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米津玄師「POP SONG」とプレステの蜜月

プレステCMとMVが完全一致

 2022年2月6日、米津玄師の約8ヶ月ぶりの新曲「POP SONG」のMV
が公開された。

 一般的に大企業のCM制作費は音楽MVの比ではない。そのメリットを最大限に生かした、圧倒的なスケールとクオリティのMVは、米津史上いや、近年のJ-POP MVで最もバジェットのデカい作品ではないだろうか。

 プレイステーションのCM解禁直後にこの記事をアップした時、「POP SONG」のMVは別途制作されるのでは?と思っていた。↓

 なぜなら、CMのMV流用は使用期間などの関係で諸々の契約がややこしくなるからだ。だが、蓋を開けると「POP SONG」のMVは、CMがMVのダイジェスト版かと思うほど、九分九厘まんまだった。

 米津玄師の存在感が際立っているため、CMからMVまで全て米津の企画かと勘違いしそうだが、無論そんなことはないだろう。広告である以上、プレステ担当者や広告会社のクリエイティブディレクターらが全体を設計しているはずだ。

 ただ、米津の新曲MVでもあるため、既に報道されている”変身する”というアイデアやキャラクターデザインの他に、米津がどこまで全体企画に入り込んでいるのか非常に興味深い。クリエイティブブリーフや企画コンテなどを見てみたいものだ。

ポップスター米津玄師というペルソナ

(アルバム)Bootlegを作り終わった後くらいから、自分で自分のことを
”米津玄師”って呼ぶようになったんですよね。(略)違う人格が自分の中に生まれつつあるのかなと。

2018年 公式YouTube TALKより

 かつては自らを、”自分の弱さを言葉にして切り売りするわたし”と表していた米津だが、自分自身とリスナーの間にある共通項を探す過程で、ポップスターのペルソナが少しずつ素顔を覆い隠していったように思う。

「パブリックドメインな存在でありたいと思いつつ、そうなればなるほどエゴイスティックなくらい本当の自分でありたいとも思っていって、そんな自分の人生自体がポップソングっぽい」(CUTより)と語っていた2018年。

 そこから立場が大きく変わったことを自覚した2020年には「責任」を口にするようになった。

昔は個人的な要素が大きくて誰に何を言われても気にしないという鈍感さがあった。でも、自分の音楽が大きくなっていくにつれ責任が降りかかってくる。その責任を負うことなしに何かを新しく更新しながら音楽を作ることはできない。

2020年 AppleMusic Radioより
抜粋したサマリー

 これは決してネガティブな意味ではなく「難しいからこそ、やりがいがある」とも語っている。

 有名になるにつれてどんどん小さくなる針穴。そこに的確に糸を通す知性と技量がなければ、手垢にまみれたつまらないものに陥っていくだろう。だが、米津は新曲を出すたびに、その小さな針穴を予想もできない方向から射抜いてきた。

(ポップソング)に挑むほどラジカルなものはないと思うし、やり甲斐もある。俺がポップを愛する一番の理由はそれなんじゃないかと思います。

2022ナタリーインタビューより

 この強靭で真摯な姿勢こそがヒットを連発する”ポップスター”の原動力なのかもしれない。

曲の主人公になりきる演技力

 さらにMVでは、「灰色と青」くらいからパブリックなペルソナとしての”米津玄師”でさえなく、曲の主人公を演じているように見える。つまり、ポップスター米津玄師が歌ったり、踊ったりしているのではなく、歌詞の「僕」「私」になりきっている。

 俳優・菅田将暉の演技に触発されたのかもしれない。

 それから「Flamingo」「馬と鹿」「感電」「PaleBlue」「死神」と、まるで仮面を付け替えるように変幻自在に”キャラ”を演じ分けてきた。

 特に「死神」では和服とビジネススーツいう”ある種のコスプレ”で、「米津玄師、噺家になる!」と話題となったが、「POP SONG」では億単位のCM投下量で、ファンのみならずお茶の間の度肝を抜いた。検索サジェストに「米津玄師 どうした」と表示されるほど。

 もはや演じていると言うよりも「正体を現した!」と錯覚するほどキャラになりきっている。自分の身体をキャンパスにイラストを描くように変身することに「違和感がなかった(ナタリーより)」らしい。

