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うつ病から学んだ事(2)うつ病と診断された日

前回のお話はこちらからどうぞ。

その1からの続きです。
当時の事を思い出して書いています。
あの状態から今の状態まで復活出来た事、凄いなと自分でも思います。

ふと目をさますと、私はお風呂に入っている事に気付いた。


あ、まだ生きていた。


そして、次に気付いた時、近くに私の顔を覗き込む妻がいた。


どうやら、あの後布団に入ったようだ。


「どうしたの?」と聞く私。


「今何時か知ってる?」と妻。


もう夕方の5時を過ぎていた。


その日、私は会社を無断欠勤した。


無断欠勤した私を心配した会社の上司が家に電話をかけてきて、妻に様子を聞き、妻に心療内科に行くように伝えたのだった。


まだ、病院はやっていたので、近くの病院にいく事にした。


家のすぐ近くに、「心療内科」があった。


以前から、ここには行くまいと何となく思っていた。


ここに来ることは、自分が自分でなくなるような気がしていた。


妻はどうしたのだろうと、心配した様子で一緒に病院についてきた。


それはそうだろう。


妻には、「死にたい気分になっていた」とは一言も言っていなかった。


(先日の投稿を妻にも見たのだが、当時私が死にたいと思っていたとは知らなかったそうだ)


妻には心配をかけたく無いという思いがあった。


私は母にも心配をかけたくなかった。


私は母にものすごくかわいがられて育てられた。


そう、目の中に入れても痛くないという表現がぴったりする様に。


私が小さい頃、食事の場に私の食事が無かった時、とても怒っていたと聞いた事がある。


自分の事より、私の事を想う母だった。


一人しか授からなかった私を、母はとても大切にしてくれた。


だから、母には、この苦しんでいる私を見せられなかった。


電話が来ても、「元気でやってるよ」としか言えなかった。


電話で良かった。


今の様にZOOMがあったら、私の表情を見て直ぐに気付くだろう。


もしかしたら、電話の声でも気付いていたのだろうか。


いや、そんな事はないだろう。完璧な演技をしていたはずだ。


一人っ子の私が苦しんでいると知ったら、当然母は心配するだろう。


死にたいと思っていると知ったら、どんな気持ちになるだろうか。


私は、子供の頃から死にたいと良く思う子だった。


だから、それが普通だった。


小学校に入った時、上級生の生徒を見て、ああ、こんなに大きく育つことはないだろうと「ふと」思った。


大きくなる姿が想像出来なかった。


この感覚はなんだろう?

