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境界線~ボーダーライン

こちらも過去blogからの転載で、書いた時期はまちまちですが、いずれも数年前の記事。複数をまとめていますので、長いです。

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モンスター・クライアント~ワガママで自己中な人々

さて、このテーマでのブログ記事を書こうと思ったのは、それなりのきっかけがあったからです。ですが、直接的に書くことはやはり憚られるので、かなり湾曲的に、それとなーく・・・まどろっこしい書き方にてスミマセン。

サイトを立ち上げた当時(方向転換をする前でまだ占い師の肩書きだった頃ですが)…

「原稿を載せてあげますから、タダで毎月の占い書いて下さい」
「私のことを無料で占って下さい。知りたいことは○○です」

そんな失礼なメールがけっこー届いたものでっっ汗

既にプロとしての活動を10年以上していたし、占い館での対面鑑定はもちろん、占い専門誌に特集記事書かせて頂いたりとか毎月の連載も持ってたし、ネットの有料コンテンツのサービスも提供していまして。※今はもう終わっちゃいました<エルフィン占い館

「アマチュアさんではないし、練習相手とか別に募集してないんだけど~」と、うんざりさせられることも。ただ、そういうイミフなメールは、無視して返信しなければいいだけのこと。

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で・・・失礼だな~って思うのは、私のような職業の人間のことを、アンサーロボットのごとく、自分の聞きたいことに、いつでも答えてくれる存在か、まるで自分専用の便利屋か何かのように依存してくる人ですかね。

※ええっと、掲示板とかblogのコメントでの感想や質問と言った書き込みなら、他の人も見れて、内容をシェア出来る公の場所ですから、それは問題ないと言うか大歓迎ですよ。書いたことに対する疑問や質問であればね。それはそれ、まったく別のもの。ただ、極めて個人的な問題に対することの回答を求めるのは、違うと思うのです。それは仕事としてご依頼下さいと言う話。

それとクライアントさんの場合、セッションやレッスンのアフターフォローなら、いいんですね。聞き忘れたり、聞いた後で忘れてしまったこととか、セッションの後だからこそ、出てくる疑問もあるでしょうし。一週間とか10日以内なら、私も覚えていられるかなあ、と思うし。原則、相談に乗っている範疇に関することならね。

でも、直後のセッションで相談されたこととは、まったく関係のないことを・・・別件に関する質問を、当然のように聞いてこられちゃうことが困っちゃうんですね。

また、これまでにも触れたように、友人と呼べるような関係性には無いのに、対人関係の境界線を越えて、本来は肉親やかなり親しい友人に求めるような、サービス以上のものを期待されることも違うかと。なんていうか、私みたいな職業のものに、自己投影して、欠落の埋め合わせを求めてくる人…このあたりは、プチ・ボーダーな人と言えるかな。

若い人は・・・いやさ育った環境によっては、マナーとか対人関係のルールを知らない人も多いから、そういうのを指摘したり、教えるのは、仕事というよりは、ちょっとばかり長く生きている人生の先輩としての役割になりますでしょうか。

知らないことは教えてあげるべきだし、それであーそうなんだって、本人が理解できて、気を付けられるようになるなら、それでよし、ですから。

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ただ、最近増え続けている『モンスター』なお客さんてのは、はっきりいって精神疾患といいますか、病んでいる人になりますので、常識は通じず、正常な会話も成り立たず、意志の疎通が上手くいきません。自分ルールの世界の中で生きている人ですので、正攻法で対処すること事態、あきらめるほか無いのです。

精神科やメンタル系の職業の比ではありませんが、占い師やチャネラー、ヒーラーや霊能者、スピ系の仕事などは、一般のサービス業より、どうしてもこうしたお客さんに悩まされる確立が高くなってしまいます。※普通の自己中我がままクレーマーでは無く、ボーダーや電波系、粘着気質など病み系モンスター

精神科や心療内科に自主的に通院する人は、当人あるいは少なくとも周囲がその問題に気づいていて、何とかしようと選択した結果の通院ですから、自覚があるという事で、モンスターな人たちとは別に考えるべき人たちかと。

モンスター化している人は、まず自分側に問題があるということを認めようとはしません。なので、人の言葉を聞きません。というか、自分が聞きたい言葉以外は聞こえず、見たいもの以外は見ようとはせず、自分が求めているもの以外の事象・結果を決して認めません。

