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まったく楽しくなかったのに覚えている、あの夏の日

今ちょうど、高校生の夏を舞台にした小説を読んでいて、ふと、自分が過去に書いた夏のエッセイを思い出した。




もうすぐ、夏がやってくる。夏は、思い出がたくさんできる季節だ。

海、太陽、音楽フェス、キャンプ、入道雲、スイカ、田舎、部活、花火、とうもろこし、夏休み、自由研究、冷えた図書館、盆踊り。「夏ってだけできらきらしてた」と歌った彼らに私は激しく感動した。夏ってだけで、いろんなものが眩しく見える。

23年間生きてきて、今まで23回の夏を経験したけど、その中でも、ひときわ忘れられない夏がある。

私にとってあの夏は、その年の春と秋の架け橋のような夏だった。去年の夏と来年の夏の架け橋のような夏だった。

暑かった。

2014年の夏も例に漏れず最高気温をどんどん更新していた。2014年と言えば、集団的自衛権が世間を賑わせていて、御嶽山が噴火した。さらに、4月には消費税が5%から8%になって計算がしにくくなっていた。

そんな2014年の夏、私は高校2年生だった。どこにいたかというと、灼熱の太陽が突き刺すグラウンドでもなければ、水着を着て浮き輪に浮かぶ海でもなければ、セミと風鈴がハーモニーを奏でる田舎のおばあちゃん家でもなかった。


私は、地元の山奥にある青少年センターにいた。

そこは、地元のクラブチームが合宿をするときや、各学校と提携して部活動の合宿をするときや、地元の大学生がゼミ合宿するときなんかに使われる貸し公民館のような場所だった。

大浴場、食堂、宴会ができるような大きな畳張りの部屋・フローリングの部屋、6人用の個室がいくつかあって、ゆっくり泊まってくつろぐ、というよりは、活発な若者たちはこれぐらいの設備があれば別に大丈夫でしょ、と高をくくっているような最低限の寝泊りができるような施設だった。お世辞にも綺麗とは言い難かった。

普段なら講演会を行うような、天井の低い広々としたホールに長机とパイプ椅子が等間隔で並んでいた。長机一つに対してパイプ椅子は2脚。それが全部で50セットぐらい並んでいた。

「よーいはじめ!」ピッとタイマーが時を刻み始めた機械音。


私はそこで、テストをしていた。

私の通っていた高校には、任意参加で夏休みに平日5日間の勉強合宿があった。

任意参加とはいうものの、クラスの全員が参加していた。「任意参加にも関わらずほとんどの生徒が参加しています!」と言うための気休めみたいなものだった。

先生も不参加の生徒を見つけると呼び出して、大学受験がいかに大変か、大学受験の勉強を始めるのは早いうちがいいこと、受験は団体戦でみんなと一丸になって戦うこと、しまいには勉強できる有難みを懇々と語って聞かせた。

5日間のスケジュールはいたってシンプル。

午前9時から勉強開始。基本は自習。夏休みの宿題を終わらせるのに夢中になっていいし、または自分で持参した塾の問題集を解いてもいい。とにかく勉強をしていればいいのだ。

わからない問題があったらメンターと呼ばれる大学生が別室に待機していて、質問をしてOK。メンターは高校の卒業生で、関わりのある人、例えば部活の先輩とかだと、質問ではなく息抜きに話をしに行く友達もいた。12時に昼食がある。

そして、16時から各1時間2科目の模擬テストが毎日ある。科目は曜日によってばらばら。終わった18時から夕飯、というスケジュールが5回繰り返される。

その日の模擬テストは、16時から国語、17時から数学だった。カリカリカリカリ、とホール中に鉛筆が文字を書きつける音だけがしていた。

暑かった。

窓という窓は全開なはずなのに、吹いてくる風は熱を孕んでいた。エアコンなんて文明の利器は設備されていなくて、ときおり、首振り扇風機が私のところにあたる程度でほとんど無風だった。

だけど、その扇風機も威力が強すぎて、テスト用紙がぴらぴらなるから暑いけどこっちに向いてほしくなかった。

問題はラストに差し掛かっていた。数学というのはラストに近づけば近づくほど、問題用紙の余白部分が増えていく。答えに辿りつくまでの式が長くなってしまうためだ。グラフを書かないと点数をもらえない問題もあった。

暑かった。

自分の額からじわっと出てきた汗が、こめかみを伝っていくのがわかった。そして、脳みそも汗をかいていた。この問題で終わりのはずなのに、時間がない。解いた問題を見直す時間が欲しい。速く、早く。ひっ算を横に小さく書いた。速く。自分の考えるスピードと書くスピードが一致しなくてもどかしかった。はやく、はやく。


そのとき、汗が、ぽたり、と垂れた。


あ、とほとんど声に出た瞬間、ピピピピッ! と音がして「はい、終わり!鉛筆を置け!」と声が聞こえた。

最後の問題の途中だった。答えはまだ出ていない。そして、多分、もう出せない。

問題が回収されて、教室に精気が戻ってきた。

クラスメイトのざわざわした声。終わったー! あの問題どうやって解くの? という会話がいたるところから聞こえてきた。

「ねね、問5の答えって-2だよね?」

出席番号順で座っていた前の友達が振り返って、私に聞いた。

「うん、-2だと思う。」確か、-1だった気がする。

だよねー、よかったー! と上機嫌になった友達と食堂に向かった。多分、問題用紙が返ってくる頃には私の返事なんか忘れているだろうと思った。

夕飯はカレーだった。学生時代に出てくる料理で一番多いカレー。小学校のスキー教室のときも、中学生の飯盒炊飯も私たちはカレーを食べていた。青少年センターのカレーは、すでに人数分が長いテーブルに並んでいて少し膜を張っていた。

そうして、私たちの5日間は終わった。


今思い出しても、高校2年生のあの夏はまったく楽しくなかった。

ほとんど楽しくなかった。

勉強合宿のあとは? と聞かれそうだけど、不思議なことに全く覚えていない。

楽しくなかったということだけを覚えている。恐らく、部活とか、終わらなかった宿題とか、塾とか、そんな感じだったと思う。中でも私は勉強合宿だけを、こんなにも鮮明に覚えている。


まるで本州と四国を結ぶ瀬戸大橋を渡っているような夏だったと思う。

“楽しい夏”という島を目指す、架け橋みたいな夏。いつか楽しい夏がくるための下準備。

実際、大学に入ってからの夏は、きらきらしていた。音楽フェスに行きまくって、友達と河原ではしゃいで、漫画に描かれたような夏だった。

あのときの夏は、まったく楽しくなかった。だけど、私にとって必要な夏だった。だから今、全く満足感のない夏を過ごしていたとしても、それは、次の夏の架け橋なのだ。

あの夏のあの暑さが、今でも私の体の中に残っている。暑くて、暑くて、退屈だったあの夏の温度は、私の体温の3度くらいを占めている、気がする。

今の夏があるから、これからの夏がある。退屈な夏が架け橋になっている。
さあ、もうすぐ、夏がやってくる。


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