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東京“パリピ”30年史③〜ネット革命と起業家・SNSと女子の時代(2001-2016)
このコンテンツは、2016年末にWebマガジン「TOKYOWISE」に掲載されたものに一部加筆をしました。「東京ポップカルチャー研究家」でもある中野充浩が編集部のインタビューに答えながら、30年間の時代と世代の流れを“パリピ”を軸に振り返っていく全3回。
「過去の流れや影響を知らずして東京のパーティ文化は語れない」ということで、前回はジュリアナ〜女子高生/コギャル〜世紀末と流れた90年代(1991〜2000)を取り上げましたが、今回はゼロ年代〜現在で締めくくります!! 引き続き、各時代のパーティ事情に詳しい中野充浩氏に話を聞きました。
SCENE⑤ 2001〜2004年
高層階でのパーティが多発し始めたゼロ年代前半
──この数年間はいわゆる“Web1.0”とも呼ばれる時代です。大金を手にした起業家たちが高価な車や時計や服を次々と揃え始めた時期と重なりますね。
この時代はベンチャー起業家たちを中心としたホームパーティのブームに触れないといけません。
バブル期と違って、若い世代の間でリッチになったのは彼らだけでした。当然、住む場所には見栄えのいい港区のデザイナーズマンションか、この頃にちょうど背が伸び切ったタワーマンションの夜景が望める高層階が選定されます。
毎週末のように誰かの部屋で100名規模の会費制の集いが行われていました。男女の出逢いや人脈作り以上に、主催者側の“勝ち組意識”が一方通行的に流れていた点は否めません。
──早すぎる成功に酔いしれる者とそこに必死に追いつこうとする者。そんな男たちを値踏みする女たち。その場の空気なんとなくイメージできます(笑)。六本木ヒルズなんてまさに“バベルの塔”の代名詞ですね。ところでこの時代のベンチャー起業家たちは突然変異的に登場したんですか?
いえ、世の中そんなに甘くありません(笑)。バブル期の学生企業が源流です。ダイヤルQ2を舞台としたポータルメディアビジネスがまずあって、90年代半ばにベンチャーブームが起こり、世紀末のITバブルを経て、ゼロ年代へ突入していくという流れ。
どのパーティにも「ネットで何かをやらなければ」というムードが強く漂っていました。一方でTVやラジオ、雑誌や新聞などのマスメディア側の人間にとってはまだまだ得体の知れない眉唾モノだったことも確か。2004〜06年のライブドア絡みの一連の報道がそれを象徴しています。
──バブルはこんなところにも影響を与えていたんですね。
この時期盛んに行われたラグジュアリーホテルのプールサイドやスイートルームを使った会費制パーティなんかも、基本的に同じメンツで回っていた気がします。
こういうことの繰り返しがやがて「金だけ稼げれば何やってもいい」みたいな怪しい連中や、「金だけ目当て」のセレブ気取りの女たちを作り出してしまったのかもしれません。
──今でもいますね。TOKYOWISEで以前話題になった「5000人の女の子たちが教えてくれたこと〜ある男の合コン手記」に出てくるような女子(笑)。この時代で他に何か特筆すべきものはありますか? パーティワードとしては、ちょいワルオヤジ、ロハス、iPod、着うた、IKEA、イルミネーション、W杯とかあります。
丸の内や六本木の再開発が印象に残っています。東京の巨大なWebサイト化の始まりというか。2004年に公開されたソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』はこの時期の東京の空気感を見事に捉えていました。
現在の東京には100m以上の高層ビルやタワーマンションが約500棟建ち並んでいて、そのうち都心5区と呼ばれる千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区に約65%が集中しています。うち約70%はここ15年間でできたもの。つまり、ゼロ年代以降に東京の風景は劇的に変わったんです。
──でもその中身に関しては、どの街も画一化された“箱作り”と“テナント形成”によって、郊外や地方都市のショッピングモールと代わり映えのしないものになっていくというわけですね。
SCENE⑥ 2005〜2009年
ポップ化した“オタク”と“女子”の宣誓パーティ
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──続いて、この数年間は “Web2.0”と呼ばれる時代の到来です。
この時代で無視できない動きを4つほど触れておきます。
①“ギャルのサブカル化”。ギャル文化はやはり90年代後半がピークだったので、これは必然的な流れでした。女子高生も“JK”と記号化。マンバ、age嬢、姫ギャルなど、ここだけ掘り下げるといろんな動きはありますが、全体から見るともうパーティの主役ではなくなった。
②ネットベンチャー次世代の登場。金脈は前の時代にほとんど掘り起こされてしまったので、この時期以降の起業家にはギラギラ感が薄まって社会貢献の発想が大きくなっていきます。
──誰もが気軽に開設できるブログサービスが登場して、それまで受け手側だった人でも情報の送り手側になれました。YouTubeもこの時代からです。
そういったものをリアルと組み合わせてうまく活用したのが次の時代も含めて③“女子”だと思います。
もともとは男女を区別するための飲み会用語が、共働きや離婚、就職難や収入格差が当たり前の時代になるにつれ、自立して生きていくための宣誓的な意味合いに変わりました。
女子力や女子会、○○女子や○○ガールなどの流行語もたくさん生まれましたが、ファッションや年齢に囚われない問答無用な世界観がこの言葉一つで実現可能となりました。
──確かに10代や20代だけじゃなく、30代でも40代でも“女子”と言えるような世の中になりました。いろんな女子現象がありましたが、男の人から見て記憶に残っているものって何ですか?