彼らが、サイキカルな事柄やスピ系に答えを求めることは、はっきりいって不毛の一言です。いくら答えを与えても、真理を語っても、道を諭しても、それらは彼らの求めるものでは無いので、聞こえず、見えず、欲求不満を高めるだけです。

彼らにはとうてい理解できない内容なのですから。

モンスターと呼ばれる人にとって、自分の要求に対し、相手が『YES』以外の答えを言うことは想定外であり、それらは決して受け入れられることでは無いのです。

彼らにとっては、自分に『NO』という人こそが、『モンスター』であり、間違っている側であり、ありえない存在で害悪なのですから。

見えない世界の存在(霊やエレメンタル)が、モンスターさんがモンスターになってしまっている元凶で所以として、そのような問題を引き起こしている場合、サイキックやその種の施療行為によって、そのような問題が解決することもあります。

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けれど、問題の根が、「性格(人格)」にある場合、こればかりはどうしようもありません。『モンスター』さんは、自分はいつだって与えらてれ当然で、自分が求めるものを与えてくれない他者や世間はおかしいと・・・そういう観念から、それをしないものに対して憤りと恨みを抱き、自分の思い通りに物事が運ぶことが正義で正解と思ってますので。

問題を指摘しても、聞く耳を持たず。何を言っても自分に都合の良い解釈をし、自分の悪いところを一切振り返らず、すべてを他人のせいにする。

自分が相手に対して、どれほどモラルのない、失礼な態度を取っているのか・・・こちらの指摘にもそうしたことを一切省みず、自分が知りたい答えをくれないことに対しての、疑問と憤りをぶつけるばかり。

自分のそうした性質が、全ての歪みであり、諸悪の根源であることを認めようとはいっさいしない。本人がそこに気づいて、変わろうとしないことには、誰にも、『モンスター』さんのエゴイズムという着ぐるみを、ひっぺがえす手伝いは出来やしないのです。

その一歩を選んでくれないことには・・・

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変わることを選ぶか選ばないかは本人が選ぶこと

ですが、変わろうとはせず、気づこうともせず、人の言葉も他人も出来事の意味も理解しようとはせず、自分だけが相手から理解されたいと望み、自分の満足のいくサービスだけを求め、どこまで言っても自分の要求を通そうとするだけの人は、もはや「お客さん」には成り得ないんですね。

ヒーリングもセラピーもリーディングも占いもカウンセリングも、
エゴイズムを満足させるための手法では無いので。

私のような職業の人間は、他者の人生を改善するためのサポートをしているわけですが、「本来の力を取り戻させたり」「気づかせる」ことを目的として、本人の自主的な意志と積極的な参加(協力)のもと、セラピーやヒーリングなどの施療を行っているのであって、個人の身勝手なワガママを叶えるための便利屋では無いんです。

残念なことに、こうした「自分がルールブック」という自己中な人は昨今増え続けています。

相手の気持ちや人間性を考えず、平気で人を利用し、踏みつけ、
他者を自分を満足させるための道具のようにしか見れない人たち・・・

他人のことには常に批判的でうるさくて、ちょっとしたことも許さず、そのくせ自分に対しては甘く、ルーズで、自分の気持ちには敏感で傷つきやすいけれども、他人の気持ちには恐ろしいまでに鈍感で。
自分がどれほど失礼なことをしているのか、迷惑をかけているのか、周囲をどれだけ不愉快な気持ちにさせているのか・・・知ろうとも気づこうともしない。すべてを他人のせいにして、世や人を恨んで

被害者意識だけはやたら強いのに、
自分が加害者側であることは夢にも思わない。

ストーカーが、その最もたる代表と言えるでしょう。

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前回ちらりと書いた友人のトラウマになった出来事。
詳しくは書けませんが…

最初は友人のとこのお客さんだった女性で、友人を崇拝し、依存しまくっていて、無理やり彼女の経営する店に入り込んだかと思うと、急に豹変して横暴になり、まるでDVオトコか!というような態度を取り始めたんですね。それまでは、従順な下僕のように下に出て、友人を持ち上げていたのに。暴言を吐いて、あちこちで彼女の悪口を言いふらし、自分に対して感謝やねぎらいが足りないと毒づく。自分は恩を仇で返すようなことをしておいて、です。

