とあるフォレンジック博士の会話録音メモ

棋譜並べの解説動画を好んで見ていたフォレンジック博士に、助手である私が問いかけた。

「ニュースで何か見かけたんですが、将棋で裁判沙汰が起こっているらしいですね」

その時の言う言葉を、助手である私しか知らないので
ひとまずここに書く。金も取らずに。
「さほど価値がないと思うかは 読む人次第なのだろう」と、
博士に言われたので。10分で済むその録音源を元に、
私の敬愛するゴッホのために一旦は描く。

…彼に届くとは もう一切思わないが…私はゴーギャンのように
運命を信じてやることができなかったし、ここに呼ぶことはない。
そして、こんなにも技巧を凝らさない書き方を、私の知る彼は全く喜ばないからだ。中に人がいないように見えるに違いない。
ただ、…私は、もう疲れた。

閑話休題。
本題。

         *** * * *** * * ***

画商は金持ちが多かった。
才能のあるやつをこき使って、たくさん描かせる。
安く買い取って、大儲けする。
…この構図、現代において似たことがある。

株だ。

人がわからないような価値をもっと早く、先にわかっていたら、安い時に買って、高い時に売るだろう。
株を安い時に買ってあとに高く売るような行為が、かつて画商がしていたことだ。今、画商ではなく個人資産家が、絵でなく株でやっていることだな。

株だったら公開されている分、イーブンだが
絵はアクセスできる人が限られていた時代。
…つまりその運命とやらに、他者がなんとも言えるはずがない。運命的な出会いを果たした、と言って喜んでいいはずの場面で、静かにその問題と、
…君が愛したゴッホが、著作権を持っている とか
いうこととは別の話だ。

確かに
現在、ゴッホは著作権を持っている。
当たり前のことだ、
それで、画商が「じゃあ百ドルで買いましょう」と言ったとする。

夢を見て画材を買い、明日の食べ物にも困っている画家が百ドルで売るわけだ。
儲けたいとかではなく、突き動かされる信念で描いたものとか、
気持ちで描いたりしてるせいで、自分でもその価値を見出すのは難しい。
自分の絵が 幾らの価値か なんて、わからない者はたくさんいる。

その絵が1億で売れるようになってから、
初めて「…著作権があったんじゃないですか…?」とか言い出してるだけで、
本来は”正義”じゃないんじゃないか。

僕の気持ちとしては、
ちゃんと価値のあるものに正しい金額がつかないと社会正義じゃない。
だがこの時世でもまだ実現されてない社会不正義なんだ。
そういうものの例なわけ。

オークションでもう知られているから、
後から「いや俺もそう思ってた、2億円で買うから」と言いながら、
当人には価値がわかっていってる言葉ではなかったりする。

一旦、価値がついたもんだから、それくらい価値があるものを慌てて買おうとして群がる人たち。俺も俺も、っていうね。それは著作権があるんじゃないのか、っていうことだったりとかが出てきてしまう。
最初の発言者は誰だ。という話になるわけだ。
「似たような絵は俺も描いてた」というようなやつが出てきたりとか。

絵自体を発言としたり、画商の発言を著作物としなくてはいけなかったり。
例えば絵画を例にすればわかりやすい。

棋士が戦って、譜面を作った。棋譜ができるわけだ。二日間の対局を経て、
知恵を絞り合って出てきて、 勝った負けた が出てくる。

今度は解説Youtuberが出てきて、
この局面でこのポイントで、このフェイズで、
なんで一体 この二人はこんな1時間も考えてたのか。
ということを後から説明してるわけだ。

どこが素晴らしいのかをこの人たちは解説している。
で、私なんぞはこの解説を聞くからこそ、
「は、すごい戦いだったんだ…」と。

絵画について学芸員がついて、この絵はこういう時代背景、こういうスタンスですから、というコンセプトへの理解を深めるためのキャプションの役割で、そこありきの現代人間にとっては中世絵画の良し悪しだとかわかるわからないというのをそこから拾う。