だから、母にしられず、こっそりとこの世をされたらどんなに楽だろうと考えていた。


母に知られず、私がこの世から消え去る方法はないだろうかと真剣に考えていた。


それほどまでに、私は母が好きだったのだ。


そんな私は、私を必要としてくれている人がこの世に存在していて、もし私が死んだ時、残された人がどう思うとか、そんな事も考えていた。


だから、この世から居なくなるという選択をしなかったのかもしれない。


母、妻、子供の思いが、私をこの世に押しとどめた。


この思いは、私が私の中に抱いていた思いなのだ。


他の誰でもない、私の中にある思い。


この思いは、他の誰とも共有できない。


私だけの思い。


もし、昨日まで元気だった人が、突然この世を去った時、人はどんな気持ちになるのだろうか。


先日書いたこの記事の友人の事を、その時忘れていた。

ただただ、その日を過ごすのがつらかった。


ただただ今をどう乗り切るか、どう逃げ切るか、どうしたら楽が出来るのだろうと思っていた。


この世から消えたいという思い。


そして、この世から消えてはいけないという思い。


その二つが自分の中に同居している感覚がずっとあった。


その時、肉体はこの世にあったが、心は、生きていなかったのかもしれない。


私を苦しめたものに、『責任感』という存在がある。


私はそれまで約束を守るのは当然だと思っていた。


任せられた仕事は断るという選択肢は自分の中になかった。


だから、仕事は必ずやり遂げるものだった。


ことわるという事は、自分の存在を否定する事だとまで思っていた。


出来ないと言ったあとの、他人の反応が怖かった。


今まで「いい子」を演じてきた自分がそこにいた。


良い子供、良い夫、良い父親、良い会社員をずっと演じてきた。


そこに自分はいただろうか。


私は、本に書かれた理想の人物になりたかった。


ならなければならないとさえ思っていた。


理想の人物でなければ、世間から受け入れられないと漠然とおもっていた。


だから、本にかかれた世界や、テレビで見る世界が本当の自分で、そこを目指す必要があると思っていた。


だから、仕事も頑張ってやっていた。


ミスをしない様に、細心の注意を払っていた。


適当という言葉は嫌だった。


適する様に振るまう必要があると思っていた。


そういう考えが、自分をずっと縛っていた。


小児科のお医者様が、どんなに疲れていても、絶対休まず働き続け、身体を壊すという話を以前聞いた事がある。


これも「責任感」のなせる業なのかもしれない。


皆、「自分がかわいい」という表現を使う。


自分さえ良ければという考えを聞く事もある。


それまでの私は、自分の為に生きてこなかったのかもしれない。


だれかの為に生きていた気がする。


自分を大切にするという考えが抜けていたのかもしれない。


責任感が強く、この世を去るという人がいたら、そんなことはないぞと伝えたい。


もっと、自分を大切にして欲しいと思う。


だから、今、「インナーリーディング」にたどり着いたのだと思う。


話を戻そう。


当時は、自分が我慢さえすれば、自分が頑張れさえすれば、このプロジェクトは持つと考えていた。


そう思い、ずっと無理をして働いていた。寝る時間さえ惜しかった。


24時間働けたらどんなにいいだろうかとも思っていた。



病院につくと、中には何人もの患者さんがそこで順番が来るのを待っていた。


ああ、こんなに苦しんでいる人がいるのかとびっくりした。


誰一人、笑っている人はいなかった。


ただ、黙って座っており、表情が無い人もいた。


この人たちは、どんな気持ちでここにいるのだろうか。


そんな事も頭をかすめた。


だれひとり、話している人はいなかった。


ただ、テレビだけがぽつんと、待合室で小さな音を鳴らしていた。


どれくらい待っただろうか。


私の名前が呼ばれた。


妻と一緒に診察室に入った。


そこには、男性のお医者様がいた。


入るなり、いきなり私にこう尋ねた。



「なんて書けばいいの?」



は?



この人は何をいっているの?



「どうされましたかとか聞かないの?」



そうか、ここは心療内科、心の病の人たちがくる場所。


だから、聞く必要もないのか。


そう思った。



分からない事だらけだった。



どうやら、そのお医者様は私が会社に出す診断書を書いてもらう為にやって来たと思ったようだ。


そのお医者様は、多くの病んだ方を見て来たのだろう。


私は、心療内科にかかるのは初めてだった。


私は、うつ病は、精神が弱い人がなる病気だと思っていた。


だから、自分がうつ病になるとは思ってもみなかった。


でも、今ならわかる。


誰でもうつ病になる可能性はあるのだ。


だから、正しい知識を身に着け、それを予防する必要があるのだ、


人は、他人の状態は分からない。


なにを考えているのか分からない。


だから、話をするのだ。


お医者様だって、患者の事は分からない。


だから、患者と話すのだろう。


だが、患者はうそをつく。


大丈夫じゃなくても、大丈夫という。


だから、患者のいう事を信用できない。


もし、うつ病の薬の投薬をやめたら、その人がどうなるか、医者には分からない。


だって、診察時間しかその人と接する事はできないから。


だから、うつ病の薬は一度始めたらやめる事は出来ない。


うつ病になると、仕事が出来ない。


仕事をしたくても、身体が動かないのだ。


だから、さぼっているのか、身体が動かないのか、わからない。


だから、体調が悪いという演技をするのだ。


骨が折れたとか、血が出ていれば、誰でも痛みは想像でる。


治療も簡単だ。


骨を繋げ、傷口を閉じればいい。


でも、心の傷は外から見えない。


どんなに傷ついても、だれからも見えない。


本人さえも、気付かない事さえある。


だから、心の病は本当に難しいのだ。


お医者様には、とにかく自分の状況を話し、会社は休まなくてもいいと伝え、仕事を減らしてもらう様に診断書には書いてもらった。


その時でさえ、会社を休むという選択は自分にはなかった。


とにかく、会社に行って仕事をしたかった。


会社が唯一、自分の存在を示せる場所だった。


そこにさえいれば、認めてもらえた。


自分に自信が無かった。


そこにいる事が、自分の存在を示す唯一の手段だと思っていた。


そして、翌日、会社に行く事にした。



話は次回へつづきます。


今日もお読み頂き、ありがとうございました。m(__)m




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