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BTSは1ミリも出てこない『BUTTER』の話

いつまで経ってもつい「ブッター」って頭の中で一瞬読んじゃうけど、「バター」なのよね。「Wednesday」が「ウェンズデー」ってのが永遠に納得できない感じと少し似ている。いや、「Wednesday」が格上か。「ウェドネスデー」でしょあなた絶対。
と、そんなことは置いといて。比較的分厚目の文庫が入り用だったので読んでみました。

『BUTTER』- 著者:柚木麻子さん

思った以上にバター三昧

何の変哲もない固有名詞がタイトルになっている小説というのは、ストーリーの中でふとした時にそのものが出てきて、登場人物なり情景なりに印象的な一場面をスッと提供してさりげなくタイトルにされている印象がある。少なくとも私がこれまで読んだことのある作品ではそうだった。aikoの「カブトムシ」だってそうでしょう?歌だけど。

はぁ〜懐かしい!と、いきなりの脱線。戻ろう戻ろう。

でも本作は、びっくりするほど最初っから最後までバター。バター!バター!!
バターでゲシュタルト崩壊を起こしそうなぐらい、と言ったら明らかに盛りすぎだけど、比喩でも暗示でもなくバターそのものが随所に登場していて、ある意味新鮮でした。

作中の料理がどうしても食べたくなる

この物語、ある理由からバター料理がたくさん出てくるのだけれど、何かを食べるシーンがどれも良質な食べ物番組の食レポ並みのレベルで表現されていて。挿絵も写真も無いのに、無茶苦茶食欲をそそられました。
あの天下のエシレバターをこんな雑かつある意味贅沢な使い方で!?の衝撃から始まり、飯テロの嵐。

極め付けは、バターをたっぷり染み込ませた焼き立ての七面鳥。ターキー。某有名ネズミさんの国で食べられる骨付きのスモークターキーなら分かるけど、本式の詰め物とかして焼いちゃう七面鳥って、こうやって作るんだ!?しかもどんだけ美味しそうなの…!!という、思い出しただけでも別腹が出来そうな食レポ(違う)でした。

現代を女性として生きること

この作品、実は実在の事件がかなり細部の設定までモチーフとなっているようで、分かる人には冒頭からすぐ気付かれたようです。現実の当事者や関係者も大勢存在する、比較的最近の実在の事件をベースに第三者がフィクションを書くということは、すごく大胆なことだと思います。関係者からすれば、事実を曲解されかねないという危惧もあるかも知れません。(私は実際の事件については全く何も知らないし、こういった試み自体に対しての是非はこの場では言及できません。というか超門外漢すぎて何も言えない…!)

なので単純に、そうまでして著者が表現したかったことは何なんだろうと推測するに、現代(の日本)に女性として生きるというのはどういうことかを、どうにかしてキャッチーに、かつ、多様な観点から示したかったのかも知れない、と思いました。(違うかもだけど。)

「女性はこうあるべき」「男性はこういうものだからこれは女性が努力するべき」「何かミスをした人に対しては皆で攻撃して良い」「攻撃の内容は、本質とは関係のない容姿や経歴などがターゲットでも構わない」
呪いって色々ある。

幼少期からミドルエイジと言われる年代になるまで(もちろんそれから先も)、女性ひとりひとりのステータスやライフイベントはそれぞれ多種多様なのに、どうしてどのフェーズでも、どうでもいいことで批判されたり評価されたりしなきゃいけないのか。さらにはなぜ、それが当たり前だと「わきまえた」女性からの辛辣な批判まで受けないとならないのか。

そんな理不尽な出来事、ヘラヘラっと笑って流す(それが正解だとされてきたし)ようにしてきた事が、いつのまにか心の澱になってしまっているような状態。そういうものにぶち当たる現場の心境を、小説の力で現そう、と作られたお話なんじゃないかな、と感じました。(違うかもだけど。)

ストーリーの好き嫌いはともかく、主役の里佳とその親友の玲子が、もしも叶姉妹と対談していたら、もっと世の中気楽に捉えられていたのかも、と妄想してみたり。

こってりした設定と話だったから、今度はちょっとさっぱり目の本が読みたいなと思いました。バターの対極であっさりといったら何だろう。。。
…豆腐とか?

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