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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第2話

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第1章 村祭りの夜のできごと

2 腐った弁当

「旦那様、あの……」
 障子の向こうから聞こえる下男の声に、利蔵はうんざりとしたようにため息をつく。
 時刻は七時前。
 今日も多佳子がやって来たのだ。
 下働きの男に追い返せ、と怒鳴りつけたくなるのをこらえる。
 いったい、今日は何の用でやって来たというのか。

「今行く」
 乱暴な口調で答えると、下男は怯えたようにすごすごと引き下がった。利蔵はばつの悪さを抱く。
 使用人に八つ当たりをしても仕方がないことだと分かっているのに。
 利蔵は多佳子が待つ表門へと向かった。
 門に向かう途中、何人かの使用人とすれ違ったが、みな利蔵の険しい表情を見て怯え、廊下の端へと身を寄せた。
 苛立たしげに門を開き、厳しい目でそこにたたずむ娘を見下ろす。

「今日はいったい何の用だ?」
 おのずと口調が荒くなる。
 多佳子は抱えていた風呂敷に包まれたそれを、ぬっと差し出してきた。反射的に受け取ってしまい利蔵は躊躇する。
「これは?」
「つくった」
 多佳子から受け取ったそれに視線を落とし、利蔵は眉を寄せる。

 ずしりと重い。
 何だろうか。
「作った?」
「利蔵さんのため」
「僕のため?」
 吹き出物だらけの頬を赤らめ、多佳子はニっと笑って、きびすを返し走り去って行く。

 なんなんだ。
 相変わらず多佳子の行動は理解しかねる。
 それにしても、あの娘はいったい何をよこしてきたのだろう。風呂敷に包まれているそれは四角い。
 作ったということは、もしかして手料理か。
 首を傾げながら利蔵は台所に向かい、多佳子から手渡されたそれを食卓に置き、薄汚れた風呂敷を解く。重箱であった。
 嫌な予感を抱きつつも、怖々とした手つきで重箱の蓋を持ち上げる。

「なんだこれ!」
 中身を見て利蔵は声をつまらせた。
 すべて多佳子が作った料理なのだろうか。
 驚いて声をあげたのは、そのできばえであった。
「旦那様、お弁当ですか? うっ!」
 集まってきた女性の使用人たちも、中身を見て顔を引きつらせた。

 最悪の代物であった。
 煮崩れて真っ茶色になった煮物。何をどうしたらこうなるのかと思うほど、ドロドロにとろけた山菜。他にも何を作ろうとしたのか分からないものが重箱に詰められていた。

 ふっと鼻先をかすめる異臭に、利蔵は目を細める。
 中には痛んだものもある。
 人に食べさせる料理のできばえではない。それどころか、これは嫌がらせだ。
 さらに、煮物の間から太く長い黒髪が絡まっているのを見つけ、利蔵の口から呻き声がもれた。
 よく見れば、蕨のおひたしにも髪の毛が絡まっている。それも一本や二本ではない。

「あの……蕨の下の、黒いかたまりは何でしょう?」
 下働きの女性の一人が怖々と訊ねる。
 利蔵は手にとった箸の先で、蕨のおひたしを横によけた。
「う……っ」
 再び利蔵の口から呻き声がもれる。
 それは、髪の毛の塊であった。まるで、風呂場の排水溝でしばらく放置されたそれのように、ドロドロになり悪臭を放っていた。
 利蔵は側にいた下男に重箱を押しつける。

「捨ててくれ」
「へえ」
「それから今後、曽根多佳子がやって来ても僕に取り次がないでくれ。追い返せ。皆にもそう伝えておくように」
 下男はへえ、ともう一度うなずいた。

 今後、多佳子がやって来たら追い返せと使用人に命じたこともあり、翌朝は彼女のことにわずらわされることもなく朝を過ごせた。
 午後過ぎ、利蔵は村の会合に出席するため屋敷を出る。
 門を出て歩き出したところで、目の端に人影を見つけ足を止めた。
 振り返ると、門の陰に多佳子が立っていた。

「君……」
 利蔵は嫌悪の混じった表情で多佳子を見る。
 いつからそこにいたのだろうか。
 もしかして朝からずっと? こうして僕が屋敷から出てくるのを待っていたのか。
 振り返った利蔵に多佳子はにっと片方の唇をゆがめ、笑いながら問いかけてきた。

