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きらいのはじまり

「あっ、クッキーとか、買ってくればよかったね」
真夜中に、裸で抱き合っているときにおなかが鳴ったとて、そんなこと言う人、それまで一人も知らなかった。
「何か買ってきておけばよかったね、サンドイッチとか」ではなくて、深夜2時も回って、それもこんなに汗だくで夢中で、小さな夜の片隅に閉じこもって溺れかけているのに、クッキーだなんて。
夜のはじまりに、例えば明るいコンビニで、私のためにクッキーを選ぶとか、そんなことをこのひとが、飄々として、限定的な人にしか心開かなそうなこのひとが、わたしを好きだから会いに来てるわけでもなく、単純なる興味と性的欲望だけを根拠にここにいるのであろうこのひとが、そんなこと、空腹を満たすためのクッキーを買うなどの行為、を能動的に行ってから、私と過ごそうとする、なんてこと、想像しただけで、いやおまえこそがスイートで歯触りの良いさいこうのクッキーやんけ、と言わんばかりにむしゃぶりつきたくなり、そのようにいただいた。

おなかはそのあとも鳴ったが、二人は静かになった。
もうあまりしゃべることがない、と言う気がした。私にはたくさんしゃべりたいことがあったのだが、しゃべってもたぶんこのひとに残らない、という確信めいた予感があった。冷たいわけではなく、むしろ温かく、意地悪なことを言うわけでもなくむしろ優しい。だけど、この人は遠いなあ、と思ったりしながら「お化粧を落としてから寝なくちゃ」と言うと「お化粧をおとして寝たほうがよいよ、自分は帰るから」と彼は言って、衣類を身に着け、少し乱れた髪のまま、ドアを開けて出て行って、夜のトーキョーを歩いて、彼の家へ帰っていった。午前4時には「着いたよー」と連絡がきた。見たけど、平衡のために、返信しないで寝た。翌日には、また会おう、とメッセージがきた。またね、と返したけれど、こんなに確信の持てないまたねをかえしたのは、これまでの人生のなかでも初めてだった。

数日して、脳みそがその夜を思い出し、恥ずかしくなった。それをメールで伝えると、彼は「自分は脳みそと言うより、フィジカル、つまり筋肉痛である」と返信が来たので、ああやっぱりこのひとは遠いな、と確かに理解した。承知した、といってもよい。
だが、性的行為の恥知らずな副作用が出てしまい、私は彼に好意を抱いてしまったのも事実で、さらにそれを無防備に垂れ流したせいで、それを察知した彼に、案の定、強く警戒された。彼のその引いていくかんじとか、違うそうじゃない感とか、ちょ、待てよ感とか、いちいちすべてが、私にはわかったのだけれど、一度自分から発し彼に感受されてしまったそれは、もうコントロールができず、なぜならば私は彼ではないからなのだが、それでもどうにかコントロールして元に戻したい、と思うくらいには、副作用の出る前の、性愛抜きの興味でひかれあっていた、「関係」とも呼べないようなかかわりあい方に戻りたいと思った。それは、くだらなくて、リズムは遅くて、勝手で、貴重だった。そこに戻したかったが、もう遅かった。彼は、じぶんの"あいまいさ”と合致しない私の"明らかさ“を感受して、多大なるめんどくささを抱いたのだろう。それはすごくよくわかるのである。なぜなら、わたしもそうだから。

予感は的中した。わかっていてもどんどんわかっているほうに進むのである。クッキー買ってくればよかったねだなんてことばを、私に刺した時点で、それは望まない苦いあまさ、きらいのはじまりだった。大好きかもしれない、すごくだいすきかもしれない、というものは理屈ではなく突如として表れて、うまく伝えられないまま刺さって叶わずえぐって痛い。また、たどり着いてしまったな。見えていただいきらいに。
けれど、夜中におなかがすいたら、ひとりおいしいクッキーを食べるのは、すてきなことかもしれません。クッキーは、いつも、甘い。
(このお話はフィクションです。本当のことを除いては)

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