あまりにも酷かったので、お客さんをそのまま持ってっていいから~と独立を促して、フェードアウトして頂いたとのこと。

でもって、その方は友人のコピーか?という位、色々とマネをしてました。
(「ルームメイト」という映画を思い出します)

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真似っ子もストーカー気質の人の特徴。妄執・・・というのかな、そういった執念深さ、愛着ではない愛憎的な執着

ファン心理が高じて、相手を憎み、塩酸掛けちゃったり、殴っちゃったり、
ヘタしたら殺してしまった…なんてのも、世の中にはまれにあったりするヤバイ事象です。

(知り合いの関西の占い師兼祈祷師でめちゃ美人でナイスバディな方がいるのですが、お客さん(♂)のストーカーに何度も悩まされ、年に何回も引越する羽目になり、引っ越し貧乏でした。
先輩の男性占い師さんも、勝手に恋心抱かれて・・・妄想の中で恋人にされてしまったり、告白や誘惑ならまだしも、トラブルとかエライ目に合っちゃう人は多いのでした)

私の場合もまぁ、ありましたよ。

何回か来る内に、プライベートな空間を見せろ、と、強引に私室に入ろうとする人とかいたし(女性ですが)。毎日毎日サイトを見に来て下さるのはいいものの、ちょっとしたこと(サイトの文章の誤字とか変更)をチェックして、あーだこーだといちいち連絡してくる。mixi入ってた頃は一日に何度も足跡。誰か解っているだけに精神的に消耗しましたっっ汗

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その他一つひとつ全部を語れないので、かなり不愉快でプンスカしたことをひとつ。

その方は最初はおとなしく、物腰が柔らかかったのですが、段々と態度が大きくなってきたんですね。

始まりはギフト攻撃だったかな。当初は断る理由もなく、ありがたく受け取っていたのですが、興味が無いと断ったものまで押し付けてくる。例えば本など、コレを読めアレを読め的な押し売り。コレおススメですよ…と言うような物言いでは無く。そして、段々とエスカレートしてきて、見下す発言が多くなり、私のプライベートな友人関係にケチをつけ、持ち物や服装にもスピな仕事をするものはそんな恰好をするなとケチをつけ初め、あーでもないこーでもないと色々と意見を押し付けてきて。さすがに友人の悪口を言われた日には限界でした。

奢ってあげる、モノをあげてる、お金を払ってあげてる…は、力関係において「やってあげている」になりがちです。そんな風に物質的なものによって縛りを与えることで、相手より優位に立ったつもりになって、他者をコントロールしようとする人は少なくありません。

(私がお客さんから、モノを頂かないルールを設けさせて頂いた理由のひとつでもあり)

友人のトラウマになった上記の彼女にしても、私のほうのその人にしても、同じではないけど、根本は似たようなモノです。※承認欲求と支配欲求の混合的エゴイズムですね。

友人に対して、DVオトコのようにふるまったその人は、友人に憧れていたんですよね。彼女みたいな人になりたくてなれなかった。嫉妬とか羨望があった。愛憎入れ乱れた複雑な感情というのかな。同時に理想の人間として「常にこうであって欲しい」という代替品としての自己投影があった。だからこそ、彼女の些細な欠点が許せなかった。また、求められたくもあった。自分を必要として欲しいのに、もっと傍に置いて頼って欲しいのに…なのに必要とはしてくれず、受け入れてくれないことに対して恨みを抱いた

私のほうも、そんな感じ。

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私に対して『自己承認』を求めていたのですね。それはよくある、自己に無いものを相手に求めるという、埋め合わせのための投影でしかないのですが…結果的に、その人は力関係において私より優位に立てないこと、必要とされないこと、対等に扱われないこと、認めてもらえないこと…等に対して、不満を抱き、彼女が押し付けてくる価値観や世界をこちらが受け入れないことに対して、感情を暴発させてしまったのです。

私からしてその人はあくまでお客さんであって、彼女の人間的な問題を何とかすること、今生の課題やカルマのレッスンとどう向き合わせるか…それしか見えてませんでした。

たぶん、セラピストとクライアントと言う関係性以外のところで出会っていたなら、絶対に関わることはありえない、プライベートでは絶対に友人関係にはならないタイプの方でした。「人」としてみたときに、仲良くなれるタイプの人では無いというか、どこまでいっても、お客さんとしてしか考えられない人でしたし、指導すること以外で関わることは不可というか。

