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さいきんのこと

抱きしめてTONIGHT


さいきん、と言っても細菌ではない。最近のことより細菌のはなしができたほうがほんとは面白い。だけど私に細菌の話はできない。だから最近のはなし。

母の日に泣き散らかした。
夫は5月のその日、母の日を祝うための昼食会を、隣の市の蕎麦屋にて計画した。私には何の相談もなくそれは決まっていて、明日行くから、と、土曜日の勤務中に夫から連絡が来た。え、明日、と思ったけれども、私の母と叔母に対して行う母の日祝いであるから、相談もなしに急に決めないでほしかった、とかの、ふつうのことが、夫が独断でホットクックやミキサーを買って来て本当はその色は嫌だったのに、とか、本当はそういうミキサーが欲しいんじゃなかったのに、と言うことを飲み込むしかなかった時と同様、言えなかった。

翌日曜の朝、疲弊した私は、どうにか気合でそれまでに毎週ルーティンの英語のレッスンと家事を済ませ支度をし、自家用車の運転席に座った。道すがら、小沢健二のCDをかけ、途中から、サカナクションに変えた。わすれられないの、とか、私が口ずさんでいる間ずっと、夫はため息ばかりついていたけれど、私にはなぜ彼がそんなにまでため息ばかりついているのかわからなった。同様に、私は、夫がなぜ、一昨年の一月三日以降、私とセックスしないのか、ということもわからないのだけれど、聞いても仕方ないというか、セックスをしないという行為じたいが、もうすでに私たちの関係のこたえなのであって、そこを探る意味は全くないと思っているし、そんなことを探って日々を暮らす相手との関係を乱す必要もない。だが、車内の繰り返されるため息については、すくなくともなぜ夫婦間でセックスしないのか、と言うことよりはその意味において重要で、なぜなら、だって、全開で表向きの、これは日常だからである。

日々の暮らしの表面は、自分と家族が平穏でいるために、なめらかでなければならない。だから、おいしくご飯をつくるし、洗濯をして畳む、セックスの有無とか、抱きしめられる日などぜんぜんないとか、選べないホットクックとか、そういうことにこだわっていてもしかたない。だが、真横で繰り出される、何を言いたいのかわからないけれども確実に何かの不満を込めたため息、については、なんとなく見逃せないものがある。

蕎麦屋で、私の実母と、幼い頃から慕っている独身の叔母、実父、私、夫、娘、息子、の7名で食事をした。蕎麦を選ぶあいだも、夫の小さないら立ちめいたものを感じていたが、話しかけるなどして和ませようとしても、言葉が宙に浮いたりして、あまりうまくいかなかった。
蕎麦を注文してから、子供たち経由で、祖母と叔母にそれぞれ、赤ベースと、ピンクベースの、素敵な花束が渡された。私はその花束が用意されていることを知らなかった。夫が事前に(私に相談はなく)準備したもののようだった。流れ的に、私にも花束があると思ったのだがなくて、私は少し狼狽した。「あ、ないのね」と笑うと、私には、たった一本のカーネーションが、娘の手から渡された。私が笑って「差!」と言うと、夫が大きくため息をついて、「こどもたちが小遣いで買ったんだから」と言った。
私は「ありがとう」と言って、傍らの空いた座椅子に並べて置かれた、その華やかでかわいらしい二つの花束の横に、むき出しの一本のカーネーションをそっと置いた。
そばを食べてしまうと、夫のため息はまたさらに目立った。私が、毎日の仕事の話を叔母にすると、合間で夫がため息をついた。私が、息子の塾の話をすると合間で夫がため息をついた。なぜそんなにため息をつくのか、わからなかったけれども、少しずつ、いやな気持は積まれていった。
しばらくすると、娘がむせて、咳をした。私は叔母と話していて、咳にすぐに取り合わなかった。咳が収まったころ、大丈夫だった?と声をかけると、娘が「背中さすってほしかった」と私をにらんだ。ごめんね、と言って、背中を撫でると「もう遅い」とすねるので、軽く抱きしめて「ごめん、大丈夫?」と声をかけたとき、夫がまた大きなため息をついた。すると娘は、夫のため息によって自分が正当化されたとでもいうかのように、拗ねた態度を怒りに変えて、私の顔をにらんで黙りこくった。私はもう一度誤った。だけど、娘の表情は変わらなった。せき込んだ時に自分を労わってくれなかったお母さんなんかだいきらいいつも仕事とか自分のすきなことのはなしばっっかりで、私のことを見ていないくせに。そういうメッセージが込められていると感じた。それはほんとうかもしれなかった。あなたのこと大好きだし、あいしているけど、それは嘘じゃないように感じて、脳みその中で私の世界は、一気に狭く、暗くなって、そこに立ってるはずの自分も真っ黒になって見えない。

娘のきもちはわからなくない。だが、私はもう謝れなかった。逆だった。
「咳くらいでなんなの、咳なんか誰だって出るわ。そういうことでやさしく大丈夫?大丈夫?とか言われることに私はそんなに意味を見出せない。そんなことそこまでこだわって、私がそれできないからって謝り続けるとかそういう世界で私生きたくない」
そう言い放ってひとり席を立ってしまった。店を出ながら、足元はふわふわして、歩いている地面が歪んでいる気がした。父親がどう思うか、心配になった。どこへ行こうと考えたがまとまらなくて、ダサいけど車の運転席に座ってドアを閉めた。

その後、帰りの車を運転しながら、私はその続きをしゃべった。
その内容は書かない。だけど、思っていることを泣きながらしゃべった。ちかいうちに限界は来ると言って、一人になりたいと言って泣いた。
夫は黙ってしまって、だがもうため息はつかなかった。

翌日から夫は洗濯と、茶碗を洗う、などをしている。
土日は外食をしようと言うことが増えた。気持ちは伝わるけれど、私自身が抱えている私以外私でないから、私は私としてもっと生きたい、みたいななにか、はどうしても変わってくれない。家族が変わっても、ここから出たいという気持ちはたぶんすぐになくならない。
実は、この母の日のあと「来週からは母の日じゃないからね」と声をかけてくれた人がいたのだけれど、それはすごくうれしかった。ただ、そういう人はただのやさしい通りすがり、でしかない。母であることとと格闘するのは、常に母自身である。
あの日から半月経って、叔母が遊びにきたとき、この前の態度をとがめられると思っていたのに、「あんた大丈夫?がんばりすぎだよ、ゆっくりね」と言われた。母親も何も責めなかった。

この前の日曜日、娘と出かけたロフトで、ビールサーバーやおいしそうなクラフトビール、ステンレスや銅のビールグラスやかずちーみたいなおつまみなどが、一角に特集されていて、ビール大好きな私はもちろんそばに行ってそれらを熱いまなざしで見ていたのだけれど、そこに大きく掲げられた”おとうさんいつもおつかれさまです。ありがとう”の文字を、わたしは醒めた目で眺めていた。おとうさんだろうがおかあさんだろうがそうでないひともみなすべておつかれさまであるということのほか、母の日に、がんがんビール売る棚、何で作られないんだろうね、そう思って、大きくため息をついたけれども、知ってる、ため息をついているだけでは、なにも伝わらない。
待ってないで、甘えてないで、距離とってないで、逃げてないで、ずるしないで、ため息よりことばで、話したいよね。まじで。


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