こうこう@愛を筋トレ

モバイルハウスで自由を片手に日本周回中。 夢はばあちゃんと原付ツーリング。

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最近の記事

曖昧さの綱引きの先に

僕らは、自分と他者、自分と自分の対立の中で揺らぐ。 僕はボードゲーム のお店を運営している。共同経営という立場ゆえの悩みであるが、利益の追求とお客さんがより居心地がいい空間の両方を貪欲に求める。 共同経営のAは言う「もっと〇〇であるべきだ。」 共同経営のBは言う「もっと△△であるべきだ。」 20:80? 60:40? それとも100:0? ここで、正しさを求めるための綱引きをする前に、まずは認めたい。 一つの事実を。 それは願いだ。お互いの『願い』だ。 その願

    • 「ありのまま」「今のまま」の話

      有名な大学に入り、有名な企業や安定した行政で働き、若いうちに結婚をし、御近所さんとも中の良い関係性を気づき、しっかりと貯蓄を蓄えつつもいい車を乗り回し、郊外に立派な一軒家を建てて住むというような分かりやすいある種のテンプレ的なストーリーを量産する世の中は終焉を迎えつつある。 もっと時を遡り、江戸であれば、士農工商という身分制度の中で他人と比べて悩み続けることもなかっただろう。「おたくは農業やってらっしゃるんですねぇ」「ええ、あなたは職人さんですかぁ」「ふうん。」みたいな感じ

      • 身の丈を知るよね、という話。

        日課になっているこのnote。書きたいことの根底にあるのは、苦手な自分を客観視してみたいということ。 ビジネスマンでもスポーツでも、そう。成果の出せる者は決まって自分を俯瞰している。自分に何が足りなくって、何が他の人より個性があって、何がわくわくさせるものなのか。強き者は自分を知っている。 だから見る。文を書く自分を。限りなく幼稚で稚拙でどうしようもない自分を。 大人になればなりほど、できないことほど積極的にやりたがらない。そうだろう。だから俺は文を書かなかった。強みを

        • モバイルハウスでの生活は、淡々とした孤独な作業。

          モバイルハウスは、足がある家だ。トラックやキャンピングカーなどで自由に移動しながら暮らす。自分は6mトラックの荷台に家を作り、人が入るほどのでっかい箱を積み、その中で適当に生活している。 土地に縛られずに住むため、いわば不動産ならぬ可動産だ。 荷台に人の入る箱をなぜ定住する場所を持たず、常に移動しながら過ごすのか。 持ちたくないからである。 定住地を持つと僕らはため込んでしまう。その場所に関する時間を。守りに入る。その地を基準に固まる価値観が。留めておきたくない。

        曖昧さの綱引きの先に

          自分への「執着」を捨てることが究極の「愛着」

          金子みすずもうんざりしてるって。世の中生きにくいって。 『もっと個を確立すべし!』『自己ブランディングを!』『自分自身を見つめなおし、自分を磨きなさい!』とかそんな情報や自己啓発書籍ばっかり。煽るな煽るな。そんな格言というか戯言みたいので変われるんなら、人間苦労しない。偏らせるな。暑い暑い。なにかに執着させるな。金子みすずさん言ってたよ「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」んだって。そのままの自分ですでに他とは違うし、すでに価値があるんだって。 そうは

          自分への「執着」を捨てることが究極の「愛着」

          関係性を固定しないということ

          こんにちは 富樫こうこうです。 先日、かねてよりの友人が結婚しましたが、そういえば6月はジューンブライドでしたね。 新郎の出会いの話を聞けば、「私の恋から始まった結婚でした。今でも恋をしています」とのこと。まぁ大切なお二人が笑顔でいるからまぁ嬉しいっちゃあ嬉しいんですが、なんかこう「恋から始まった〜」と聞くと、ざわっとした一抹の不安が残るわけです。(二人に「お」をつけるとなんか離れた感じするよね) 「それからめでたく仲良く幸せになりました。ちゃんちゃん」って綴られないお

          関係性を固定しないということ

          エモい文を書いてみたくなった話

          太陽より早起きした私は、眠たい目を擦る。気怠さを感じる。おもむろにぐらぐらと手に取ったスマホのブルーライトを浴びる。力強く怒鳴るアラームを止めにかかる。 まだ、なんとなく気だるい身体をよじりながら止めようとした指はスマホの緊急アラームを押してしまい、慌てふためく。出不精の私。こんな特別な朝だからこそ、馴染みのあるくたくたの靴に足を雑に入れ、仄暗いグレーの空へと、混沌とした世界へと続くドアノブをよじり、右足を一歩踏み出す。坂をくだる。なぜ、私はなぜこの未知に配達されたのだろう