でも、こうしたトラブルは、やはり私自身の問題の表れです。
なめられてしまう私にも非があると言えば、そうなのです。

とりあえず、そういう問題やトラブルが起きたときにどう対処するべきか…このような出来事は、自らの学びとスキルアップ、人間力を鍛錬するための貴重な機会と考えるようにはしていますが。

でも、お手上げだ~と思うときには、「誰か、降りてきて~ 後はまかせた!」と、手抜き?して、(チャネリング嫌いといいつつ) 自分ではない誰かに返信を委託しちゃったりとか・・そんな横着もよくありますね。ダメか、それじゃ・・・私の経験値にならんて。

他にはお客さんでエネルギーパンパイアな人にエーテルコード刺されたり、生霊飛ばされるのは、ホント・・日常茶飯事で、これもまた致し方無いというか、何というか、ですかね。やれやれ、といったところです。

でもまあ、このテーマであれこれ書きたくなってしまったのは…

私みたいな職業の人間の人間が、何をしてもいい存在と扱われることに対して…どれほど不躾で不遜なことをしても、許してもらえて受け入れて当然とばかりに(ボランティアをしろって感じ?)、こちらの人権を無視され続け、非常識で失礼なことをされ続けることに、いい加減、辟易とうんざりを通り越して、疲労もピーク…になってしまったからかも知れません。

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境界線①~ボーダーライン~


まだ占い師の仕事をしていた頃。その年のクリスマス、原稿を手伝った関係もあり、ある先生主催のパーティに呼んで頂いたのでした。レストランを貸し切って行われたパーティでは、以前からの知り合いもちらほら。

そのうちの一人、知人で後輩のSさんと隣り合って座ったものの、人見知りをしない私は、近くに座った別の知人の友人を紹介してもらうなど、初対面の人との会話に盛り上がり、それなりに楽しく過ごさせて頂いていました。

場もお開きという頃、私は隣に座っていたSさん…の不機嫌な様子に気がついたり。私は私で、私側にいた別の人たちと盛り上がっていたけれど、SさんはSさんで、そちら側の人たちとおしゃべりをしていたから、てっきり楽しく過ごしているものだと思っていたんですが。

駅までの帰り道。「信じられない! なんて失礼な人なんだろう。
もー気分悪いっっ いやだ、二度と会いたくないわ」
と・・・ふだんは穏やかで温厚な彼女から、初めて聞く怒りのお言葉です。

「あの人、Tさんとか言う人・・・なんか誕生日聞いてきたから、答えたならば、勝手に人のこと占い始めて、聞いてもいないのに、アドバイスしてきて、しかも決め付けなの、あーしろこーしろ、あなたはこうなる、こうだからって説教まじりで、何なのあの人!?」

「・・・そんなことがあったの?」 これには私も口があんぐり。

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何故って、占い師が集まってるパーティです。集まってるのは全員プロ。そこで今日会ったばかりの同業者に、頼まれもしないのに勝手にアドバイス押し付けるって?? は? 共通の話題として、「占術」「現場」の話が出るのはよくあることですが・・・

まあ、手持ちの占術ジャンルが違う者同士で、お互いで占いっこ(?)、というのも無いわけでは無いですけれどね。情報交換はよくありますです。

ちなみに、Tさんは年齢こそSさんより年は上だけれども、最近占い学校を出たばかりの新人さん。対して、Sさんは私にとっては後輩だけど、それなりの年数この仕事をしている、ベテランの域にある人なのでした。そういう意味でも、ありえませんがっっ(音大出で、ゲーム音楽の作曲家や演奏家としても実績のある人だし)

・・・まあ、そういう風に、「誰かを常に占いたくてたまらない人」というのもたま~にいますかね。この場合、占いをしたいのではなくて、占いを振りかざして、他人に何か言いたくてたまらない人。ホントは占いでなくても何でもいいわけで、他人との力関係において、優位な立場に立ちたい、何かを傘にきて、自分の権威を振りかざしたい、っていうエゴイズムを持ってる人と言うのかな。

