ウイスキー藤村🥃

キュートな山籠り系ウイスキー妖怪です。ウイスキーレビューは別途ブログにて300銘柄のレ…

ウイスキー藤村🥃

キュートな山籠り系ウイスキー妖怪です。ウイスキーレビューは別途ブログにて300銘柄のレビューを更新➡︎https://kohei-fujimura.com 主にTwitterに棲息しています

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ウイスキーの「共有すること」の面白さ、「共有しないこと」の面白さ

最近ではあらゆる価値観・情報がSNSによって共有されている。 新商品の情報、最新ニュースはもちろん、そのレビューなどは"氾濫"に近い状態で溢れかえっている。 SNSを始めとするインターネットは魅力的で、いつも新鮮な情報で賑わっていて、とても楽しいと感じる。 それは「共有すること」の楽しさであり、喜びを分かち合えるという点から、それらを受け取り味わっている。 ところがつい最近まで、それとも気づかぬとも長い間、「ウイスキーが楽しい」という気持ちを完全に失っていたように思い

    • 【7/17】「感謝」と「謝罪」は人の為ならず

      言葉を並べるにも体力がいる。気力がいる。集中力がいる。 Twitterに書けるような言葉なんてのはいつでも衝動的で、「えい!」と押し出せばひと目の触れる雑踏に繰り出す。 そんな感情の尖りを含んだ一塊が、思いもよらぬ誰かに当たってしまうくらいなら、もう少しまとまりを得た言葉であったほうがマシだと思った。どうせ出すならば、マシな方がいい。もう一度こうして丁寧に書き出してみる。頭が冷えたとき、「違う」と思えば手を止めればいいだけの話だ。 また、何かを間違えたと思ったらすぐにリ

      • (6/4日記)言葉はいつも足りない

        なぜこんなにも、言葉が足りないのだろうと不思議な気持ちになる。そんなことがよくある。 なぜこんなにも、言い表せないのだろうと思うことがある。片方を追うと、片方に逃げられるような、キリのない感触がある。言葉を足すほどに間違っていく、ズレていく、そんな気さえする。 デッサンの線は書き足すほどに正確になっていくのだろうか。それともぼんやりとして、いつか真っ黒になってしまうのだろうか。どうなんだろうとか、たまに考える。あまり絵とかは得意じゃないから、詳しい肌の感触なんてものがない

        • (11/6日記)"いじられキャラ"が発した光。人が勝手にやってきてしまう太陽の才能

          30年ほど生きてきて「この人には敵わないな」と思うキャラクターが、"いじられキャラ"である。 "いじられキャラ"の特性をもつ人のほとんどが気づいていないが(それ自体がいじられキャラの特徴なのだが)、実は、ほとんどの世界は、心の底から"いじられキャラ"を羨ましいと思っている人たちで成り立っている。 いつも注目されていて、羨ましい。いじられキャラを中心にして、人がみるみる集まっていくさまを見て、「あの人はいいな」と思うことはスタンダードである。 "いじられキャラ"は、天から

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        • 2023年11月日記
          3本
        • 2023年10月日記
          11本
        • ウイスキーコラム
          3本

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          (11/3日記)みんな" y = ax "。自分にも他人にもちょっと優しくできる話

          人は誰でも" y = ax "だ。これはまったく難しい話ではなく、むしろ極めてシンプル、あまりにシンプルすぎる話である。 “y”は「出力」、”x”は「入力」、係数”a”は「"今ここ"への強い実感」である。 刺激・情報を得て、刺激・情報を吐き出している。それが我々の表現の全てである。 タモリさんのインタビューいつしかタモリさんが「いいとも」を終えた直後のインタビューで、「自分はちっぽけ」「ペラッペラのティッシュみたいなもの」と言っていたのがとても印象的だった。 「まさか