「たべた?」
 多佳子の問いかけに利蔵は一瞬口ごもる。
「あ、ああ」
「どれがおいしかった?」
「どれって……」
 遠慮なく多佳子が見つめてくる。
 何を勘違いしているのか、口調も慣れ慣れしいものであった。
 捨てたとは言いづらいこともあり。

「どれも、おいしかったよ」
 と、嘘をつく。
 視線を落とすと、多佳子の手にはまた風呂敷包みがあった。
 大きさからして、また重箱に入った手作り弁当だろう。
 無言で差し出してきたそれを利蔵は手で遮る。

「もうこういうことはしてくれなくていいから。気持ちだけでじゅうぶん。悪いけれど僕も忙しい。毎日こうやって訊ねてこられても困るんだ。いや、正直迷惑だ。僕はたまたまあの祭りの日、君が転んでいたのを見かけ、手を貸しただけ。それだけのことだ。あの場で転んだのが君でなくても、僕はその人の元に駆けつけた。分かるかい? 君が特別だったわけではない」

 これだけ言えば彼女も分かってくれるだろう。
 少々厳しいことを言ったが致し方あるまい。しかし、この時まだ利蔵は多佳子のことを何も分かっていなかった。
「利蔵さんがすき」
「は?」
 思わずぽかんと口を開けてしまう。
「利蔵さんも、わたしのことすき」
 話が通じないのか?
 上目遣いで見上げてくる多佳子に、利蔵はぞっとしたものを覚えた。

 村の会合の延長でみなと酒を飲み、夜遅く屋敷に戻ると、いつもはとうに床についているはずの世津子せつこ(事実上、この利蔵家を切り盛りする大奥様と呼ばれている人物である)が待ちかまえたように玄関先に立っていた。
「どうしたのですか。そんな怖い顔をして」
 いつものごとくまた、使用人の不行儀に腹をたてて愚痴をこぼしにやってきたのだろう。
 こんな時間まで起きて待っていたということは、よほど我慢できないことがあったのか。

 疲れて屋敷に帰ってきて、彼女の愚痴につき合わされるのもしんどい。
 とはいえ、無下に扱えばさらに愚痴の嵐が降ってくると苦笑する利蔵であったが、彼女の次の言葉に利蔵は凍りついたように固まってしまう。
「門の前に毒の入ったお重箱を捨てていく人がいるのだけれど、いったい誰なの?」
「毒の入った重箱?」

 誰と聞かれずとも、利蔵にはじゅうぶんすぎるほどに心あたりがあった。
 なぜなら、出かける直前、門の脇に立っていた多佳子の手にそれが抱えられていたのだから。しかし、毒入りとはどういうことだろうか。
「毒入り?」
 あの娘がそんなものを僕によこそうとしていたのか。

 確かに、目に毒ではあったが、しかし、いくらなんでも。
「その中身を食べた野良犬が、血を流して死んでいたのです!」
 徐々に怒りが込み上げてきたのか、世津子の口調がきつくなる。
「まさか」
「まさかですって? 事実です! その証拠にお重箱の中身からとてつもない悪臭を放って! いったい誰があんな悪戯をしたというのです!」
「それは……」
「この、利蔵家に嫌がらせをするなんて、許しません!」

 怒りで興奮しているのか、世津子の顔は真っ赤であった。
 いや、毒入りのそれを意図的に置いていったとなれば、それはたんなる嫌がらせではなく、もはや立派な犯罪だ。
 だが、あの娘がそこまでするのであろうか。少々きついことを言ったが、殺したいと思わせるほどのことでもないはず。
「ほんとうに毒が入っていたのですか? その重箱を最初に見つけたのは誰です?」

 すると、世津子の背後で縮こまっていた下男の一人が、おどおどした様子で、自分が見つけたというように片手をあげた。
 彼も仕事で疲れているだろうに、世津子につき合わされこんな時間まで当主である自分の帰りを待たされていた。
 利蔵は男にその時の状況を話すよう求める。
「はい……お、俺……いえ、わたしが見たのは……」

