「ありのまま」「今のまま」の話

有名な大学に入り、有名な企業や安定した行政で働き、若いうちに結婚をし、御近所さんとも中の良い関係性を気づき、しっかりと貯蓄を蓄えつつもいい車を乗り回し、郊外に立派な一軒家を建てて住むというような分かりやすいある種のテンプレ的なストーリーを量産する世の中は終焉を迎えつつある。

もっと時を遡り、江戸であれば、士農工商という身分制度の中で他人と比べて悩み続けることもなかっただろう。「おたくは農業やってらっしゃるんですねぇ」「ええ、あなたは職人さんですかぁ」「ふうん。」みたいな感じ。

身分観は変わらないため、自分の状況を疑うこともせず、比べることも比べられることもなかった。

だが今は、『ありのままがいい』という分かりやすいフレーズとともに多様性に開かれた世界になりつつあるようだ。

『ありのままがいい』という言葉を私もよく使う。大切な人に対して、「そのままのあなたで十分素敵だよ」「そのままでも十分価値があるって信じてるよ」なんて伝えたりもする。

選択肢が多い今、どんな自分にもなれる中で、せかせかしながら自分に積極的に価値をつけにいく若者は少なくない。

当てはめられた人生を生きなくてもよくなった分、ありのままの自分に価値を感じれなくなった人も少なくない。そしてきれいなところだけを切り取られたSNSの美しき誰かを羨んでは自己卑下に陥る。

そこでカンフル剤のように「ありのままでもいいんだよ」なんてという言葉を言われる。役に立ち切れていない自分はほんとにありのままでいいの?

うん。ありのままでいい。だってさ存在に価値があるんだもん。

金の延棒とか貴金属って価値があるじゃん。逆にトイレットペーパーは価値が低い。でもさ、トイレの紙がない時、お尻を拭く時にはダイヤモンドよりもトイレっっとペーパーの方が役に立つ。

つまり、役に立つことと価値があることは同じではない。あなた以外あなたはいなくて世界にただ一人の選ばれし希少な存在なんだから超絶価値がある。価値の塊。

まぁだけどそれは、逆も言えて、価値があるから何も努力しなくても万事OKというわけではない。ありのままでも価値があるのは、あぐらをかいていればいいこととは異なる。シンデレラのようにある時突然フェアリーゴットマザーが素敵な姿にして誰もが羨む素敵な王子様との縁を結んでくれることは期待できない。ストーリーは自分で作らなければならない。

つまり『ありのまま』で良くても、『いまのまま』は考える余地がある。

華々しくあなたの目の前に映る素晴らしき人たちはマリオカートで言えば既に3周目に突入しているかもしれない、一方、あなたはマリオカートの1周目かも。「あいつもう価値じゃん…」ってやる気失っちゃいそうになるかも。だけど、その3周目の凄そうな人も一歩一歩進んだのは変わらねえ、きっと泥水すすって歩いてきたんだ。ジュゲムに吊られてただそこにいるわけじゃない。今のままじゃダメだと「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」って言って実際に動いてきたやつが高みに登ってる。

対して正直少し前の自分と変わらない自分を見るといやになるよね。わかるよ。なんであの人はあんなに効率よくできるし、称賛を浴びてていいなぁなんて思っちゃう。道間違えちゃったかなぁ。なんて人間ちょっと賢いからすぐ思っちゃう。

まぁでも一歩ずつ進もうよ。

あなたが25歳だとして、25年間でようやく今のあなたが作られていった。

「今のままじゃあかん!」って思って実際行動っしてみてあなたが納得するまでさらに25年くらいかかるかも。それでもその瞬間から昔の自分を見下ろしてみたら「あぁ、ここまできたんだ」って思うと思うよ。

大丈夫、大丈夫だ。

俺ら所詮人間よ。全然変わらないジャン、とちょっと変わったかものループでできてる。

種撒いたってすぐには実らねぇ。全然ミノらねぇじゃんと辛抱ならないと撒いた土の部分を掘り起こしちゃって踏みまくっちゃいそうになったら目が出るまで隣で体育座りしてるからいつでも声かけてよ。

辛抱強く一緒に見届けてくれる仲間ってめっちゃ大事!

まぁ、まとめ的な話をするけども、あなたは既に頑張っている!絶えず進化し続けている、ストーリーを作り続けている!ナイス!

大きく変化してる部分を探すものも大事だけど、「今日も私は頑張っている」。自分を認めてあげよ。

頑張っている自分を積み重ねた先に何もないわけないじゃん!

頑張ってきた自分を思い出してさ。

そんだけ。



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