私もそういう人に出合ってしまったことがあります。

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私が占いを独学で身に着けたのは学生時代でしたが、お金をもらう「仕事」にしたのは、正社員とかアルバイトをいくつか経験して後、20代半ばのこと。で、10年位前のことだったかな、と。それでも10年は占いの仕事をしていた頃でしたかね。その頃は、原稿の執筆くらいで、あんまりお客さんを見ること(鑑定の仕事)していなかったんですね。

一般のOLをしている友人の、友達というその人と初めて会ったとき。なんでも、最近占いの仕事をするようになって、某所に出ているという話題が。「ふーん。そうなの(ああ、あそこか)」って感じで、その人個人にの話には、どうしても興味が持てないから適当に相槌打っていたんですけど。

「アルマさんも占いするんですって? 
 何ならこのアタシが仕事紹介してあげてもいいわよ」

と・・・あれやこれや始まってしまった。つか、こっちが聞いてもいないのに、当人盛り上がっているし。こちらは目が点になってしてしまって、何も言えない…口を挟めないというか、聞いてもらえないというか(余地無し)。

いや、あの・・・私、(まだ始めて半年の)あなたより、この仕事長いんですけど? あなたが「○○先生、すごいわ、憧れるわー」と言ってるその人は、ちゃん付けで呼んでる後輩ですけど、何か。

とは言えなかったり。まー 友達の友達ということで、場を白けさせるというか、雰囲気悪くするわけにもいかず。

あなたが名前を存じ上げているような、
有名な先生様でなくてスンマセンですね・・・って、感じだったかな(笑)

でもまー

上記にあげた人たちみたいに、
「私は占い師である、えっへん、せっかくだから占ってさしあげよう!
私に占ってもらえるなんて、あなたラッキーよぉ!
光栄に思いなさい、ヲホホホホホ」

・・・みたいな、極端な天狗ちゃんたちはごく少数で、稀(と思いたい)。

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たいがいの占い師が出合ったり、悩まされる職業的弊害?としては、
その真逆のパターンで、

「え゛ー? 占い師なの?? ちょっと見てみて!」
と、手を差し出されること。(手相観ぢゃないんだけどなー)とツッコミを心の中でしつつ、「いや・・手相は見ないんで」と言うと、
「ぢゃ、誕生日がわかればいいのー?」そういう流れになる。だいたい、決まりきったパターン。

「仕事以外では観ないから」「仕事とプライベートは区別してるんで」と、答えると、決まってかえってくるのが、「ケチ!」というようなお答えや不満気な反応

まあ、そんな風に職業を言ったことで、色んな人に「手」を差し出される占い師たちは数知れず。たぶん、ほとんどの人が一度は経験しているのでないかと・・・すべての人が「手相」を習得しているわけでは無いんですけど(ため息)。それが世間サマの占い師のイメージなんでしょうね。

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でもって、占いの仕事を始めたばかりの頃、類似のことでは私もやはり悩まされたものです。私だけではなく、似たような悩みを経験した人は少なくないようです。

占い師になってから知り合った人との関係では、あまり無いことですが、
占い師になりたての頃…私が占いの仕事をするようになった、という話を聞いて、それ以前からの知り合いが、「ぜひ占って」と言って来たとき、こちらがケジメをつけるため「仕事だから、お金はもらうけど」と言うと、
「友達から、お金を取るの?」と・・・

これは残念なことに何人かいましたよ。

それと、それまで私に相談話など、してきたことがなかったような人に限って、占いの依頼というのではなく、あきらかに「そのようなアドバイス」を期待しての、相談をしてくるようになったこと。

たいていそういう人たちは、私が、彼女たちが期待するような、占いやら霊感に基づいたアドバイスをしないで、私個人としての見解や意見しか言わないと、思い切りガッカリ感を漂わせ、それに対して腹を立ててきたりなんかする。モロには言わないですが。

これはとても気分の悪いものでした。

友達であることのお得感、味わいたい人たちというのはいるものです。
人間関係での損得勘定といいますか・・・利用価値があるかないか、で図るところがあるのかな。確かにこういう人たちは、他人を利用するところがあったり。そういう人たちとはやはりご縁は続きません。このような時、自分の人を見る目の無さに、がっかりするしかないわけですが。

