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Agri Art 自然農とフードフォレストの拠点を見つけました

映画監督・映像作家の速水です。
東京と茨城の二拠点生活をスタートし1年少し経ちました。
茨城の里山では空き家を賃貸で借りながら、自然農で行うの農業体験の場所を作ったり、林業を学び使われなくなった山林の活用を計画したり、子供が遊んだり学んだりできる里山自然体験の場を作ったりしてきました。

2021年は、沢の水だけで作る、無肥料・無農薬のイセヒカリを作るため多くの大人と子供の参加の元、耕作放棄地を整備して、田んぼを作り、種まき、田植え、収穫、オダガケ、脱穀など行いました。そのために水路づくりにも奮闘しました。

イセヒカリの発芽
イセヒカリの芽が出ました!
農業体験イベントはいつもにぎやかです🌾

水の流れは日々変わり、水路の状況も自然の力で徐々に変化する。土や砂利、石の形状もかわる。1回ではすべては理解できません。少しずつ変化を捉えながれ自然のあり方、人のあり方を学んでいる感じで新鮮でした。

フードフォレスト

お米作りと並行しフードフォレス、つまり「食べれる森」を作りたいと、林檎や梨、柚子、クルミ、どんぐり、銀杏の種を蒔いて見ました。あえて山の寒い冬を経験させるために越冬させて、自然のままに育てましたら、春になってじわじわと目が出てきました。

どんぐり山公園で拾ったクヌギのどんぐり
ポットを購入し種まき実施!トトロの森ができるのか!?

植えるはずだった借りた森は、木材協同組合の伐採計画が大幅に遅れたことで使用を断念。芽を植える場所が見つからず自宅の前のファームのポットの中で引越し先待ちになっていました。中にはポットの底を突き破りファームに根をおろしてしまったものもあります。

クヌギの芽が出たときの感動!!

冬の期間には地元では有名な木こりの第一人者の方の下で修行を受けました。伐採の基礎や心得を学びました。

そして本年、ついに腰を据えて活動できる場所が見つかりました。
2世帯で住めるように設計された平家の日本家屋で一目惚れです。
その家は使われなくなった農地に囲まれていて、僕が今後開拓しても良いと許可をいただいている場所。

近くの棚田と里山も丸ごとお借りすることができました。オーナー様のご理解のおかげで来年からは、次世代のための新しい自然体験、ライフスタイル、教育と文化の場作りができそうです。

農業や自然体験希望する参加者に泊まっていただける場所にします♪

WISH HOUSEとは?

半農半Xって聞いたことありますか?
つまり、農業をやりながら他の仕事(なりわい)を持つ生き方のことです。
僕の場合は本業が映画・映像です。それと並行して農業や林業に関わったりしています。これからの時代は一つの仕事だけをこなし続けるライフスタイルが主流ではなく、個人が持つ様々な才能や興味を伸ばしていける時代。
昔の人が百姓と呼んだ背景に「100のなりわい」があるそうです。昔の人は多様で多彩なライフスタイルを持っていたんです。
そんな時代を後押しできるコミュニティ作りがしたいんです。

オダガケの様子

具体的には例えば、お米や野菜作りが素人でも楽しみながら体験できる場所を作ります。一緒に耕作放棄地を開拓して荒れ果てた過疎の里山の再生を楽しみながら行います。大人も子供も一緒になって。
将来的にはそこから加工品を作ったり、食物を出荷したり、子供食堂へ提供したりしたいですね。

また子供たちの教育の場、フリースクールのような森の保育園?小学校?みたいな場所にしていきたいです。

田舎の課題は、人口減少、空き家、雇用。雇用がなければ移住者には厳しい側面がありますが、遊びで始めた自然農がいつしかフードフォレストになれば、それを雇用に変えていけます。実際にすでに先に移住された方が農業で雇用を促進している実態を見ています。これから増えていくのではないでしょうか?

農業という姿

福岡正信先生の粘土団子づくり!芽が出ました!

僕は農業という言葉は本当はあまり好きではありません。戦後の大量生産、大量消費によって農水省や農協の指導で今の農業が産業として成り立っています。いい部分もデメリットもあります。それは業としてみた場合に、食の安全 VS 大量生産という視点になりがち。例えば、農薬をまくことで沢山安定的に食料が調達できる。それを良しとするか否か。

自分はそこの強調したいわけではないんです。自然農と言えば福岡正信先生が有名ですが、彼の著書にもあるように、農というものは本来は「工業製品」を作る視点で見るものではないんです。人の生きる道に関わることなんです。

現代の慣行農法が良いか悪いかは別として、(その議論にあまり意味はないと思います。それはそれぞれの視点やそれぞれの正義によって見え方が変わるからです)、現代の作り方は工業製品と同じです。同じ型枠にはめて作れば同じものが沢山できる。

それはそれとして、戦後の日本教育を考えてみてほしいのですが、「知識」「知っている事」「答えを出す事」を正しいとしてきました。しかしヨーガの哲学にもあるように、「知らない」ということにこそ人の可能性、人類の可能性が詰まっています。AIが発達した今の時代です。知識の価値(記憶力や答えを出す力)はますます価値を失います。

知らないという視点は非常にワクワクします。常に自然を観察して、何か発見があるからです。知ったと思い込んだ瞬間に大切なことは「答え」というロジックになってしまう。答えの背景には必ずそれぞれの都合や正義が潜んでいます。

僕は映画作りという芸術分野からそれを学んだし、福岡正信先生からも学んだし、ヨーガの師匠サドグル先生からも学びました。

人にとってロジカルであろうとすることは反射的に脳が行ってしまうのですが、本来人はそれを俯瞰して、別の可能性を探ることのできる能力が授けられています。

自然農のじゃがいも!沢山とれました!

農業という言葉は好きではありません、その理由は今書いた通りの哲学をその言葉は含んでいないからです。

でも英語にするとAGRI-CULTURE 文化という言葉があるんですよ。
これはサドグル先生から学びました。農というライフスタイルにはカルチャー「文化」があるんですね。

そんな場所を作っていきます。是非遊びにきて体感してください。
土を再生して、水脈を再生して、良い里山を次世代に残したいです⛰

https://www.facebook.com/wishhouse.miwa

コナラの芽が出ましたよ♪


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