物が干されていて、思わず私はその場で固まる。
「さっきのは取り消し!」
窓の外は雨が降っていた。そういえば、天気予報では昨夜から傘マークがついていたっけ。
とはいえ、さすがにこんな部屋で一日を過ごしたくなかった。
「部屋中、生乾きの臭いじゃない。もう……」
不本意だけど、部屋干しされている洗濯物をすべて回収すると、私は近くのコインランドリーへとむかった。まだ、暗い時間だったので、店内には誰もいない。大量のルイの洗濯物を乾燥機に放り込むと、私は乾くまで本を読んで待った。
部屋に帰ると、まだ温かさの残っている洗濯物を片っ端からたたんでいく。ルイのパンツまで、どうして私が。首を突っ込んだのが私からとはいえ、結局、最後までやってしまった。
部屋の隅には、私の書いたメモ書きがくしゃくしゃになって転がっている。
「文字だけじゃ、うまく伝わらないのかもなぁ……。あっ!」
良いアイデアが閃いたかも。
●
「洗濯物が消えた?」
一瞬、チカの怒りを買って、洗濯物をまとめて捨てられたのかと焦った。よく確認してみると、部屋の隅に綺麗にたたんだ状態で置いてあり、ほっとする。
まさか、これはチカが?
テーブルの上には、見たことのないビデオカメラがあって、テレビに接続されていた。カメラには動画が一件保存されていて、再生してみると、テレビの画面にチカの姿が映しだされた。動いているチカの姿を見たのはこれが初めてだった。
『あっ、えっと、チカです』
こんな声でしゃべるんだ、チカ。
部屋の隅には充電中の俺が映っている。こんな顔して寝てるんだ、俺。
『文字だけじゃ伝わらないと思ったので、私物のビデオカメラで動画をとっています。洗濯物、あれ、何ですか? 次に部屋を使う私の気持ちも考えて下さい。充電だって、目覚めてから、三十時間以内にすれば大丈夫なんだし、時間帯を考えて充電して下さい』
顔を真っ赤にして、目線が定まらずにしゃべるチカは、どうやら怒り慣れていないようで、思わず笑ってしまった。
○
今日も、私は私だった。
朝の六時。久しぶりに目覚めのよい朝だった。
「やればできるじゃん」
ルイが私の動画を見てくれたのだろう。リビングも綺麗だ。隣に座るルイに鼻を近づけると、お酒の臭いもしない。というか、この匂いはカレー?
テーブルの上のビデオカメラを確認すると、新しい動画が保存されていた。再生してみると、テレビにルイの姿が映しだされた。
『ヤッホー。ルイです』
こんな声なんだ、ルイ。ってか、ヤッホーって。
『チカさん、細かいご指摘、いつもどうもです。正直、落書きのセンスには目を疑ったけど』
「あれは、あんたが悪い」
『洗濯物の件はありがとう。なんか借りを作ってしまったみたいで』
「借りしかないでしょ」
『なので、カレーを作ってみました。時間ギリギリで、ちょっとやり残しはあるけど、そこはご愛嬌で』
「自分で言うな」
動画を見終えてからキッチンへいくと、大きな鍋にルイの作ったカレーがあり、横のシンク周りはひどい有様だった。
「何だろう、この怒るに怒れない複雑な感情は」
キッチンを片づけて、ご飯を炊いて、ルイが作ってくれたカレーを早速、食べてみることにした。具の大きさもバラバラで、ドロドロとした黒っぽいカレー。なんだか私の知らない知りたくもない隠し味がたくさん入っていそうな色。恐る恐る私はご飯とルーをスプーンですくい、一口食べてみた。
「意外と、美味しい」
不意にでてきた言葉に、私自身もとても驚く。
●○
その日から、チカとの交換動画が日課となった。
『足りないものを伝えるので、補充をお願いします』
『買ったけど、なんか俺に関係ないものまで買わせてない?』
『私の買ったデザート食べたよね? 信じられない!』
『ごめんごめん。すごく美味そうで、その、美味しかったよ』
『朝、起きるたびにすごくほっとするの。私たちって、誰かとSWITCHすることでしか、目を覚ませないでしょ。だから、いつもありがとう』
『時間内に充電しないと、記憶が初期化されて、まったく別人になるっていうしな。まぁ、心配するなよ』
『ちょっと、今ね、気になっている人がいるの』
『へぇ、応援するよ。チカなら大丈夫さ』
最初は、何気ない会話からだったけど、少しずつルイのことを理解できるようになっていった。
●
目を覚ますと、まだ外は暗かった。
時刻は、夜の十一時過ぎ。思わず、隣で充電をしているチカの顔を見た。目は腫れていて、服も着替えていなかった。きっと、何かあったに違いない。
ビデオカメラには、チカからの新しい動画が残されていた。
『見事に振られちゃった。というか、SWITCHが珍しかったんだってさ。ただ遊ばれていただけ。何を期待していたんだろう、私』
散らかりっぱなしの部屋は、まるでチカの心を覗いているようだった。相当、ショックだったんだろうなぁ。
電池切れしたチカのスマホが、テーブルに置きっぱなしになっていた。そのスマホを充電しながら、俺のやるべきことはもう決まっていた。
相手の男の連絡先と居場所を調べるのに、だいぶ時間を消費してしまった。
が、なんとか真夜中の公園にチカを振った男を呼びだした。
