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せかいの車窓から

 いまはまだお昼前。娘と、電車に乗っている。  行き先は美術館。もうまもなく終わってしまうある展示を、わたしがどうしても見たくて、娘を誘ってみたら行くというので、一緒に出かけることにした。娘は小学生だが美術館は好きで、ひとり黙々と作品を見つめては納得したりじっと動かなくなっていたりしているので、わたしも遠慮なく誘えるというのがある。  最寄り駅から上り電車に乗ると、途中、田園風景が広がる区間がある。私はそれを全力で眺めるのが好きで、さまざまな季節、さまざまな気候ごとの、田ん

    • ポエム・ザ・ひとり

      ほんとうのなまえなんていわないままたのしいね、そんなのあたりまえだよ、きいたってわすれちゃう、うそのなまえでよんじゃうもんね、ただただたのしくてほんとうによかったね、ただただたのしくてあーほんとによくて かんがえてないでかんじなよそんなかんがえてないでかんじなよ、かんじかたはひとそれぞれだからねひとのかんじかたなんかしったことではないよ、はなしきいてくれてうれしいだけどわかったふりしないでね、はなしきいてくれてうれしいだけどそんなちかよらないでね、はなしきいてくれてうれしい

      • わたし以外わたしじゃないことのざんこくと、

         今週は本当に疲れ果てた。 私以外私じゃないこと由来の様々な問題が子供に起こって、彼自身それを痛いほど思い知っただろうし、私もまた、さいきん私に起こった似非色恋些事を重ねて、他者のわからなさ、について深く考えた一週間だった。  他人はわからない、という共通認識ならば、私たちはきっと皆ある程度もっているけれど、だからと言ってそのわからなさを、すんなり受け入れたり理解することはなかなかできるものではない。  興味のないひとや、嫌いなひとについては、わからなくてもいいやどうせあい

        • このお話は完全なるフィクションです。  中野良太は焼き肉屋のこどもであった。こどもといってももう高校三年生だった。そのころ、石田奏子は中野良太を知らなかった。石田奏子は、中野良太とは、同じ地区にあるが違う高校に通っていたのである。  ところが二人は、高校を卒業した後、共通の友人aを介して出会った。ともにお互いの高校や住まいや共通の友人や今の仕事や兄弟姉妹の有無くらいまでは、普通にしゃべった。お互い特段の興味を抱いたわけではなかったが、その興味の度合いとまさに同じ程度に、お互

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          おとこのひとの知らない

          その壱  上石神井の古いコンクリートのアパートだった。 黒い短髪、シベリアンハスキーを思わせる色のカラーコンタクト、 ネメスのデニムとシャツ、玄関にはマーチンのブーツ。アキさん、と言ってもあき竹城ではない、のは、当たり前であるが、アキさんに振られたばかりのAのこのアパートで、なぜ私は今、Aとともに茹でたそうめんを食べているのか、ひどく謎であった。  普段から、○○ちゃん、と私の苗字でAは私を呼んだ。高校時代からそうだった。全然仲良くはなかった。友達だったけど、なんかパンクに

          おとこのひとの知らない

          ママの声泣いてるみたいでむかつく

           土曜の夜、仕事を終え帰宅したとき、家族はみな夕食を食べ終えていた。 夫は、夕方、仕事中の私にLINEを送ってきて、「夜は○○のもつ鍋ということにしたい」と、千葉雅也が「これを言語の非意味的形態と呼びたい」と言うときみたいな言い回しで伝えてきて、そのあと「買ってきた」と言うわけで、夜ご飯にもつ鍋が用意されていることはわかっていて、疲れてはいたけれども、私は機嫌が良かった。  食べ始めて、ビールを飲み始めると、いつものように娘は私のそばにやってきて話を始めた。最近、彼女が描い

          ママの声泣いてるみたいでむかつく

          きらいのはじまり

          「あっ、クッキーとか、買ってくればよかったね」 真夜中に、裸で抱き合っているときにおなかが鳴ったとて、そんなこと言う人、それまで一人も知らなかった。 「何か買ってきておけばよかったね、サンドイッチとか」ではなくて、深夜2時も回って、それもこんなに汗だくで夢中で、小さな夜の片隅に閉じこもって溺れかけているのに、クッキーだなんて。 夜のはじまりに、例えば明るいコンビニで、私のためにクッキーを選ぶとか、そんなことをこのひとが、飄々として、限定的な人にしか心開かなそうなこのひとが、わ

          きらいのはじまり

          純粋、じぶんなりの

          歩いている影                                                    シェイクスピアが「消えろ消えろつかの間の灯、人生は歩いている影に過ぎぬ」と書いているのを知ったのは18歳の時だった。私はまだ若かったが、幼い頃からとっくに知っていたことを、明確に言葉にして改めて知らしめられたように感じたものだった。心がぎゅっとする程度に新鮮、だけどとっくに知っている、とそんな気がした。おそらく、多くの人はこのフレーズに納得し、慰められ、あるい

          純粋、じぶんなりの

          さいきんのこと

          抱きしめてTONIGHT さいきん、と言っても細菌ではない。最近のことより細菌のはなしができたほうがほんとは面白い。だけど私に細菌の話はできない。だから最近のはなし。 母の日に泣き散らかした。 夫は5月のその日、母の日を祝うための昼食会を、隣の市の蕎麦屋にて計画した。私には何の相談もなくそれは決まっていて、明日行くから、と、土曜日の勤務中に夫から連絡が来た。え、明日、と思ったけれども、私の母と叔母に対して行う母の日祝いであるから、相談もなしに急に決めないでほしかった、とかの

          さいきんのこと