10〜20代向けだとエビちゃんブーム、赤文字雑誌の読者モデルやクラブイベントの量産、リアルクローズを掲げた東京ガールズコレクション。あるいは青文字系の原宿カワイイカルチャー。
アラサーやアラフォー向けだと、宝島社ファッション雑誌の部数拡大やTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』といったところです。異性との出逢いを排除した女子向けパーティを企画する際は、「得・旬・限定・先取り」といった特別感がないと成立は難しかったです。
──ところで無視できない4つめの動きは何でしょう?
一番重要なのは“オタクのポップ化”です。
80〜90年代まではネガティヴで見えない存在とされてきたオタクが、ネットカルチャーの浸透やゆとり世代の台頭も手伝ってゼロ年代以降はメインストリームに躍り出たという点。
90年代の『新世紀エヴァンゲリオン』、秋葉原や2ちゃんねるが舞台となった2005年前後の『電車男』ブームは長いオタクの歴史の中でも大きな転換期となりましたが、オタク発のものが世の中に知れ渡るという点だけでも時代は進化したなと感じました。バブル期には考えられなかったことです。
──オタクのヴィジュアルイメージも昔と比べて変わりましたね。今って見た目じゃ分からなくて、マインドの一つとしてみんなが内に持っている感じで。しかもそれをオープンキャラ化で楽しめる。オタク発で一般化したものってどんなものがありました?
何と言っても毎回50万人以上が参加するコミックマーケットはメガパーティです。近年ではコスプレイヤーの参加率も増えていますが、「普段は企業でバリバリ働いてます」みたいな女子は珍しくありません。
メイド喫茶、AKB48、初音ミク、ニコニコ動画、アニソンのクラブミュージック化なんかもありました。原宿で磨かれた「KAWAII」と秋葉原が育んだ「OTAKU」は世界に通用するパーティです。
──国がクールジャパンと称して推してますね。ちなみにオフ会やネット上での祭りっていうのも、ある種のパーティと言えますね。2007年には東京マラソンも始まっていました!
SCENE⑦ 2010〜2016年
SNSでアーカイヴ化される“こちら側”のパーティ
──いよいよ直近の時代です。この数年間でハロウィン、EDMフェス、リムジンパーティ、ナイトプール、泡パーティ、ラン系イベント、スライド・ザ・シティ、オクトーバーフェスト、グランピング、リアルマリオカートなどのコンテンツが次々と定番化するとともに、「パリピ」なる言葉も浸透しました。これについてまずは何かありますか?