          エモい文を書いてみたくなった話

          金魚の姿や色は、丁寧に月日をかけて人間が作り上げた人工物だ。元々はただのフナ。水を変えなかったり、手入れをせず、雑に飼うとフナになってしまう。自分の所作も先祖返りするフナにならないように戒めたいところ。

          金魚の姿や色は、丁寧に月日をかけて人間が作り上げた人工物だ。元々はただのフナ。水を変えなかったり、手入れをせず、雑に飼うとフナになってしまう。自分の所作も先祖返りするフナにならないように戒めたいところ。

          全国を回るのに、車内泊をすることを考えるとバンが手っ取り早いし、作るんだったら前例のある軽トラをモバイルハウスにするのがいいけど、1トン車をモバイルハウスにすることをこだわるのは、名の通り、旅するボードゲームカフェを実現させたいから。

          全国を回るのに、車内泊をすることを考えるとバンが手っ取り早いし、作るんだったら前例のある軽トラをモバイルハウスにするのがいいけど、1トン車をモバイルハウスにすることをこだわるのは、名の通り、旅するボードゲームカフェを実現させたいから。

          幸せって感じる時って、四葉のクローバー探してる時じゃなくて、三つ葉のクローバーがあったことに気づいた時だよなぁ。

          幸せって感じる時って、四葉のクローバー探してる時じゃなくて、三つ葉のクローバーがあったことに気づいた時だよなぁ。

          譲り合うためには、冷静さと余裕が必要。だけど、とっさの時こそ譲り合えなくなりがちだなぁ。だからこそ、普段からスタンスと習慣を意識。

          譲り合うためには、冷静さと余裕が必要。だけど、とっさの時こそ譲り合えなくなりがちだなぁ。だからこそ、普段からスタンスと習慣を意識。

          「人へ興味を持て!」という他人の言葉はどうしても受動的で無理する感があるように受け取ってしまう。しかしある時、「その人の興味に興味をもつ」という認識をしてみたら、とても楽になったし楽しく意識できるようになった。

          「人へ興味を持て!」という他人の言葉はどうしても受動的で無理する感があるように受け取ってしまう。しかしある時、「その人の興味に興味をもつ」という認識をしてみたら、とても楽になったし楽しく意識できるようになった。

          初めてカラシナを使って料理する人。 買ったカリンバで練習をする人。 恥ずかしながらも新しいミラーレスカメラで草の写真を撮る人。 すべてその人の中の 心のアンテナにビビッときたもの。 夢中に頑張ってる直向きな姿を見て、応援したいんだろうなぁ。 梅酒飲みながらしみじみ。

          初めてカラシナを使って料理する人。 買ったカリンバで練習をする人。 恥ずかしながらも新しいミラーレスカメラで草の写真を撮る人。 すべてその人の中の 心のアンテナにビビッときたもの。 夢中に頑張ってる直向きな姿を見て、応援したいんだろうなぁ。 梅酒飲みながらしみじみ。

          最近仕事になりつつある、伴走型のコンサル。大事なことは、その人らしい「思い」という原石に気づくこと、そして、一緒に磨いていく仲間であること。安心、発揮、成功などその人によって大切にしたいもの、求めているものは違う。だから、注意深く聞いていきたい。恋愛も仕事もスタンスは変わらない。

          最近仕事になりつつある、伴走型のコンサル。大事なことは、その人らしい「思い」という原石に気づくこと、そして、一緒に磨いていく仲間であること。安心、発揮、成功などその人によって大切にしたいもの、求めているものは違う。だから、注意深く聞いていきたい。恋愛も仕事もスタンスは変わらない。

          意志が弱いし、意識低い系は昔から。だから、モチベーション低くてもいつのまにか行動してしまう習慣化を目指した。マクドナルドで作業する時は、駐車場でモバイルオーダー。するとついついしちゃう車でのグダグダができず、即、店内に入らざるを得ない。《自分の特性を知る×独自の仕組み化》が最強。

          意志が弱いし、意識低い系は昔から。だから、モチベーション低くてもいつのまにか行動してしまう習慣化を目指した。マクドナルドで作業する時は、駐車場でモバイルオーダー。するとついついしちゃう車でのグダグダができず、即、店内に入らざるを得ない。《自分の特性を知る×独自の仕組み化》が最強。

          20年前、地元の商店街にて、ベイブレードというコマをぶつけあう遊びのトーナメント大会で6つも下の弟と対戦した時に心から思ったことがある。 無様に勝つくらいなら、 美しく負ける方がいい。

          20年前、地元の商店街にて、ベイブレードというコマをぶつけあう遊びのトーナメント大会で6つも下の弟と対戦した時に心から思ったことがある。 無様に勝つくらいなら、 美しく負ける方がいい。