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言葉ってなんだ

『言葉』ってなんだろう
モヤモヤしたので書き出し自分なりに考察。


普段僕たちは『言葉』を使って他者とのコミュニケーションを取るし、状況の整理をする。
日本で生まれ育った僕の『言葉』は『日本語』だ。

中学校で英語の授業があったときに
「 I see 」という「あいづち」の言葉を知り、

「なんだ、外国人も『受け流し』たり『あいずち』を打ってごまかすんだ。」
と何故か安心した記憶がある。

興味があれば「 I like this  」のはずだ。

「なるほどぉ」「そーなんですね」は
あやふやな日本人の専売特許だと思っていたけれど、
外国人だってあやふやになる事はあるのだ。


『言葉』が場所を確定する

僕は地球にいて、アジア大陸の、日本にいて、関東地方の、東京都の、、、(そこからは自粛)

ほら、『言葉』って怖いでしょ?
喋ってるうちに正確な現在地や住所まで伝えることができる。

僕は今コンクリートの上にいて、近くには白い色のビルと、電信柱が8本見える。
赤と白と黒の3台の車が止まっている横に腰掛けているだけなのに、住所を言えば場所が伝わる。
これってすごくない?

言葉がなかったら『居場所』は伝えられない。


「どこか別の場所に行きたい」

それは「東京」じゃなくて「大阪」かも知れないし、
「日本」じゃなくて「ハワイ」かも知れない。

でも「東京」と「ハワイ」って何が違うんだろう

空気があって、水もあって、土もあるし、地球にある。

極端に言えば、
「ここは東京です」って言われれば、「東京」だし、
「ここはハワイです」って言われれば、「ハワイ」なんじゃないだろうか。

道を歩いていて、標識や電信柱の住所を見て気づくことがある。

「あ、ここもう千葉じゃん」

「東京」と「千葉」の差はなんだろう。
その標識を発見せずにどんどん歩いていたら、

「きょう僕は東京を散歩しました」

って思っていたし、なんの害もなかったと思う


『言葉』は柵みたいなもの

「ここは東京です」というくくり。

「男と女」というくくり。

「昼と夜」というくくり。

言葉は何かの範囲を区別する柵みたいなものだ。

人間は初めて見たものに名前をつける。
名前をつけて『柵』の中にいれる
そして、手に入れたような、管理できているような錯覚に陥る。

「これはコーヒーです」
「なんだ、コーヒーか。」

でもコーヒーがどうしてコーヒーなのか
何から何までがコーヒーなのか、
僕は知らない。

僕はコーヒーを理解しているのではなく、
コーヒーという「名前」を理解しているのかも知れない。

名前でわかった気になっちゃいけない。

名前のないものに目を凝らして
自分の触ったものを信じてみても良いと思う。

「ぼくは、わきたかしです。」
「なんだ、わきたかしか。」

「わきたかしです。でもそれは僕の『柵』の名前です」

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