従来のパーティと比べて相違点を述べよと言われたら、「その瞬間を楽しむこと以上に “事後報告”が同時機能する場になった」と答えます。
そんなアーカイヴ化の流れとシンクロするかのように、どのパーティからも強烈な色気と体臭、ボーイ・ミーツ・ガール的要素が明らかに弱まりました。常時接続されたコミュニケーションツールがケータイからスマホ、Webからアプリへと移行する中、言うまでもなくTwitter、Facebook、LINE 、InstagramといったSNSの影響です。
──そこでフォトジェニックなパーティが“盛られた出来事”となり、“加工された画像”になるワケですね。
フェイスブックは“人生のグレイテスト・ヒッツ”を、インスタは一番出来のいい自撮り(セルフィー)を連発する場。ツイッターやラインは「このパーティつまんない。来るのやめた方がいいよ」みたいな“実況中継”に使われたりもするので、主催者側にはPRメリットの反面、マイナス情報拡散の心配も増えました。以前と違ってイニシアチブは参加者です。
──インスタのハッシュタグ検索や自分好みの情報選択ができるキュレーションアプリを使い込んでいると、「世の中って割と自分寄りの出来事で溢れている」錯覚に陥ってしまう。っていう話を最近よく聞きます。
デジタルネイチャーとかミレニアルと呼ばれる若い世代ならともかく、いい年した大人がそういう感覚になるのはちょっと問題ですよね。
東京に妙に子供じみた大人が増えていることと無関係ではない気がします。先ほどの話にも出ましたが、30〜50代の女性が“女子”化していることに違和感を持っている男たちは少なくありません。
──以前、中野さんが「1969年の30歳は学生たちから“あちら側の大人”として扱われる羽目になったのに、どうして2010年代の30歳や40歳はまだ“こちら側の若者や女子”でいられるのか?」って書いていたのが印象的でした。何日間も自分のバースデーを祝う行為や“美魔女”なんてその最たる例だと。
そうですね。40代後半〜50代前半のマダムはバブル的な価値観からどうしても抜け出せませんし、今の30代ママたちは元祖コギャル世代の人たちです。サロネーゼもママ友ランチも極めて東京っぽい動きだと思います。
ワークショップ、マルシェ、目黒川の花見、パンケーキ、サードウェーブコーヒー、公園のフードイベント……彼女たちが触れればすべてが真昼からパーティ化。ママコミュニティを対象にしたイベントも盛んに行われています。
また、ガンダムやウルトラマンに代表されるヒーローが父親の頃と今の子供が同じになったので、こういうことも“こちら側”現象の要因の一つかもしれません。、
──この時代で他に何か特筆すべきものはありますか? ネオギャル、街コン、シェアハウス、海の家のクラブ化、レセプションへのブロガー導入、評価経済、ゲーミフィケーション、風営法の改正、AI、IoT、VR、ARなど、パーティネタは豊富です。
個人的にはSNSの浸透で女子高生特有のクチコミ・ヒエラルキーが完全に崩壊してしまったことは残念です。
都心の高校生でも田舎の高校生でも、今は同じ瞬間に同じ情報が得られます。高校生人口の減少もあって、最強の“パリピ”が都心の女子高生だった時代はとっくに終わっていますが、それを踏まえても、東京発のポップカルチャーの未来という観点ではかなり大きな損失だと思っています。
──2020年には東京五輪が控えています。世界中から多数のパリピが集まって来るという意味で大きな転換期になりそうですね。
玄人(クロウト)にはなれないけど、素人(シロウト)でもない。その狭間的にいる灰人(グレイト)たちによる知見がさらに氾濫していく世の中で、東京が一体どんな楽しみを提供できるのかが興味深いです。
──それでは30年語りの最後になりました。締め括りをお願いします。
「パーティは人間関係を学べる場だ!!」と綺麗に締めたいところですが、経験上そんなことは言えません(笑)。
真の人間関係に触れ合うなら、一人一人の喜怒哀楽の表情が見えて、住む人それぞれに役割があって、みんなで町作りに均等に参加しているスモールタウンのような田舎町に根付いた方が絶対いいに決まってます。
スケジュールを埋めること=リア充じゃないですから。パーティは街へ出ることの意義を教えてくれますが、「運命の出逢い」とか「孤独の救済」とか、東京のパーティに過剰な期待は禁物。
「何か面白そうじゃない。ちょっと行ってみようよ」くらいのフットワークの方が、その夜その人にとってとんでもなくハッピーなことが起こったりする。その程度の気持ちであり続けることが、“東京的”なんだと思います。
(終わり)
*Illustration:ハシヅメユウヤ
★2001年以降の詳しいことについては、以下のマガジンで連載中。
最後までありがとうございました。最初は誰かの脳に衝撃が走り、左胸をワクワクさせ、やがてそれが何人かに伝わって周囲を巻き込み、みんなで動き出しているうちに同じ血と汗と涙となり、最後には目に見えるカタチとなって現れる。そんなことをやり続けます。応援よろしくお願いいたします。