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おとこのひとの知らない

その壱

 上石神井の古いコンクリートのアパートだった。
黒い短髪、シベリアンハスキーを思わせる色のカラーコンタクト、
ネメスのデニムとシャツ、玄関にはマーチンのブーツ。アキさん、と言ってもあき竹城ではない、のは、当たり前であるが、アキさんに振られたばかりのAのこのアパートで、なぜ私は今、Aとともに茹でたそうめんを食べているのか、ひどく謎であった。
 普段から、○○ちゃん、と私の苗字でAは私を呼んだ。高校時代からそうだった。全然仲良くはなかった。友達だったけど、なんかパンクに踊りまくる姿とか、時々よくわからない錠剤をかじってる様子とかが、宇宙人みたいに見えて、真の友、と言う感じがしなかった。しかも彼は勉強が嫌いだった。全然勉強しないひとを、私は、あまり好きではなくて、優しかったり面白かったり個性が強くておじけづかないところなどが、すごい、と思うことはあったけど、ただそれだけだった。
 のに、なぜ、二人でそうめんをたべているのか、謎だった。そう、私は、ここで、ここが、自分は住んでもいない町なのに、Aに道端で会ってしまったのである。○○ちゃん、なんでいるの、と声を掛けられ、ああ実習あるから場所の確認で、とか、話ながら歩いているうちに気付くとそうめんをすすっていた。そういうことって、ないようであるようで、あるようでない。わかるでしょ。そうめんにたどり着いている時点で、実はすべてを予感してたり、するだろ、君らだって。
 そうめんを食べてしまうと、床に直に置かれた厚みのあるベッド代わりのマットレスが際立ち、性行為の流れになった。ただ、私ははっきり覚えている。彼は挿入前に果てた。が、私はそれに触れなかった。

翌日、一緒に地元に帰った。地元、と言っても東京の隣である。Aの実家に一緒に行き、なんかお母さんたちとしゃべって、それぞれの都内のアパートにまた帰った。
 数日して、連絡すると「○○ちゃんさあ、おれら、なんだと思ってる?」と言われた。つまり、自分たちの関係を何だと思っているのか、と言うことである。「え?」と戸惑っていると「セックスしたし、付き合ってるとか思ってる?」と言うのである。「いや、別に…だってA、アキさんのことまだ好きじゃん」と返しながら私は、セックス、してないんだけどな、いちおう、とか思ったけど「入ってなかったのにいったじゃん」とは言わずに「こんなごついブーツはいてんのにしょぼ」とも言わずに、アキさんに連絡してみなよ、と言って、おかしくもなかったが笑ったのがその壱。

その弐

二十歳の誕生日、Bは来なかった。
朝、電話があって、夕方行くわ、と言ったのに、6時になっても7時になっても来ない。
 赤羽の実家に電話をかけると(携帯とかない時代)お母さんが出て、Bに代わった。こないの?と聞くと、あっ、ごめん、忘れてた!と言って、Bは慌てて私の一人暮らしのアパートへやって来た。

 アサビでデザインの勉強をしていたBは、自作のポストカードにメッセージを書いて、もってきてくれた。すごくかわいくてシュールなイラストで、おしゃれだった。何かおしゃべりしたり、私のもっているCDを彼は見たりして男前だ、とか言ったり、これいいよね、とか言ったりして、そのあと、性行為の流れになった。彼は、コンドームを二枚重ねた。そして体を重ねた瞬間、果てた。

 その後、彼の家へ遊びに行ったり、新宿でデートしたり、何度かしたが、彼の部屋には、みわこちゃんという、彼の元彼女の、信じられないくらいフォトジェニックでかわいいモノクロの写真が飾ってあって、Bは美和子ちゃんのことが忘れられないんだとBの友達から聞いた。しばらくつきあったのち、「やっぱみわこが忘れられない」と言われて、私の恋は終わった。なんで二枚重ねたのかとか、瞬時に果てたこととか、なんで誕生日に来てくれなかったのとか、もっと言えばよかったのかな、と思い、くよくよして、半年昼夜逆転してしまった。ゴムを二枚重ねて秒で果てても、関係なかった。今思えば、この人がU.F.Oを教えてくれたのは良かった。だが、二枚に対する謎や少し感じた滑稽さも、U.F.O.押しててくれてありがと、も彼は知らず、もし彼になにか残っているとするならばきっと、私を振っただけの記憶。というというのがその弐。


その参及び四

 話を端的にしていこう。
製薬会社勤務の男性は東大の大学院を出て研究職から企画へと栄転、私がオーガズムを得そうになる直前で決まって、疲れて指の動きを止めてしまう。
三度目のとき、こいつもうあかん、となった。私は何も言わず、今までの感謝を伝えて彼とのかかわりを終えたとかはその参としよう

 と、すべて述べるつもりはないが、性的なかかわりのなかで、それはない、と思わせられるような謎や、あるいは相手の余裕のなさからくる技巧のおぼつかなさや、もともとの身体的特性による特徴などがあるけれども、それらは決して、女性にとって、即座に負であるということは決してない。
 だが、その壱、でも、弐、でも、参、でもそれらは完全に、負、と化した。また、信じられないくらい強い圧で、局部を刺激するひとなどもいた。私も相手も、もうそのときすっかり大人の年齢だったので、非常に驚いた。そんなに強く押すとか、もはや肩首腰の指圧なみで、ほぐれるもんもほぐれないっつうか痛い。これがほんとの推し活…とか思ってみるも痛くて笑えねえ、をその四としたい。

 だけどその人のことじたいは、とても好きな場合もある。アサビ(その弐)のひとや、局部推し活のひとなどは、私は、性の場面ではなくその人じたいをとても好ましく思っていた。だが、未練を伝えても彼らは去ってゆく。去ってゆく人間に、ゴム二枚の謎や、局部が押しつぶされてしまいそうな力強い愛撫の謎、そして、それぜったい、やめたほうが(補正したほうが)、今後のためだよ、と伝えるチャンスはもはやない。去り際に、そんなこと、言えないじゃない?
 
 ちょっともう関われない、と思って私たちから去っていくおとこの人たち、あなたたちが気づいてないことを、おんなの人は、知っている。
未練や、まだ消えない興味や、なにか割り切れないものたちに混ざって、複雑で切ないあなたの秘密の弱みを、そっといまでもわざとのように転がして、時折よみがえる叶わなかった苦々しさの相殺に、それらを使っているかもしれない。知れないけれど、それも絶対に、おとこの人の知らない、こと。


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