「おい、チカに謝れよ!」
背の高い男の襟首につかみかかる。振り払おうとする男に頭を押さえつけられるも、必死に抵抗してしがみついた。
「しつこいんだよ! ちょっと背中のプラグ引っ張っただけで、本気で怒ってきてよ。もうだる過ぎて、バイバイしたんだよ。SWITCHってみんな、あんな感じなの?」
男の無責任な言葉に、さらに俺の両腕に力が入る。
「もう、チカに関わるな!」
「うるせぇな! もう興味ないっての。失せろ!」
男に思いっきり顔面を殴られた俺は、派手に転んだ衝撃でそのまま気を失ってしまった。
体の痛みで、やっと俺は目を覚ました。
もう空は白み始めている。
体が思うように動かない。気を失った後も体のあちこちを蹴られたみたいだし、どうやら充電の残量も足りないみたいだ。
「さすがに、間に合わなさそうだなぁ」
スマホを取りだすと、管理会社へと連絡を入れた。チカとのSWITCHの解消と、チカの新しいルームメイトの補充。ついでに、俺の今いるエリアで充電の空きがないかを駄目元で確認してみたが、間に合わないとのことだった。
最後の最後まで、俺ってやつは計画性がなかったなぁ。
まぁ、いいさ。体が死ぬわけじゃない。俺という人格が消えるだけ。ただ、それだけ。きっと、チカとだって、また、どこかで会えるはずさ。
「充電が切れる瞬間って、どんな感じなんだろうなぁ……」
○
いつもは充電中に夢なんて見ないのに、その日はルイの声がきこえたような気がした。
目が覚めると、少し気持ちはすっきりとしていた。
隣を見ると、知らない女の子が充電をしている。
ルイは引っ越したのかな?
昨夜のことで怒らせちゃったかな?
それなら、ひと言だけでも謝りたかったな。
テーブルの上には、管理会社からのメッセージがあった。ルイからの引っ越し希望があり、新しい同性のルームメイトとSWITCHしたとのことだった。
最初は私が望んでいたことなのに、どうして今、私はこんなにも寂しさを感じているのだろう。
◎
週末に久しぶりに街へとでた。今日はお祭りでもあるのか、街にはたくさんの人が溢れていた。
交差点で信号待ちをしながらふと思う。
この群衆の中に、僕と同じSWITCHはどのくらいいるのだろう?
いたとしても、ぱっと見では区別はつかないんだけど。
信号が青へと変わり、人々が一斉に交差点に流れてくる。
「ルイ」
すれ違いざまに、女性が誰かを呼ぶ声がふときこえた。僕の名前ではないのに、思わず反射的に振り返ってしまった。
交差点に立ち止まり、辺りを見回すと、人波の向こうで一人の女性と目が合った。
「ルイ」
その女性がもう一度、その名前を口にした。どうやら僕にむかって、手を振り笑っているようだ。可愛い女性ではあったけど、見たことのない顔だ。
顔を思いだそうと僕が首をかしげると、その女性は口元を押さえて泣きだした。
週末の街にはとても変わった人もいるみたいだ。
信号が点滅しだして、僕は急いで向こう側へと渡った。
やっぱり、人混みはとても疲れる。用事も済んだんだ。あとは家に帰って……。
「あれっ、なんで」
突然、僕の目から涙があふれだしてきた。まるで、僕の中にあるどこかのスイッチを押されたかのように。
もう一度、振り返って、あの女性を探してみたけど、もうその姿はどこにもなかった。
(了)
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
こちらのショートショートは、2月末の完成を予定しているオリジナルショートショート集に収録する物語です。
このショートショート集は全12編収録予定でして、
新作6編と過去作リマスター6編の構成で、現在鋭意制作中です。
ショートショート集を今現在制作しているとはいえ、どんな物語かもわからない作品集じゃ誰にも届けられないと思い、今回、完成している収録作をnoteにアップさせていただきました。
この物語は、2年以上前に執筆したもので、ショートショート集制作にあたって久しぶりに読み返しました。
その中で、当時よりもクリアな感覚で客観的に読めたこともあり、アイデアとして面白い部分と、もう少し描けるなという部分が見えてきました(やっぱり、原稿を寝かせてからの推敲って大事)。
1000字以上の加筆と細かいニュアンスなどの修正を繰り返し、元々の物語自体は大きく変えずに、リニューアルしました。
もし、今回の物語を気に入ってくださった方は、ぜひ2月末にリリースするショートショート集も楽しみにしていて下さい!
できるだけバラエティに富んだショートショート集にしたいと企んでいます。
今現在は、執筆でヒーヒーいってる真っ只中ですが、1作1作出来上がっていく物語からも力をもらいながら、楽しく制作を進めているところです。
進捗状況につきましては、随時noteでお伝えしていければと思っています。
新作も仕上がったら、こちらで先行公開しようかなと。
現場からは以上です。
そるとばたあ、でした!
文章や物語ならではの、エンターテインメントに挑戦しています! 読んだ方をとにかくワクワクさせる言葉や、表現を探しています!