きちんとしている友人は、
「占い師の人に頼もうと思ったときに、誰がいいか解らないけど、○○さんなら友達だから信頼できるからお願いしたい。正式に仕事として観てもらいたいので、正当な報酬を請求してね」
って具合に、先にお金のことをちゃんと言ってくれるんですよね。向こうのほうから、ケジメをつけてくれるといいますか。貸し借りなしのライン引きをしてくれるの。そういう友達からは、逆に「友達だもん、お金なんて」と言いたくなります。

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そうですねぇ。
お金が発生するライン、というのは微妙なところではありますね。友達間はとくに。身内はまた別になるのでしょうが。

占いやスピリチュアルな仕事に限ったことではなく、特定の専門職にある人は、その専門職であるが故に、知人友人に頼られたりする過程や個々のケースにおいて、賃金の発生する仕事になってしまう部分と、そうではない、あくまで職業上の知識での人助けの部分、このボーダーラインには悩まされるところだと思うのです。

例えば、美容師の人が、髪のケアの相談をされたり、美容室でカットを依頼するとき、どのように伝えれば自分の望んでいるヘアにしてもらいやすいか…なんてそんなことを友人に聞かれたときには気軽に答えられても、自宅で購入した髪染めをしたいから手伝って!と頼まれたとき、ヲイヲイそれは違くね?ってハナシだったり。

医者の人が、これって病気?とか、何処の専門医がいいかな?的相談はまだしも、病院行く時間ないけど、会社休むのに必要だからって、診断書書いて~処方箋書いて~他の人に頼めないし・・・みたいなのは、ふざけんな、となってしまうように。

その線を越えてしまうと無理・・・というボーダーが、あったりします。これはとっても微妙で難しいとこなんですけどね。どこまで奉仕としてするべきか・・・どこからお金を取るべきか・・・

その線引きはきっちりつけておかないといけません。

でないと、トラブルも起こりやすくなるし、いつでも何処でも、便利屋みたいに頼られ、そこらかしらインスタントに呼び出されて、依存され振り回され(真夜中だろうがこちらの都合はお構いなしに)、人を利用するだけの人たちにいいように扱われてしまいますから。

対人関係のもめごとを避けるためにも、職業人としての自分とプライベートな自分というのは、きっちり時間も関係も分けて考えるのが、自分を安全なところにおき、消耗させないことでもあるし、結果的に双方のため相手のためでもある。関係性のボーダーラインをはっきりさせておくことは、人間関係を破綻させないために、必要かつ重要なことだったりします。

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境界線②~ただより高いもの~

まず、先の記事の続きをちょこっと。

何処までを仕事以外のことでもするか・・・ここまではよしとし、ここから先は範疇外とする自らの責任の範囲を明確にしておく、という意味でも、とても大切なことです。

金銭を頂くと言うことは、それをすることに対して責任を負うと言うことでもあるので。

私の場合、知人友人が、その人の職業的場面において、料金的な面でサービスをしてくれるとき、その気持ちや心遣いを嬉しく思い、ありがたいなあ、と感謝したりもするのだけれど・・・

あまり度が過ぎると…料金を破格にされすぎたりすると、それが義理(力関係での私に対する気遣い等)と解る場合は、どうしても恐縮してしまって、申し訳ない気持ちで、かえって利用しづらくなってしまいます。

それとは別に、正規の料金をとってもらえず、あまり安くされすぎてしまったりなんかすると、逆に知り合いってことで、サービスの種類によっては、
不安になってしまう場合もありますね。

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その昔、経済的に苦しかったとき、仲良くなった治療師の人が、事情を知っていたので、「お金大変だろうから、○○さんは特別! ○○円でいいよ」
みたいに、「えっ?それって安すぎない?」という料金しか、受け取ってくれなかったことがあります。

それはそれでその気持ちは嬉しいのだけれど、苦しい生活ながらも、そのサービスが必要と思い、値段なりの価値を見出したからこそ、他のこととの優先順位をつけた上で、やりくりして、そのお金を捻出し、予約を入れていたのですが・・・

なんていいますか、行きづらいというのも出てきてしまったし、馴れ合いになってきてしまった面もあったりして、安い料金にされてしまった分、サービスも手抜きされているようで、なんかちょっとなー・・・というようなことがありました。