          (11/3日記)みんな" y = ax "。自分にも他人にもちょっと優しくできる話

          (11/2日記)「足るを知る」?「現状に満足しない」?そのバランスについて

          「足るを知る」というもんだから、どこまで節制すればこと足りるのかを知ることは、たぶん大切だ。 だからといって、現状維持のままでは何かが足りない。不思議である。足りているのに、足りないのだ。それでもってジリ貧で、目に見えない様々が、失われていくような感覚もまた、確かにある。 「足るを知る」と「現状に満足しないこと」とが、折り合いついていないようだった。これはどうしたものだろうか。 その時々で心得ること、意識すること、取り組むことはきっと変わってくる。 「こんな症状のとき

          (11/2日記)「足るを知る」?「現状に満足しない」?そのバランスについて

          (10/25日記)他人との間に線を引かない練習

          SNSなどでちょっと数字を持ったり、小金を手にしたりすると、途端に自分が"特別"だと勘違いするようになる。 "特別さ"を感じるのは勝手なのだけれど、その裏には、必ずと言っていいほど差別意識だとか、優劣の思想を孕んでいるものである。 特別じゃなかったものが、"特別さ"を感じ始めたとき、静かにしていた傲慢さがわかりやすく露出する。 そもそもは、劣等感を感じていたものがひっくり返ったにすぎず、それは、他人と自分の間に線を引いたことによって現れたものだ。 あまりに他人と自分の

          (10/25日記)他人との間に線を引かない練習

          (10/20日記)”変化球”に逃げ出すお年頃。小手先のテクニックに逃げるな

          若い世代がやってくる。"若気の至り"とも呼べる、乱暴なほどにパワフルな力で場を魅了したり、迷惑かけたりなどする。 かつてそうだった者たちは、「そのままではいかんな」と、だんだん大人しくしなっていく。 「でも、大人しくしているだけでは生きていけないだろうから」と、なにか、効率的で、エコな運用へと切り替えたがる。 それではダメなのだ。実は、そうしているうちに、みるみる失っていくものがある。下手な小手先では、身動きが取れなくなっていく。疲れやすくなる。 おそらく、どんなジャ

          (10/20日記)”変化球”に逃げ出すお年頃。小手先のテクニックに逃げるな

          (10/19日記)時間意識と体力の関係性。爆速蒸溜所社長の見学ツアー

          時間を密にしたいと心から願わない限り、たいていダラダラと過ごしてしまう。 日常的に大したことをしていないから、時間はたっぷりあるからと、SNSサーフィンをしたり、Netflixに命を捧げて時間を潰している。 そうしているうちに、なぜか時間が足りないような気がしてくる。伸び切ったゴムのように、張り合いのない日常に、嫌気が差してくる。あんなに時間はあったはずなのに、時間はどこにいったんだよ。 「暇」というのは、常に毒として精神を犯している。気づかないうちに、余計なあれやこれ

          (10/19日記)時間意識と体力の関係性。爆速蒸溜所社長の見学ツアー

          (10/18日記) ばぁちゃんが死んだ。未来は便利。未来が人を生かしている話

          ちょっと間が空いたけど、反応次第ではこれからも書くつもりなんですよ。 あんまりまだまだ、マメさが帰って来ていないけれど、スキとか、フォローとか、サポートとか、Xのポストとかで頻度が上がりそうですの。よろしゅうたのんますね。 先日、父方のばあちゃんの葬式に行ってきた。 去年、父の葬式のあれこれが済んだあと、母を労る意味も込めて、弟と三人で家族旅行に行ったとき、まぁさ、ついでだからねと、ばあちゃんにも会ってきた。 ばあちゃんは父、ばあちゃんにとっての息子が、本当に大好きだ

          (10/18日記) ばぁちゃんが死んだ。未来は便利。未来が人を生かしている話

          (10/7日記) 深夜酒場の夢。自然に帰る大人たち

          今日はかみな秋葉原店での2回目の営業だった。来てくださった皆様、本当にありがとう! なんだかんだ人と会っているのは楽しく、久しぶりな人もいれば、初めての人もいるし、知っていたけれど、初めて話し込んでみたりする人もあった。 人とは話してみなければ、対人しなければ、同じ空間を共有しなければ、わからないことがたくさんある。 完璧な理解などはできないけれど、ほんの少しだけでも、その人を理解できたなら、それは嬉しい。世界がまた一つ、大きくなる。 そういうことから、"深夜"という

