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せかいの車窓から

 いまはまだお昼前。娘と、電車に乗っている。
 行き先は美術館。もうまもなく終わってしまうある展示を、わたしがどうしても見たくて、娘を誘ってみたら行くというので、一緒に出かけることにした。娘は小学生だが美術館は好きで、ひとり黙々と作品を見つめては納得したりじっと動かなくなっていたりしているので、わたしも遠慮なく誘えるというのがある。

 最寄り駅から上り電車に乗ると、途中、田園風景が広がる区間がある。私はそれを全力で眺めるのが好きで、さまざまな季節、さまざまな気候ごとの、田んぼと民家といくつかの店舗、その向こうの山とも言えないような低い山とか、その山の木々のたぶん枝や葉の集まりが、それ自体と空との境目に作る、波状とも鋸歯状とも言えないような複雑な線のすぐ上から残りの余白すべてに向かって広がる空、とかの、そういうわたしに見えてるぜんたいが、車窓の四角にいくつも並んで切り取られてそこにある、その見え方というか在り方というか、感じさせるなにか、そういうのを超自分勝手に感じまくる、という、もはや性癖ともいうべき習慣がしみついている。

 さっきも私はそれをしていて、ふと娘に「すごく都会に住んでるひととかってさ、こういう景色見て、あーのんびりしていてのどかでいいなあ、とかって思うかな」と話しかけた。そしてすぐ「でもさあ、べつにのんびりもしてなければのどかでもないよね実際。仕事して家事して育児してあれこればたばたしてごだごたしてしがらんでるしさ。子供だっていろいろ忙しいしさ、都会の喧騒のなかでだって同じことだよ、てかむしろそっちの方がシンプルなとこあるかも知れないよな、いまどき。」と独り言で自分のことばを引き取って、引き続き景色を眺めようとした。
 すると娘が「ここは田舎だけど、うわあ、いなか!ってわけじゃないよ、そういう、あーいいなぁ、こういう田舎って♡ってしみじみするようないわゆる田舎ではないよ。たとえばみんながみんな黄ばんだ歯をして、一緒に飯でも食うっぺよとか言って、釜で米炊いてるわけじゃないし、イオンがあるのは田舎とか言うけどそんなのあってもなくてもさ、そういう古き良きみたいなものはもうほとんどどこにもないっていうか、田舎だからどうとかじゃないっていうか」なんて言うので、驚いた。距離の移動とか、空間の移動で、ひとの世界って変わると思うんだけど、まあだからこうして私も、自分が何か出かける時にそれを子どもにも見せようとするのだけど、たしかにどこにいても、のんびりものどかもせかせかもあるしねえ。

 と、ここまで合間合間で書いて、いま、わたしは東京都現代美術館にいる。午後3時を過ぎたくらいかも知れないけど確認はしていない。はっきり言って、いまこの時はさいこうです。どんよりとした空が、階段の向こうの窓から見える。かすみ具合から言って、雨は降り出している模様。人たちが皆しずかに、あいだをあけて、右手にある3階展示室からの階段を降りてくる。左手にある、まだ見ていない展示室の大きな入り口の向こうが薄暗い。白灰色の空が合間から見える高い天井の下で、奥行きのあるこげちゃ色のベンチに深く座り壁にもたれて、となりでずっと天井見てる娘とふたりで、ぼーっとしている。

 帰ろうとした頃には、外は雷雨で、折り畳みの日傘兼雨傘を2本持っていたものの、ここから清澄白河まで歩けばびしょ濡れは確定だった。ぬれるよ?いいね?と娘に言うといいよーと楽しそうで、意を決して扉の外に出れば早速、雨だれがいちばんたくさん集まって落ちてくる屋根の下に行って、にやにやしている。ちゃんと傘さしてねと言うとはーいと言うけれど、足取りはかなりうきうきしている。このひとは幼い頃から風雨が大好きで、傘もなしで庭に出て雨に打たれたりしてゲラゲラと笑う幼児だった。
 2人で土砂降りのなか駅に向かって通りを歩いてゆくと、腕も肩も足元も次第に濡れて雨は腕をつたい、ナイロンの鞄をつたい、そして染み込み、スニーカーのつま先の色を変え靴下を湿らせ、駅が見えてくるころには足の指のあいだも濡れていた。
 振り返って、後ろをついてくる娘を見ると、三度笠のように折り畳み傘をぺたりと頭の上に載せて、両手で帽子を抑えるように傘を抑えて歩いていて、そのせいで傘の柄はその役割を失い、彼女の両腕はびしょ濡れなのだが、お風呂みたいに濡れた!と笑っているのと、その見た目がかわいくて、私も嬉しくなって笑ってしまった。雨ってたのしい、こういう場合は。で、乗り換え駅についたので降りる。

 傘をしまって、階段を降り、かばんをハンカチで拭いたりして少し落ち着いて、私たちは電車に乗って家に帰った。帰りの車窓はもう暗くて、ビルもすくない区間はもう闇しかみえない。
 それでもUNIQLOだのファミレスだの駅前の予備校だの銀行だのは見えてきて、だけど私と娘はもうすこしも景色の話をしてなくて、ショップでなぜか買わされた、横尾忠則のくつ下を娘は袋からこっそり取り出して、膝のうえで眺めては、超かわいい超かわいいと繰り返す。くつ下はかなり派手で、かなり芸術的で、サイズは25から28なんだけども、帰宅してすぐ彼女は、22.5センチの足にそれを履いて、やっぱり超かわいいと浮かれた。
 こういうことや、ぜんぜんこういうことではないあらゆることが、せかいの数ぶんだけ、その世界の住人のせかいの車窓に端を発して、いちにちを作ってゆくならなんかそれはすごい。だけどせかい次第ではぜんぜんそうじゃないかもしれない、いま22時、チョコモナカジャンボじゃ恥ずかしいから半分にして、ジャンボじゃなくして食べながら、甘いな、と思いました。


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