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自分への「執着」を捨てることが究極の「愛着」

金子みすずもうんざりしてるって。

世の中生きにくいって。

『もっと個を確立すべし!』『自己ブランディングを!』『自分自身を見つめなおし、自分を磨きなさい!』とかそんな情報や自己啓発書籍ばっかり。煽るな煽るな。そんな格言というか戯言みたいので変われるんなら、人間苦労しない。偏らせるな。暑い暑い。なにかに執着させるな。金子みすずさん言ってたよ「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」んだって。そのままの自分ですでに他とは違うし、すでに価値があるんだって。

そうはいうものの資本制ジャパンでは、個を確立すれば希少価値が上がり、周りから気づかれやすくなる傾向はもちろんある。僕は正直疲れる。でもまぁそんな圧力には脇目も振らず、比較的ラクに生きている人たちがいる。僕の周りにもいる。一定数いる。そんな人たちはたとえ仕事が大きく変わっても、SNSの時代ダァなんて言われても、コロナ下で外出やら制限がかかっても、気にせずいつものんびりしていて、洗練された安心感があって、きっと肩に小鳥が止まれば、鳥は逃げだすどころかノンレム睡眠に入るだろう。なんというか、共通していえるのは、肩の力が抜けていて自由なんだ。せかせかしてないんだ。

自分の理想化と過大期待

んでだ。じゃあ逆になんかしらに囚われて、せかせかしてそうな人の特徴ってどんなだろうかと、過去を遡ってみた。

・自分超キライ。
・自分超好き好き大好き。

こういうタイプ。

好きと嫌いは反対の意味だけど、上の二つは共通してるものがある。それは、どちらもそのままの自分を受け入れられられず、あるがままの自分に嫌悪感を抱いているということ。そんな人は興味の対象はいつだって自分自身。

自分超キライ!な人は「こんな自分は自分じゃない!」と、本当はこうありたいのにという理想に対し、コンプレックスを抱き、自分を否定している。過小評価しちゃってる。
いやいや今の自分をリスペクトしなよ、すでに君は十分素敵だって。

自分超好き好き大好き!な人だって実は同じ。「こんな自分は自分じゃない!」と今の自分を受け入れられないから、ありたい姿に本当の自分の姿を見出そうとする。過大評価しちゃってる。
いやいや今の自分をリスペクトしなよ、すでに君は十分素敵だって。

自信もいきすぎれば、全能感とか自惚れにつながる。自信なければ常に悲観的。どっちも魅力的な自分に恋焦がれてるナルシストちゃん。

自分へのパワフルさがうらめっちゃってせかせかしてたりするけど、まぁでも、逆そんなとこもすんごく個性的で俺はいいと思うよ。

ひとまず変態仮面の映画を観てほしい。

登場キャラ、結構変態。そして実は哲学チックな作品。

主人公の狂介は普通の男子高校生で、パンツをかぶると超人的な力を発揮する。正義のヒーローでありながらも、変態な格好をしていることで葛藤していく。正義の名の下に勧善懲悪をしていく中で、次第にそんなアイデンティティも受けとめられて自信がついていくけども、ラスボスとして戸渡先生(やっぱりこの人もマスクかぶってる)が現れる。

戦闘シーンでは、どれだけ変態の極みであるかの勝負になる。主人公は戸渡の猛烈変態っぷりに自分は一人前?のアブノーマルではなくただのノーマルであるとアイデンティティを否定された気になり、自信を喪失し、敗北を喫することとなる。

人はときに個性や肩書きに「ネタ」を作ろうとする。他の人と違うことを求める。だが、追求すれば、一角の何かを極めれば、自分を認められるのかといったらそうでもないのだろう。

戸渡はこういう。「自分はパンティーにさえ侮辱されている」と。

理想の自分であるために何かを追求した結果、なぜか自己否定に陥る。自分を好きになろうとすることは、自分に愛されるわけではいのだ。

いずれにしても今の自分に満足してないからそういうことをする。いつだって主観フィルターでソレをみるんだ。究極の自己愛。中国風にいえば、自恋。

良いところも悪いところも自分都合で一面的にしかみてないのだ。好きなアニメのキャラを想像して欲しいが、大概の人はいいところしか見てないのではないか? アイドルだってうんちをする。

恋は視野を狭めるし、歪ませる。恋は盲目。

『こんな私が大嫌い』

中村うさぎの著作『こんな私が大嫌い』では、自己嫌悪する主人公に一つの処方箋が出される。

それは、過大評価も過小評価もあかん!ってこと。

いいところも悪いと思うところも正当評価。主観でねじ曲げない。中途半端でもいいっておもうこと。

例えば、友人に対しては普段は冷静さを心掛けているとする。けど、そのときたまたま虫の居所が悪く、友人のささいな一言につい怒っちゃったとする。

自分を認められていないと、きっと「なんで怒っちゃったんだ!なんで冷静でいられなかったんだ!こんな自分じゃダメだ」なんて冷静になったときに自分を責めちゃったりするかもね。

でも、そう思ったのは事実なんだし、そのまま受け止めていいのよ。

客観的自分を中継してみよう。そんでギャグにしちゃおう。ふふっと笑っちゃおう。

「いつも冷静でいよう、とか思ってるわりに、怒ることもあるんだねぇぇぇぇぇ!結構、人間人間してますねぇ、おもろっwwwwwwww」

これでいい。

俯瞰+ユーモア=超ラク。

人は完璧を求めるものだけど、中途半端でいいのだ。そんな自分を第三者視点で俯瞰しておもいっきり「おもろっっっw」って肯定すればいい。

・受験生なのについゲーム3時間しちゃったわ、おもろっっっw
・なんか偉そうな人と話してついついちょいよくわからんカタカナ語使っちゃってたわ、おもろ
・仲良くしようと思った人なのについうざいこと言っちゃったわ、おもろっっw

みたいな感じ。

『私以外私じゃないの!』より大事な、『自分だけど自分じゃない!』

そうして適度に幽体離脱して自分をみてみたら、ちょっとは楽になるかもね!

ここらで2000字超えてきちゃったんで、そろそろ手を止めるけど、要は言いたいことは、

自分を愛したいなら、

自分を愛したいなら、

「自分」への執着を捨てよ!他者の如く見よ!そして自分を笑えあざけろ!

たったそれだけ。

ここら辺を極めることに最強さを見出した人たちがいるので紹介してみる。

伝説の剣豪である宮本武蔵の名著『五輪書』原文の兵法三十五箇条にはこう記されてある。

一、兵法、上・中・下の位を知ること。

兵法に、身構えあり、太刀にもいろいろ構へを見せ、強く見え、早く見ゆる兵法、これ下段とするべし。……(略)……上段の位の兵法は、強からず、弱からず、才らしからず、速からず、みごとにもなく、悪しくも見えず、大きに、直ぐにして、静かに見ゆる兵法、これ上段なり。よくよく吟味あるべし。

また、東洋哲学の儒教では、中庸の思想が理想といわれているし、西洋哲学ではアリストテレスが勇気も過剰すぎれば無謀だし、足りなすぎれば臆病であるという。

ここらへんに共通しているのは、自分を極めたいなら、過不足なく、過剰と不足の調節がめっちゃ上手になれよっていうこと。

別に中間とって個性なくせってことじゃないよ?
もう個性はすでにあるんだから、you受け止めちゃいなよってこと。

自分を愛したいなら、

「自分」への執着を捨てよ!他者の如く見よ!そして自分を笑えあざけろ!

以上。


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