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自殺未遂をしてわかったこと4

これは前回からの記録の4回目。最初から見ていただけると流れもわかると思うのでありがたいです。
短く流れを話すと私はODをして三日間経ったところで体調を崩し
ICUに入り親族に重篤ですというほど危険な状態になっていた状況でした。

ICUは電子機器の使用を禁止されています。テレビもスマホもないただそれだけなのにここまで時間との戦いがあること、それほど依存していたのだなとも感じました。誰かと繋がりたいという気持ちが膨らむのもとても感じました。

結果一般病棟に移れる期間に5日間を要しました。
救急病棟は常に誰かの苦しむ声、看護師さんの忙しなくしている光景をただ申し訳なく見る。天井を見上げる自分を省みるという時間でした。
その時に感じたことは「死にたくない」という思いでした。
ODをして死ぬ決断していたのに生きたいという気持ちが強くなっていくことに驚きました。
ICUの最終日にもらった紙とペンに本音をずらぁっと並べてもやりたいことやり残したことを書いている時にあぁ「自分はこれから生きることを前提にしているな」と思いました
唯一病院から外へ出た気分になれたラジオ番組
ずっとラジオっ子で今帯番組「ふらっと」をはじめたパンサー向井さんの声にいろんな感情が湧き泣いたり(泣いてばっかりですね)
月曜の24時から始まった「空気階段の踊り場」にはついガッツポーズをしてしまった(イベントに行くほど好きな番組)
それ以外にもたくさんのラジオに触れる時間でした
リスナーと距離が近いなと感じる気持ちもありました。
病室のカーテンの隙間から微かに見える外を見ながら何度も泣きました
本当にしんどかったです。

一般病棟に移れた時まずこんな私にも連絡をしてくれる人がいるのかとSNSを開き携帯を開いた。会社の人、最近話していた仕事の取引先の人
数少ない友人からきていました。ですが世知辛いことに最近よく話していた仕事の取引先の人とは関係が悪化してしまいました。

人と言葉で伝えるって難しいですね。少しトラウマ並みに傷ついたのでこの話はまたどこかで。

数少ない友人には愛のある説教、そして直接会おうねという温かい言葉に大変救われました。

今回はここまでにします
病院でのメモの続きを有料で。
気になれば読んでくれると嬉しいです。ICUで過ごしたメモを見ながら思い出し書いてます

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