 緊張しているのか、下男は自分がその時見た状況をつっかえながら語り始めた。
 門の脇に重箱が置かれ、中身が散らかっていたこと。その中身を、野良犬が食い散らかしていたこと。
「で、でも、おそらく野良犬は殴られて死んだのだと思います……まだ子犬でした。そ、側に血のついた木の棒が落ちていて……い、犬の顔が……」
 そこで下男は言葉を切った。唇が震えている。

「どうしたのだ? 続けなさい」
「は、はい……犬の顔、いえ、頭がかち割られ、の、の、脳みそがこぼれて地面に……目玉も飛び出して、その目玉も踏まれたような」
 咄嗟にもうそれ以上はいいと、利蔵は顔を歪め下男を手で制した。
 想像するだけで、吐き気がしてくる。
 だが、話を聞く限り、下男の言う通り毒ではなく野良犬は激しく殴打され死んだのだ。

 おそらく通りかかった子どもの悪戯か。
 時に子どものやることは残酷だ。子犬だから襲ってきても怖くないと思い、加減もなく面白半分で叩いたのだろう。
 それもこれも、すべての元凶はあの多佳子のせい。
 だがあの時、多佳子が持っていた重箱を門に置きっ放しにしていくなど、誰が想像しようか。常識外れもいいところである。
「とにかく! 明日にでも犯人を見つけ出して問いつめます! 事と次第によっては、この村から追い出してやります」

 よほど腹を立てているのか、世津子はこめかみに青筋を浮き上がらせている。
「まあまあ、どうか落ち着いてください」
 とにもかくにも、多佳子が関わっているということは、できることなら伏せたい。あんな女につきまとわれているなどと知られるのはいい恥だ。
「これが落ち着いていられますか! あなたも利蔵家の当主ならしっかりしてください!」

 その場で足を踏みならす世津子に、利蔵はこっそりとため息をつく。
「分かりました。では、朝一番に警察を呼びましょう」
 警察と聞いた途端、世津子は口を噤み固まる。
「確かに毒入りの重箱をわざと置いていったとすれば、これは犯罪です。ならば、警察の方にお任せした方がいいでしょう」
「警察だなんて……それは困ります! 利蔵の家の恥です」
 思っていた通りだと内心思いながら、利蔵はにこりと笑う。
 家の体面を気にする世津子なら、警察沙汰にするのは避けたいはず。

「では、この件は僕に任せてくださいますね」
 世津子は、渋々ながらも頷いた。
「ほら、あまり興奮なさるとお体にさわりますよ。この間も血圧が高めだと八坂やさか先生に注意をされたのでしょう。この屋敷をとり仕切るあなたが倒れたら、僕はどうすればよいのです? 当主とはいえ若輩者。まだまだあなたのお力を借りなければこの家を切り盛りなど僕にはできないのですから。ね? それと」

 利蔵は側で立ち尽くす下男に視線を向ける。
「君も遅くまですまなかったね。もう部屋に戻りなさい」
 ようやくこの場から解放されることを許された下男は、ほっと息をもらし立ち去っていく。
 現当主である利蔵の気遣いに、世津子はようやく落ち着きを取り戻す。

「とにかく、このことは僕に任せてください。嫌がらせをした者を見つけたら厳しく言い聞かせておきます。さあ、今日はもうお休みになったほうがいいですよ」
 何とか世津子の怒りをおさめた利蔵は、相手の背に手をあて部屋に行くよう促した。
 部屋に戻っていく彼女の背を見送り、息をつく。
 思っていた以上に、事態は深刻になりつつある。
 もうじき行儀見習いをかね、許嫁がこの屋敷にやって来る。
 その前に多佳子の件も片付けなければならない。でなければ、許嫁にもよけいな心配をかけてしまう。
 大事な祝言を前に、面倒ごとは避けたい。

 今となっては、あの祭りで多佳子に親切心を起こして声をかけたのは失敗だったと後悔する。
 助けなければよかった。そうすれば、ここまで執拗に多佳子につきまとわれることもなかったであろう。
 多佳子に会いに行くのはどうにも気が進まないが、明日、あの娘のところに行き、はっきりと言ってやらねばならないと利蔵は心に決めるのであった。


ー 第3話に続く ー 

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