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夏休みの思い出は、家族で海に行ったこと

「お母さん、夏休みに海に行ったこと覚えてる? あのとき、どうだった? 大変だった?」

え~、と言いながらお母さんは笑って答える。

「一日がほんとに長かったよ」

ふふふ、と笑ったお母さんの笑顔は、夏の風に揺られる風鈴のような涼しさを感じさせた。


小中高生の夏休み、たった1か月は、毎日がイベント満載で大忙しだ。宿題、ラジオ体操、プール、自由研究、読書感想文、朝顔の観察、1学期の復習、夏祭り。

大人になった今、夏休みもない8月が当たり前になる。会社に行って、仕事をして、家に帰る。大人ってなんて偉いんだろう。自分のために時間を使わないで、社会のために時間を使う。その尊さを、大変さを、大人になってようやく理解する。

そうなると、わかるようになるのが両親の苦労だ。


十数年前、義務教育真っ只中の私に「夏休みの一番の思い出は?」と聞いたら、私は高校生まで迷いなく「家族と海に行ったこと!」と答えるだろう。


私たち家族は、小学生から高校生まで、夏休みになると決まって日帰りで海に行った。それは、夏恒例の家族旅行だった。冬休みには1泊2日で温泉に行くのが恒例だった。

私たちの実家は、海なしの山梨県にある。家の窓から見えるのは、雄大な富士山。周りは山、山、山。大人になったら海の見える家に住んでみたいという夢が生まれたのはこの環境が要因だろう。

私は5人兄弟で、両親も合わせると、家族旅行は7人で行くことになる。すさまじい大所帯。7人乗りの車で、大移動。家族旅行の荷物は、普通の家族の倍はあった。

ここまでだけでも、両親の苦労がよくわかる。そして、あのときの私はそのことを全く知らないという。呑気なものだ。水着、着替え、浮き輪は3つ、ボディボードを2つ、大きめのクーラーボックスを2つ、それからパラソル。

家族で、行きつけの海は静岡県にあった。渋滞や、駐車場のことを考慮して、移動は深夜から始まる。

深夜2時。両親に起こされて、睡魔と毛布を抱えたまま車に乗り込む。その間に両親は、荷物も積みこむ。ぐずぐずして起きない私のせいで、出発は結局1時間後の深夜3時になってしまうことも毎年恒例だった。

次に目が覚めると、私の前には海が広がっていた。時刻は朝7時。海見た私たち兄弟はテンションマックス。

「うわーーーー!!」「すごいすごい!!」「ほら、水着こっち! 着替えて!」「海!海!」

語彙力を失ってはしゃぎまくる私たちを順番に水着に着替えさせるお母さん。その間にも、パラソルを立てる場所を探しにいくお父さん。水着に着替えた私たちは、自分が最強になったような気がして、一目散に浜辺に向かう。

私たちは5匹の小さな怪獣。自分が遊ぶことしか頭になくて、海! 海! とはしゃぎまくる。きっと両親は一時たりとも気が緩まらなかったと思う。「ほら、周り見てー!!」お母さんは何度も叫んでいた。

「ひー!! 冷たい! 気もちいい!」「しょっぱ! しょっぱいお水!」

ざぶんざぶんと波を浴びる。波にさらわれた妹を助けに行くお父さん。少しずつ海の温度にも慣れて、太陽が真上に上り始める。水着からのぞいた肩がひりひりした。ひとしきりはしゃいだ私たちは、空腹怪獣に。

「お腹空いた!」「冷やし中華食べたい!」「アイス食べたい!」「のど乾いたー」

はいはい、ちょっと待って、とクーラーボックスからいつ買ったのか、たくさんの食べ物が顔を出す。それぞれが食べたいものに手を伸ばして、お母さんが封を開ける。私は冷やし中華に手を伸ばした。

海で食べる冷やし中華は、富士山の頂上で食べるカップラーメンだ。アメリカで食べる味噌汁だ。普段当たり前の食べ物は、食べる場所が変わるだけでこんなにも特別なものになる。体に染みわたる美味しさが、午後の体力を生み出していく。

海で波と遊んで、疲れれば拠点で一休み。体力を回復してまた海に向かう。
その繰り返しなのに私たちは、夏休みの中でもいちばんのはしゃぎようだったと思う。

それを見つめる両親は、どんな気持ちだったのだろう。自分のことしか頭になかった私たち。まだ小さくて海に入ることができなかった一番下の妹は、お母さんが付きっきりで一緒に砂遊びをしていた。

日が傾いてきて、いよいよ変える時間が迫ってきた。私たち兄弟は、最後にいやだいやだ怪獣になる。

「ほら、帰るよ」「いやだ! あと少し遊ぶ!」「もういっかいだけ海にいってくる」「もうっ! ほら、シャワー行くよ!」

シャワー室に連行された私たちは、一気に洗い流されて、気づけば一瞬でワンピースに着替えさせられていた。海に入って疲れ果てた体。冷房の効いた車内。リクライニングされた後部座席に乗せられると夢の世界がやってくる。ひりひりとした肌を抱えて、私たちは幸福の中、家に帰る。

不思議なもので次に目が覚めたときは、なぜか自分のベットにいる。見慣れた天井がそこに広がる。きっと両親がここまで運んでくれたんだと思う。ベランダからじゃばじゃば、と両親が水着や浮き輪を洗う音が聞こえる。私はまた眠りにつく。


大人になった今、ようやくわかる両親の苦労に頭があがらない。両親は、家の窓から見える雄大な富士山だ。私たちは、その大きな姿を見て育つ。

きっとこれから少しずつ少しずつ、両親という富士山を登って、その全貌を知ることになるだろう。ときには、もう前に歩けないぐらい険しい道もあるかもしれない。その苦労を越えてきた、その道を越えてきたから、両親は偉大なのだ。


「一日がほんとに長かったよ」

「やっぱそうだよね~。私たちはしゃぎまくってたもんね」と私は答える。

あ、でも、とお母さんが静かな声で続ける。


「すっごく楽しかったよ。みんなが海を見てきゃっきゃきゃっきゃ、はしゃいでてさ。お母さん、お母さんって呼ばれるたびに、こんなに幸せなことはないな、と思ってた」

そっかあ、と答えてから、じんと目頭が熱くなる。私はまだ、富士山登頂の準備の真っ只中。登り始めてすらいないのだ。

私も家族ができたら海に連れていきたいと思う。そして、そのときにまた、この偉大な両親たちと話をしたい。

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夏の思い出

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