藤水隼

藤水隼

最近の記事

  • 固定された記事

春をつくる日

「水族館を水で浸して、いっそのこと、水族館そのものを水槽にしちゃえばいいのにね、それでたくさんの人が溺れ死んでも、間違ってはいない気がするんだよ」 女の子は言った。 全人類の哀しみを湛え、 それが水面上には決して表れないような微笑を浮かべて。 「じゃあ、地球も水で浸して、いっそのこと、地球そのものを海にしちゃえばいいのかもね、それで人類が全員溺れ死んでも、間違いではない気がする」 ぼくが言った。 ぼく一人の哀しみを、 あたかも全人類の代表であるかのように水面上に表して。

    • ぬくみ

      スマートフォンの充電が二十パーセントを切り そこからさらに加速度的に減っていくのを見ていると 思うのだ 自分の命も このまま静かに終わっていってくれないだろうかと 手のひらのなかで熱を帯びてくると まるでこの科学の結晶のなかにも 血が流れているみたいにあたたかい 今日も誰かが不倫をしていることだろう それは大層いけないことだろう だが ぼくのこの血がどこにも行けず 体の中に留まっていることのほうが よほどいけないことのように思える 爆発しよう 飛び散ろう 血の雨のぬくみ

      • まぼろし

        ずっと幻のなかで生きてきた これからもずっと幻のなかだろう そよ風だけが ぼくの友だち

        • 春先

          ゆれ動いてよいのです 幻となって消えてもよいのです あなたのその体は透き通り 誰にも見つけられない胸の疼きだけが 一枚の萎びた花びらとなってこびりついている 消えてもよいのです 泣いてもよいのです 春の光が 心を気持ちよく通りすぎてゆくように そんなふうに透明になれるなら そこにいるだけで 皮膚があるだけで 傷んでいるだけでよいのです あなただけのやさしさが 小さいけれどつよいつよいやさしさが きっと そのガラスの破片のような胸にあるのですから

        • 固定された記事

        春をつくる日

          【掌編】廃墟座

           コーラの空き缶を捨てる場所を探していた。空き缶にも適切な捨て場所があるんじゃないかと思ったからだ。といっても、なにも今日突然そう思いついたわけじゃない。かねてから俺は、公園のゴミ箱やホームの下に、泥で汚れたり潰されたりして捨てられている空き缶を見ては、なんだかわけもなく感傷的な気分になったものだった。憐れみ? どうだろうな。そういう尊大な感情では空き缶に対して失礼だろう。もっとこう、シンパシーみたいなものだろうか。それで、今日はたまたま気分が向いたから――つまり暗い地割れの

          【掌編】廃墟座

          【掌編】鏡迫

          〈だってさ、知らなかったんだ〉と鏡のなかの僕は言った。〈イチゴが苦手だなんて。てっきり僕は、女の子なら誰でもイチゴが好きだと思ってたんだよ。高を括ってたんだね。まったく油断した。もっとちゃんと調べておけばよかったよ〉  彼は悔しそうに、でも幸福そうに顔を歪めた。カップにそそいだコーヒーをすすり、小皿に盛ったマシュマロをひとつつまんで口に放り入れた。香ばしい湯気がこちらの鼻先まで届いた。 〈女の子は謎めいてるねえ。ま、それがいいんだけどね〉 「君はいつも楽しそうだね」僕は鼻で息

          【掌編】鏡迫

          時間はいつになったら凍りつくと 新しい空気の層の底で 繰り返し繰り返し ぼやいた いや ぼやいてなんて なかったのかもしれない すべて記憶違いなのかも それでも 凍りついてほしいという 願いのつぶてが わたしの小腸を疾駆し とめどない滅びの校歌を歌う また咲きましたね また白く 赤く 生命におめかしをするのですね 赤ん坊の手のひらみたいに 新しい時間のほころびを 冴え冴えと鮮やかに導くのなら いちどわたしを適切に つぶしておくれ こなごなの 破片にしておくれ わたしの泣

          春一番

          遠い遠い 果ての舞台 この世のどこにも ないところ 夢見ていたのは 冷たい道路があったから 本当は 気づいていた 自分のいる この場所が この世のどこにもないところ つまりはそれが夢の十字路 吹き飛ばせ 吹き飛ばせ 私のすべての 思惑を そうして戻ってこい 涙とともに私の温度よ

          雪模様

          死体がしくしく泣いていました 粉雪は大地をなぐさめ 冷気が記憶の末尾を凍結しています 彼女の血管 そこを幾たびも 親しい輪廻の脈動が ここだよ、と笹舟の揺らめきを見せ 揺蕩っている 街角の希望売りは こことはなんの縁もなく すべすべしたほっぺを明かりに潤ませ ろうそくの火を ろうそくに移している 死体がしくしく泣いています 茫とした土の広がり 吐息 小石 影 ららら 彼女はもう「彼女」でもない はるか空の遠く 白く真っ平らな空 銀色のスプーンでその一部をすくい 飲み下したい

          星空

          思い出がひとつ増えるたび 夜空にひとつ星を浮かべる それらを繋ぎ合わせて星座をつくろう よい思い出だけにしよう 素敵な思い出だけでつくられた星座たち 僕は遠い遠い空の下 丘の上に寝ころび 星空を眺め 静かに息をし 目に涙をためて きれいな白い骨になって死んでゆきたい

          落ちる

          はらはらと枯れ葉落ち はらはらと涙落ち はらはらとある思いが落ちる なにが落ちたのかわからぬままに 都会の雑踏はドミノ 最初の冷酷な一撃はどこから 「さあ」「そして」「だから」「けれど」 道は続く 音に乗って 音に乗って 誰かが死ぬ ああ 渋谷の交差点の真ん中にひとつ 墓を建てよう そこに花を手向け 手を合わせよう 誰の? 誰の墓? ああ 空が青い はらはらと枯れ葉落ち はらはらと涙落ち はらはらとある思いが落ちる 私は布団のなかで丸くなって眠る

          初秋の風

          ねえ、と言った彼女の口角 よお、と言った彼のまなざし どこへ行った 遠い遠い十代の光のつぶ 散乱したそれらは いまになってあのころの暗闇を無下にして輝く 教室は夢のなかでシャボン玉 焦慮があった 怒りがあった 握るしかない拳の吐息があった 影はいつもベンチの下で泣いていた 私はいまそこに座り 溶け出したアイスクリームのごとく 陽を受ける きらきらと私は輝いている が、真に輝いているのは太陽のほうだ いまはいまで幸せがある 素直に幸せと呼びたくないときがあるだけで 知らない人た

          初秋の風