「ちゃんと正規の料金支払いますから、通常通りの施術でお願いします」と、言いたくなったり。

でも、そう言っても、受け取ってくれないし、私の経済事情が改善されてからも同じというか、いつまで経っても「この人は貧乏だから」という扱いで、うむー・・・ということもありましたね。

そうですね。知人友人だからというところでのサービスは、料金は他の人と同じだけれど、その分時間をちょっとだけ延長サービスしちゃう~とか、飲食店なら一品サービスとか…その程度が嬉しいかなー…と、自らの体験上思ったりします。

このあたり感じることとか考えは、人それぞれの価値観ですけれど。

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さて、少し話変わって、下記はこれまた懐かしい占い師時代の話。
バブルの頃は、イベントの仕事が多く、報酬も美味しいものでした。日本中がクレイジーだったあの頃・・・毎日がお祭りのような、浮き足だった当時のことを、時おり、ほんの少しだけ、懐かしく思うこともあります。

もちろん、あの事象が決して好ましい状況とは思いません。地上げの問題は多くの悲劇を生みましたし、物質主義の風潮やら、よろしくない文化も生まれて、人々の心も都市も荒廃し、その後にあまりにも痛いツケを残すことになったけれど、あの日々を経験した人にとっては、まぶしい季節でもあったかな。(ああ、年がバレる)

さて、話を戻して。

最近のことは知りませんが、当時は、企業がなんらかのイベントを主催するときに占い師を呼び、「無料」にてお客さんたちに占いをサービスするというようなことが多々ありました(実際は間に依頼されたイベント企画会社がやってることですが)。

それは臨時のデパートの占いコーナーのようなものでもあったり、パーティ会場での余興みたいなものであったり、ショールームや展示会のような場であったり、大規模な豪華客船での宿泊付き長期的な滞在から、商店街の夏祭り的なものまで大小種々様々。時に裏方さん仕立ての、とても立派なブースが作られることもあったり、ともすれば机と椅子を置いただけ(クロスは持参)の簡易でちゃちいものであったり、やりやすいところもあれば、やりにくいところもあり…でしたかね。食事付きドリンク付き休憩室ありみたいなのから、着替えはトイレでみたいなとこもww

で、たいてい無料か、もしくは通常より破格の料金で、になるのですが、無料占いほど、しんどいときは無かったりするのです。
地方のデパートで、普段占いコーナーが無いところに行くと、無料とはいわず、それなりに料金を頂いたりするんですが、(イベントだと予め日当が決まっているので、お代は企業が管理します) そんなに並ぶほどお客さんが来るわけではなく、混み具合によって時間が調節できるといいますか、空いている時は一人ひとりに時間を割くことも出来たりするのですけれど、「無料占い」だと、絶対にそうはなりません。

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タダで占ってもらえる…となると、普段占いに来ないような人も来るというか、占ってもらわなくては損!とばかりに、ものすごい行列が出来てしまう。整理券配って、何名様まで・・・としてくれればいいのですけれど、たいていのところは無制限で、見れるだけ見てくれ・・・となったり。
(すべてお客様で、集客と宣伝のためのイベントだから、そうなりますね)

すると一人当たり「五分でお願いします」とか、下手したら
「一言二言、適当なこと言って、出来るだけたくさん捌いてください」

そんなアータ~「無理!」・・・と言いたいですけど、言えるわけもなく。

で、「無料」だし、余興(イベント)の占いだし、気になることちょこっと聞いてみよー! みたいな軽いノリのものだったら、さらっと流してと言うことも出来るのですけど・・・いえホントは、イベントでの無料占いなんてそんなんでいいはずなんですけど・・・

無料占いに来るお客さんほど、そうじゃなかったり。

なんだかなって思うのですけど、無料でたくさん捌かなくちゃ、って大盛況で行列できているときほど、ヘビーかつハードな相談事の人が来ちゃうのでした。明らかに、五分なんかって無理!って言うような相談ばかり。

例えば、お客さんの「状況説明」だけで軽く10分は話されてしまう、とか。
占いというよりも、人生相談で愚痴で、それは懺悔ですか?と言うような、
延々と「聞いて下さい!」と、みのもんたさんにバトンタッチしたくなるようなのとか、家族全員(しかも二世帯8人分)の名前と誕生日を書いた紙を持参し、「全員の詳細な運命とこれから、+子孫繁栄」について見てくれ・・・とか。あまりにも込み入ってて複雑な悩みで、ブースの外に待っている人に聞かれるのも憚られるような深刻な相談とか。