 歌によってキャラを演じ分ける“なりきり”っぷりは昭和の大スター沢田研二を彷彿とする。当時から自己プロデュースに長けていた中森明菜もそうかもしれない。

 テレビの歌番組とライブしかビジュアル披露の場がなかった時代を経て、MVが誕生したのが80年代。歌の販促物だった映像は、今や単体のエンターテイメントとして成立している。

 歌の登場人物を演じる昭和歌謡のフォーマットから1周も2周も回り、令和の今、J-POPミュージシャンにも役者並みの演技力が必要となることに米津はいち早く気づいていたのかもしれない。

POP SONG のキャラが生まれた市場背景

 パンデミック禍の2020年に実施された定点調査で「世の中に気がかりや不安が多い」と答えた人が過去最高の77.7%に上った。

博報堂生活定点調査より

 そんな不安な閉塞感に苛まれた世の中に必要なのは、熱い信念と正義の力で真正面から悪に立ち向かっていく”ヒーロー”だったのかもしれない。「鬼滅の刃」は”愛と正義と勇気”という少年ジャンプのお家芸3点セットで記録的大ヒットとなった。

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ!」

 煉獄杏寿郎の”生き様”に若者だけでなく、国境を越えた老若男女が心を打たれた。「涙が止まりません」というコメントが溢れかえったのも納得できる。

 だが、かつて「少年ジャンプのような曲を作りたい」と言っていた米津玄師が演じたのは”トリックスター”だった。わかりやすい正面ではなく裏側からのアプローチで、人々を閉じ込めていた巨大な鉄扉を破壊し、「笑いが止まりません」を生み出した。

 そもそもトリックスターとはトランプのジョーカーのようなもので、ある時はトラブルメーカー、ある時は切り札として勝負を決めるものだ。

 世の中を嘲り、おちょくり、混乱させる一方で、停滞した世界を破壊し新たな創造の源にもなり得る両義性を持ち合わせている。

この曲自体にも両義性を持たせたかったんです。両義性があるものが好きで、矛盾をはらんだものに魅力を感じるところがあって。

2022年ナタリー インタビューより

 トリックスター米津が何を提示し、このMVの世界観が何を表現しているか?さらに歌詞の考察も近いうちに別記事でアップするつもりだ。

米津を起用したプレステの狙いは?

 一昨年、任天堂は「スーパーマリオ35周年」のCMに星野原を起用。星野が書き下ろしたオマージュ満載のCM曲「創造」と共にアニバーサリーを盛り上げた。

「創造」の配信リリースは約5ヶ月後と、かなりのタイムラグがあり、奥山由之がディレクションしたMVもCMとは別物だった。このことからも、この曲は任天堂のための曲という印象が色濃い。

 

では、今回のプレステCMにおける「POP SONG」はどうだろう?

 サブスク新サービスやソフトのリリースなどの告知でもなく、新機種の販促でも周年記念でもない。プレステTVスポットは、ほぼ同じ映像のPOP SONGのCMとパラレルで流れている。

 いくらグループ企業といえども、プレステ側も大枚を叩いて米津の宣伝をしてやるほどお人好しではないだろう。企業がタレントを起用するのは、注目度をあげ、メッセージの伝達力を高めることが目的であることが多い。

 プレステCMの再生回数は2週間で400万回にも届かないのに、米津のMVは1週間で1000万回に届く勢いだ。何なら「タレントばかり目立って、広告主にメリットがない!」と叱られそうな状況だ。

 だが、プレステのメインメッセージと「POP SONG」のメインメッセージがぴったりと一致していれば、映像に商品カットやブランドロゴが映っていなくても絶大なる相乗効果が生まれる。米津の発信力、影響力は純広を凌駕するだろう。

 タイアップ案件で、こんなにも完璧なマリアージュを実現するのは簡単なことではない。キャスティングも含め、プレステCM制作陣の戦略も見事だが、それを音楽だけでなく、演技やビジュアルでアウトプットした米津のクリエイティビティの高さには舌を巻く。

 ミュージシャンに留まらず、エンテーティナーとしての面白味をも身につけた米津玄師。今後のMVはもちろん、ライブパフォーマンスでの”演技力”にも注目したい。

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