          (10/7日記) 深夜酒場の夢。自然に帰る大人たち

          (10/6日記)やり残した"あいまいな酒場"。バーから逃げてきた話。明確なリベンジ。

          2021年12月31日。たくさんの思い出があった"あいまいな酒場"を閉店した。自分の実力ではやりくりできず、辞めることになった。 自分の中では「"バー"は完了した」と、そう思っていた。諦めと満足。もういいやと思っていた。だがそれは間違いだった。 気づかぬうちに視界の外に追いやって、「もうそうゆうの、経験したからさ」「そんなのはとっくに知ってるよ」と思っていたのだけれど、本音が全くそうとはいっていない。 弔えていない。燻ったまま、未完了のまま、腐らせている。やり残した

          (10/6日記)やり残した"あいまいな酒場"。バーから逃げてきた話。明確なリベンジ。

          (10/5日記) 大人の「お化け怖い」。想像力は"武器"にもなるし、"足枷"にもなる。

          おそらく、想像力は武器だ。これは経験上、自分が勝手にそう思っている。 何か生み出したいものを考えたとき、経験と記憶からその材料を集めてきて、頭の中で組み立てる。 この力は、ネガティブな情報を体系化するにおいて、強力な力を発揮するものだと感じる。 20代の前半、もっと、10代において、ネガティブと解釈した経験がまだ少ないからか、この想像力は創造的で建設的なものであり、より良い未来に進むために活用されていた。 それが20代後半、おそらく、30代に入ってから40代にかけて、

          (10/5日記) 大人の「お化け怖い」。想像力は"武器"にもなるし、"足枷"にもなる。

          (10/4日記)「意味なんてない人生」に意味を見出すコツ

          人生に意味なんてない。最近になってより一層にその想いが、感覚が、強くなっている。 これまで死んできた、親愛なる生きとし生けるものたちに聞いてみたい。「人生に意味はありましたか?」 まだまだ死ぬ予定もなかったのに、ポックリといなくなってしまったもの死に目に出会うたび、その無意味さ、虚しさを痛感する。 まずはこの大前提を、受け入れるべきだなと思った。ポジティブ、ネガティブとか、そういった反応的な話ではない。すなわちこれは、理解だ。 そしてその上に、自らが意味を創り上げてい

          (10/4日記)「意味なんてない人生」に意味を見出すコツ

          (10/3日記)人生を心地よく生きていく"素読"のススメ

          人は何かを簡単に、わかったつもりになってしまう。 一度わかったつもりになってしまったものは、特別大きなきっかけがなければ、再び見ることをしなくなってしまう。 判断してしまうのだ。それが、理解を止めている。これはウイスキーの飲んでいく中で、とても重要なポイントなんですよね。 社会や人、世界というのは、莫大な書物である。それを読み解くには、心がけとして、"素読"するのが一番である。そう思ったんですよ。 なぜ"わかった気"になってしまうのか?わかった気になるのは、ラクである

          (10/3日記)人生を心地よく生きていく"素読"のススメ

          (10/2日記) 意識と感覚、頭と身体、自分と社会の折り合いについて

          生きているだけで、まるで折り合いがつかない。そう感じることがあります。 2つに分裂するような、分断されていくようなそんな気分のことです。 意識ではこうしろという、身体はそれを嫌がっている。その逆もあって、だから迷う。そうして人は動きを止めたり、または暴れてしまったりするわけですよ。 ぼくは専ら「動けなくなる派」である。無気力になり、ウツになる。外に出たくないし、誰にも会いたくなくなる。 頭でわかっているけれど、身体がそれを拒んでいる。つまり、折り合いがついていない。そ

          (10/2日記) 意識と感覚、頭と身体、自分と社会の折り合いについて