うーん・・・。イベントの簡易な無料占いなんかでなくて、じっくり時間とって真剣に取り組める、有料の占いに行って下さいよ!と、言いたくなるようなケースが多かったですねー。

それでいて皆腰が重く、「すみません。一人5分しか時間がないんですよ」

と、お断りしてもなかなか…見かねたイベント担当者がその旨伝えても、ゴネる人はそれなり。

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まあ、言えていることはよっぽとヒマな場所でない限り、イベントの無料占いで、きちんと相談に乗れることは不可能。けれど、上記の例として出したような人たち…「無料占い」にガッツリ来る人って、「お金」を払ってまではイヤだったりするのね。

なんていうか、自腹を切って、自分の人生を改善するための投資は決して選ばない人たちなのです。悩んでいる、問題だ、知りたい・・・と言いつつ、お金は払いたくない安く済ませたい、得をしたい、という気持ちが強くて。まーだから、いつまでたっても、「解決」しないわけなんですけれど…解決しようと、積極的に行動しないから

そういう意味では「お金」を支払うという行為は、お金を払ってアドバイスを求めるという自己投資であり、その人の覚悟の現れ、問題意識の高さでもあるのでしょう。形はどうあれ、積極的に自分の問題を解決しようというリアクションでもあり。

「タダ」で提供されることで「得」をしようとする人たちと一件「損」とも取れる「対価」という代償を払うことを選ぶ人たちと、その間にあるのは、そうした「差」なんだよなあ~ と思いつつ。

これは占いやスピリチュアルなことに限らず、人生全般全てのことに言える事ですよね。知識を得ることや、資格や技術を習得することもそう。

無料で得られるサービスを利用するのも賢いやり方だけれども、無償で提供されることばかりに頼っていては、それ以上のものを得ることは出来なかったりします。

もちろん、お金を払って通ったからといって、その時間、学んだことをすべて吸収して、役立てるということも無い。一のことから十を学べる人もいるけれど、十のことから一しか学べない人がいるように

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また、提供されているサービスが、設定されている料金に見合った内容のものであるという確実性・保証も無い。それに、価値ある経験というのは、お金に換算出来るものでは無いし。

まあ、でも、タダで提供されるからといって、必ずしも「良くないもの」と言うことも無く、掘り出し物があるのは事実だけれど、すべての人が受けられる「安いサービス」ばかりに頼っていても、その人が本当に必要としているものに出合える確立というのは少なくなるばかりで、「質の高いサービス」受ける機会を逃していたりするんですよね。

有料無料に関わらず、本当に自分にとって必要で、価値のあるものに、時間もお金も使って頂きたいものです。

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【おまけ】

ここ数年、イベントの仕事はしていませんが、都内はともかく、地方などに出張に行けるのは楽しかったですよ。泊まるのはだいたいビジネスホテルで、感覚としてはサラリーマンの出張と同じですが。

宿泊は当日か前日のみで、長逗留もしないから、観光をする時間こそ無いものの、その土地の食べ物を食べたり、見知らぬ景色や街の雰囲気を楽しんだり、新幹線や飛行機の移動中(とくに帰り)、駅弁を食べ、ビールを飲んだり…とかとかw 

出来るなら、観光もしたかったですけどねっっっ(笑) 金沢とかせっかく行ったのに行っただけで終わってしまったっっっトホホ

そうそう変わったところでは、企業ではなく、個人の依頼で地方に行くこともありました。何人かの人たちがグループとして、私の交通費と宿泊費を割り缶で出し合って、呼んで下さったというもの。
確かに、個人一人ひとりが都内に出てくる交通費などを考えたとき、複数の人がサービスを受けたい場合には、一人分の旅費と宿泊費を人数分で割るほうが安いですものね。

温泉宿の部屋カラオケBOXの中で仕事をするというのも、とっても新鮮で、面白い体験でした。

で、泊まったお宿の露天風呂がサイコーなロケーションだったなー。
(山菜料理がめっさ美味しかったでーす)

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