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『ナイルパーチの女子会』読後に

柚木麻子さんの本は、以前に紹介した『BUTTER』が初めてでした。

今回の本は、noteで複数の方が高評価なレビューをされていたので、どんなものかなと手に取ってみました。

『ナイルパーチの女子会』- 著者: 柚木麻子さん


想定外のスピード感

主な登場人物は、友達が欲しいと思っている2人の同い年の女性。それぞれの視点で1章ずつ進むテンポの良さと清々しさに乗じて安穏と読んでいたら、、、あれれ、いつの間にかどんどんおかしくなっていって、、、

まだ本の1/3にも満たないよ?こんなに残ってるのにこんな壮絶な拗れ方で大丈夫なの??って先の構成が心配になるほど、急ピッチで衝撃的な運びでした。

内包されたとんでもない衝動性と攻撃性が発動して周囲を巻き込み、どんどんメンタルも周囲も翻弄し暴走していく登場人物の不安定さと、常軌を逸した行動に戦慄。でも、出てくる人たち皆どこかしら何かを拗らせていたなとも思ったり。

最後まで読んでそれぞれに育まれたベースを知った上で改めて行動や思考を追ってみると、ある程度の了解はできる。ああ、このマインドセットだからこそ、あの時あんな選択をしてしまったのか、というように。

相当エキセントリックなキャラ設定だったので、全てに親和性のある人はさすがに稀有な気がしますが、もしかしたら誰の心の中にでも実は、彼女たちに似た要素が少しずつ見つかるかも知れません。

しかし、もしもこの主人公2人が、例えば河合隼雄さんのこんな本を読んでいたら、どんな物語になっていたかなあ。

「好き」と「執着」と「依存」と

さて、そう言えば以前に友達と、「好き」と「執着」や「依存」の区別って何だろうね、という話になったことを、今回の読後に思い出しました。

私は「執着」とか「依存」という言葉には基本的にネガティブなイメージしか無かったので、「好き」から区別し出来るだけ除外しなくてはならない物だとどこかで思っていたけれど。その友達は、「好きな気持ちには執着と依存が入っててもおかしくないんじゃないかな」と言っていました。

考えてみると、なるほど確かに。ある「好き」の対象が存在するということは、その時点で必然的にその他不特定多数と何らかの一線を画した区別があるということ。だから、その対象は確実に自分にとっては特別な存在なわけです。

好意的な気持ちの中に一定以上の特別感、言ってみれば「執着」や「依存」的な要素があるからこそ、特定の誰かや何かに対してむしろポジティブな意味合いを兼ね備えた「好き」に昇華させることもできるんでしょう。例えば、「この子のためならぜひ助けになりたい」「あの人がいるから頑張れる」のように。

重要なのは、そのバランス。「好き」の対象に向けては「執着」も「依存」も含まれるというのは分かった。でも、その割合がおかしくなると、途端に熱量がアンバランスになり、自分か対象のどちらか、もしくは双方にとって、大きな負担になってしまい得る。

怖いのは、例え自分ではバランスが良いと思っていても、相手にとってそうでなければ、その時点で既に健全な関係が維持できているとは言えないってこと。独りよがりな好意や、対象の過剰な理想化は、どんなにポジティブなつもりでも、相手にとってはむしろ重荷、煩わしさ、もっと進めば恐怖や嫌悪なんかを生じ得る。

相手があることだから、人との関係性は例え理想があったとしても不確定要素だらけ。「友達」自体は実際のところ「作る」ものではなく、気付いたらそこに「できる」「できている」ものだったりする。案外ひょっこりできることもあるし、欲しくてもなかなかできないこともあるけれど。

友達だの親友だのっていう概念は、よくよく考えるほど色んな形や度合いがあるものだと改めて思いました。運的な要素も大きいし、掴みどころのない側面がある。

友達との出会いのきっかけを作るためには能動的に行動する必要がある場面もあるけれど、きっかけがどうあれ、その後は結局自分と相手との化学反応のようなものが、暫くしてから覗いてみたらたまたまうまい具合に結晶化していた、みたいな、ある意味受動的なプロセスの要素が多くを占める気がします。

いや、友達だけじゃないな。その関係性(友達、家族、恋人、などなど)が何であれ、互いにとって程よいバランスの、良い意味での「執着」と「依存」を含んだ「好き」がうまい具合に作用し合った時に、人は充足感や安心感を得て、相手と信頼し合うことができるのかも知れません。

巷で言うストーカーだとか毒親だとかの関係性は、そのバランスが崩れた極端な例なのでしょう。でも、そこまでのラベルは付かないケースでも、人と人との関係性にアンバランスさが生じていないかどうかは、折に触れて出来るだけ冷静に意識して見直しながら生きていく必要があるんだろうな。

なぜなら、当の本人たち(本書でも)は大抵の場合、バランスがおかしいことに無自覚だから。そんな思考に陥ってしまう可能性は、実は誰にでもあるのかも知れないと思うと、空恐ろしい気持ちにすらなる。

私は大丈夫かなあ。もしかしたら誰かに迷惑や負担ばかりかけてないかなあ。と、ちょっと心配になってきそうなので、とりあえずそろそろ一旦書くのやめよう笑。

自分ではけっこうめんどくさい性格だなぁと思っている節もあるのだけど、こんな私と長らく友達でいてくれる人たちにはもう感謝しかないです。

おまけ

本書には珍しいお魚が登場します。ビジュアルの描写もありますが、私の拙い想像力ではどんなものかイマイチ不鮮明だったので、写真を探してみました。ではいきます!

ナイルパーチ(Lates niloticus)

アカメ科に属する魚類アフリカ大陸熱帯域の塩湖、汽水域に生息する。全長193cm、体重100kgの記録がある大型の淡水魚として、現地では商業上重要な食用魚であり、多くがヨーロッパ日本に輸出される。観賞魚としても人気が高い。

Wikipediaより

淡水魚で体長190cm以上の体重100kg超えってどんなよ…。

Wikipediaより

ほうほう、こんなか。大きさがイマイチこの写真じゃわからないな。案外本で読んだイメージより小ぶりなのかな?なんて思って見たら…

Wikipediaより

ぎゃあああ!!…でかっ!!

いやあ、やっぱり頭で想像はしても、実際の写真はまさに一目瞭然だなぁ。写真でこの衝撃なんだから、実物はもっとすごい迫力がありそう。

オヒョウ(Halibut)

カレイ目カレイ科オヒョウ属の海水魚であり、形状や生態はヒラメに似ているものの1mを超える大型のカレイの仲間である。

Wikipediaより

へー、オヒョウはカレイの仲間の海水魚なのね。カレイで巨大ってどういう感じなのかなぁ。

Wikipediaより

ふむふむ。全体像はこんな感じね。まあカレイって言われたらもうカレイよね。で、大きさは…?さすがにナイルパーチほどは…

USA Today’s FTWより

…うひょう!!!!!でかっ…!!!!!

これが、あんな感じやこんな感じになって、私たち実はどこかで普通に食べてるのね…!(詳細は本書をぜひ読んでみてください)

さて、実際に日本で生きたナイルパーチが見られる場所として本書に出てきた水族館は、どうやら架空の場所のようです。じゃあ日本で実在するのはどこかな?と調べてみたら、ここなら確実にいそう。

世界淡水魚園水族館 アクア・トトぎふ

ホームページを見てみたら、他にも何ともマニアックな雰囲気のお魚がたくさん!これは、いつか行ってみたいかも。


あっという間に年の瀬ですが、体調に気を付けていきましょう!

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