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ママの声泣いてるみたいでむかつく

 土曜の夜、仕事を終え帰宅したとき、家族はみな夕食を食べ終えていた。
夫は、夕方、仕事中の私にLINEを送ってきて、「夜は○○のもつ鍋ということにしたい」と、千葉雅也が「これを言語の非意味的形態と呼びたい」と言うときみたいな言い回しで伝えてきて、そのあと「買ってきた」と言うわけで、夜ご飯にもつ鍋が用意されていることはわかっていて、疲れてはいたけれども、私は機嫌が良かった。

 食べ始めて、ビールを飲み始めると、いつものように娘は私のそばにやってきて話を始めた。最近、彼女が描いた絵と考えたデザインが、行政のとある構造物に採用されたという喜ばしい出来事があって、それについておしゃべりをした。夫は中庸な機嫌で、テレビを見ていた。
 ひとしきり話して、娘は冷蔵庫の前に行き、メロンを食べるか、みかんゼリーを食べるか、それとも冷凍庫のなかのパピコを食べるか迷い始めた。「ねえママどれがいいと思う?」と聞かれたので、「メロンがいいと思う。もうだいぶ熟れてるでしょ」と答えた。
 すると突然娘が「ねえなんかいま、ママの声、泣いてるときみたいな声でむかつく」と言った。私はもちろん泣いていなかった。驚いたけれど、それを聞いた瞬間だけですでに、自分がいちばん苦手なのにもうすっかりおなじみのように繰り返し繰り返しやってくる”お母さんの私をうまくできないわたし”について、また思い知らされていた。
 「え、泣いてないよ。でもさ、ママの泣いている声をよく知っているこどもなんてそんなにいないよね、ママが泣きすぎってことだよね、、なんかごめん、でも泣いてない、いま元気。」と言うと、娘は、「ママが泣く、私が困る、ママが泣く、私がぜつぼうする、ママが泣く、私がけずられる、ママが泣く、私が慰める、ママが泣く、私が疲れる」ってくりかえし」と言ってわたしの顔を、ね、わかるでしょ?とでも言うように、ひどく理性的な、少しからかうように明るく作った表情で、のぞき込むように見つめてくる。

 私が泣いたのはたぶん、この子の前で3回ある。一度目は、もう8年近く前。何度も訪れたたくさんのワンオペの日曜日たちの中のたった一日。小5の息子は釣り道具のことばかり考えていて、暇さえあれば釣り道具やへ連れて行かされた。だからといって、買うものなんてそんなにないのである。それなのに、ルアーとかようわからん竿とかなんやらを見るのに長時間付き合わされたものだった。私も興味を持ってみようとしたけど、魚について、調理は良いけど食べられもしないバス釣りとかには、さほどそそられなかった。だから、釣り具なんか見るのは退屈でいやだったけど、釣りに興味が出ている息子のことを考えると、いやとは言えなかった。公園で遊んだり図書館で過ごせるお年頃はもう過ぎていた。 その日も釣具屋へ連れて行って、そのあとは、娘(当時3歳)の靴を買ってあげる約束をしていた。朝から夫はいなかった。二人のごはんを食べさせて洗濯を干して掃除をして、まず息子をサッカーに連れてゆき、下の子は合間で与えたいちごで顔じゅう真っ赤で、口を拭いて、追いかけっこして遊んで、のあとの、釣具屋、からの、ショッピングモール、の予定だった。釣具屋へ行きやっと一つルアーを買ったあと、車を走らせて、小さな川を渡る橋が見えてきたとき、息子が「ねえもう一回釣具屋へ行きたい」と言った。
 だれにも、わからないと思う。この瞬間の、はげしく乱れる感情の必然性を。母親経験者は、このことがどんな”感じ”か、想像をするかもしれない。似たような気持を想像できるかもしれない。あるいは、介護をし続けるひと。よく言うよね、子育ては未来があるけど介護はちがうからもっとつらい、とか。私はその答えを知らないけれど、難しすぎるはなしじゃなくて、自分のしたいちいさなことを押し込めて自分以外のひとのために何かずっとし続けるのはつらい。相手のためになにかをしたくないのではなくて、自分で自分を無視してるのがしんどい。それで、こどもふたりを後部座席に乗せて、ちょうど橋を渡るあたりで、泣いてしまった。3歳児がママごめんと言い、あなたは悪くないということだけを何度も私は彼女に言った。

 2回目と3回目は最近で、一つは私が大好きなチーズパンを夫が黙って全部食べてしまったとき、そして3回目は先日書いた母の日。

 釣具屋へいくことや、チーズパンが食べられないことが、泣きたいほどいやなわけない。そんなのあたりまえだ。

 おかあさんて、なんだかんだ言ってしあわせなんだって?いつかは良い思い出?辛くても人生の糧?良い経験だった?おかあさんになって、子供を苦しめてても?泣き声を垂れ流して、子供を疲れさせて、不安にさせることが幸せ?
 母親に苦しめられた人の話はよく聞く。毒母、とか。
確かに母子と言うのは独特。母と子と言うのは人格や人間としてはもちろん別だが、ルールとしてもう、切れ目がない。よくない母に育てられる子と言う存在が、それを受けてよく育てようとする母になろうとするけれど、よく育てようとする存在になろうとする係は、(その新たな)母にばかりのしかかっている。し、そもそも良い母って何なのかがよくわからないし。男の子は母になれないから、父として母(配偶者)にそれを願う。短絡的で思考停止していると思うけど、そういわれても本人たちは意味が分からないかもしれないし、仕方ないとは言わないが、ある程度は無理もない。
 感情抜きの、良し悪しでもない、決してゆらがないルールとしての母子、は、たぶんある。とすれば、父親あるいは社会そのものというのは、もっと1000%全力で、母子、と言う存在を考えないとやっぱいけないんだろうなと思う。
 母と子、というテーマはよく議論されるけど、母が、社会でどういう取り扱いであるか、という問題をかんがえることなしに、そんな閉じられた一過程の母子関係は語れないと思う。母が、母の生きるその社会構造のなかでどんなものか、それが、小さな家庭の中の小さなたくさんの”ふたり”につながっているし、母であるなしにかかわらず、ひとりずつの女たち、につながっている。それを感覚的にあるいは構造としてきちんと、わかっている女性は多いはず。
 ここでは母の話なので、あえて母は、と言う主語にするけれど、母は、それをわかって、自分の努力で、子とのふたりの単位のなかで、でかい構造に抗って、よりよいように調整して、どうにかこどもによく育ってほしいと思って頑張ってるんだと思うよ。だけどね、げんかいはあるからね、そういうとき、ママの声泣いてるみたいで、ママもね、ママにむかつくのよ。



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