将棋に対する知識があって、素人の人へ情報を受け渡す。
たまに君がいう、それが「神の一手」であると解説できること。

後から解釈をつけて動画にしてアップロードした。
それに対して、所属する日本棋院がどうするべきか考えはじめた。

”売れる以前のゴッホ”みたいなもんだよ。
棋士たちはお宝だ。さほど給料をもらってるわけではないBリーグ、Cリーグの彼らを所属させている以上、棋譜というのは守られるべき著作権がある。
という話になった。

契約をしてテレビを放映してる人たちは
「放映権料くらいは…ください」と、言ってきた日本棋院と契約料を設けていつでも放映できるようにした。
楽だから。

ところが、今のようなyoutubeの人が金を取らずにリアルタイムで解説してしまった。動画を作れてしまう棋譜読みのYouTube解説を
みんなが優先的に見てしまった。
金を払うでもなく、著作物の侵害ではないか、というのは、
それこそこれまでのシステム上の問題に差し障るからだ、という話なわけだ。

放送権利を買ってたものどもが、
断りを得ずにそう言うことをするのは不作法だと言い出したが、YouTube側は
「あなた方が勝手にやったことで、僕らは抜け道を見つけたのかもしれないが、それを責め立てられる義理はない」と主張できてしまう。

ーーー棋譜には、著作権はありません。と裁判官は判断した。

裁判官がどう思ったかは知らないよ。
一聴衆としての僕の意見だ。

ゴッホの価値を高める解説本を売れば、ゴッホの価値は高まるし、
ゴッホの絵は売れるはずで、コピーのゴッホもものすごく売れるはずで、
経済効果はあるわけで…
だからここについて、ウィンウィンだった関係が、

youtube側による1度目の”勝ち”を得て仕舞えば、ーーー

あとはどうなるか。君にもなんとなくわかるだろ。だから今ホットトピックスというやつの一つなんだろうな。


ゴッホについて、
展示される美術館を撮る動画が、美術館にある本物よりも8kを超える造形美で魅せることが可能になった時、人の目よりよほど美しく感じられて仕舞えば、美術館まで行くことへの無意味さや …維持費への問題や …空調、管理、人材、経費‥やっかいな計算に至るまで…。そちらに目がつき、ネガティブになり、人はそこに寄り付かなくなる。


世界がひっくり返る時が今来ているのかもしれない。
それを君がどれに目をつけて描写するか、僕は楽しみにしている。
…さて、…僕はこんな話を聞かれれば答えるわけだが。言われないとこんな解説はしないよ。世の中がこれを疑問に思っているとは僕は知らなかったからね。
君、これを対談式のダイアログに載せておくと面白いかもしれないよ。
youtubeのアクセス数とか…

ー「はい、あの、録音してます」
…。君、著作権貰うよ。
ー「うまくいきましたらね」


         *** * * *** * * ***


最後の方の話はある程度極論ではある。
ただ、その見方は間違えてはいない。
そのため、その言葉のままここに載せる。

博士というものはこの日本の中に何千万といるものだから、
私の知っている博士の言う言葉を 真に大事にするのは私だけなのだと思う…でもこんなことはいつでも言っていたけれど…私がいつも少数派意見だったけれど。
…しがみつくばかりのただの虫のいい話の、自覚はあります。

つまり、なんであれそれだけでいいとは限らないこの世界の中で、
私が掴む一歩目は彼の言葉だった。

ゴッホは私において、あたりまえの人間を意味する。
ゴッホ。あなたはチェス版の駒ではない。
あなたは駒ではない。あなたは飛び立つことができる。
私と同じ、当たり前の一人の人間のように。

耳をちぎらないで。
目を塞がないで。
世界を見ていいんだよ。もう私はそばにいないのだから。
ごめんね…。

これから先は
おそらく、富裕層がどれだけの間、持ち堪えるかだ。
「あえて現地に足を運び、金を落として推しを追う行為こそが至福」であるか
否か。

そんなこと…君が気にすることじゃない。

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