(10/5日記) 大人の「お化け怖い」。想像力は"武器"にもなるし、"足枷"にもなる。

おそらく、想像力は武器だ。これは経験上、自分が勝手にそう思っている。

何か生み出したいものを考えたとき、経験と記憶からその材料を集めてきて、頭の中で組み立てる。

この力は、ネガティブな情報を体系化するにおいて、強力な力を発揮するものだと感じる。

20代の前半、もっと、10代において、ネガティブと解釈した経験がまだ少ないからか、この想像力は創造的で建設的なものであり、より良い未来に進むために活用されていた。

それが20代後半、おそらく、30代に入ってから40代にかけて、ネガティブな情報を体系化することが上手くなってしまう。そういうことへの理解をし、克服しなければ埒が明かないと感じた。

想像力とは「情報を体系化する力」

想像力というのは、いわば情報の塊、言葉の断片を集めて、それを映像にして、脳内で鮮明に描き出すような働きであると思う。

よりよく、言うなればポジティブに作用するならば、多くの人が喜ぶサービスや商品のアイデアが思いついたり、表現活動における最重要能力として挙げられるだろう。

本来、そういったことが、我々の文化を発展させてきたし、あらゆる道具はそうして生まれてきた。

そんな想像力という力は、ヒトがもつ最もパワフルな機能であり、それによって苦しめられたりもする。

「過去にイヤなことがあった」と言ったって、実のところ、記憶の断片を"今"の自分が再統合しているに過ぎず、記憶は最初から、統合された形では記憶されていない。

それを何度も繰り返していくうちに、濃度の高い"ネガティブな記憶"が練り上がっていく。そういったパワフルさ、そういった身勝手さが想像力にはあるから、元来、情報を体系化するのが得意な人は、人生中盤になってから苦しみやすい。そういうふうに今は理解している。

想像力が足枷になる

「過去の記憶に縛られる」というのは、何度もネガティブな過去を、ネガティブとして体系化してきた記憶のパターンが、脳の神経回路でトレーニングされて、みるみるうまくなった。

「大人になるほどに動けなくなる」というのは、こういった理屈なのであると理解する。そして、それを克服するような人も見ることができる。

想像力を武器にする職業、アーティストなどでは、このドツボにハマるケースが多く見受けられる。武器だからこそ、それを発揮するにも関わらず、それに困らされているというケースである。

ネガティブな情報というのは、刺激が多く、脳がより強い反応を示すものである。それは人としての仕組みだ。

だから、歳をとるほどに、出来事へのかわし方が上手くなる。危機回避、リスクヘッジが、より前段階から可能になる。それと同時に、安易な挑戦には手をつけなくなる。

居心地の良い立場に留まって、そこ以上の危険を犯さないようになる。それは生存において優位ならば良いのだけど、本当にそうかと言えば、微妙なところだ。

変化することによって生存するケースがある。どちらかというと、柔軟であることが生存率を高めるのである。

想像力が足枷になると、「外の世界は怖いところだから」と、動きが鈍くなる。それを"足枷"と表現している。

誰にとっても想像力は武器だった

子供はクリエイティブである。それは誰しもが感じることで、子供の想像力に、大人は驚かされる。その能力は、誰しもがかつて持っていたものだ。

それは経験上、20代の前半まで優位に機能する。社会経験の少なさから、何が"痛い"かまだよく知らない。"痛さ"を知るまで、怖がることはできない。

それだから挑戦をする。"若者ボーナス"というのは、周囲の人間からの評価ということもあるけれど、どちらかというと、主観的な楽観性、物怖じしない状態のことを言うのだと思う。

一度植え付けた恐怖は、取り除くのに何らかのリハビリ、克服の過程を必要とする。慣れだとか、スモールステップだとか、そういったことで理解、再解釈をして、0からやり直す必要がある。

そういった手間が、若さにはない。汚れていない器は、洗う必要がない。本質的に不都合が生じるまで、まだまだ猶予が残されている。

ただ、一度満ちてしまったエゴの器は、掃除しなければ埒が明かない。想像力によって溜めてきたコレクションを、もう一度整理しなければならない。

武器だったはずのものの、その具合が悪くなってしまい、それまで通りに集めていれば、目も当てられない程にドロドロとしたものになってしまう。

想像力は誰にとっても武器だった。その効力を再度発揮するには、刃にこびりついた錆を落とさなくてはいけない。

まとめ

想像力は武器だ。本来、足枷にするには勿体無い能力だと思う。

だけど、それに苦しめられる。トラウマだとか、過去の経験だとか、突然苦しみ出すような同世代、さらには、上の世代にはゴロゴロといるように見えるし、僕自身もその1人だと明確に感じた。

だけれど、本来は取るに足らないシンプルな話でもある。やるべきことは明確で、手をつけるのが億劫だったり、見ないフリをしていたいだけだったりする。

あまりに怖いから、見えないところまで追いやってしまいたい。ネガティブで体系化された情報とは、「お化けが怖い」ところの"お化け屋敷"である。

それを理解したならば、お化け屋敷はお化け屋敷に過ぎない。ネガティブな過去も、今に存在しないお化けに過ぎない。

大人になるほどに、お化けよりわかりづらい、お化けのようなものに対し、勝手に怖がるようになる。長い人生で、そんなものを増やしていては埒が明かない。

想像力は武器である。それを、都合のいいハッピーな未来を創ることに置き換えればいいだけである。お化けを作ってきたその力で、今度は未来を創造したらいい。

特に20代の全域で、"お化け"を量産した。不思議なもので、取り組まなければずっと残る気さえしている。

それに怖がっているままではお化けは消えない。よく目を配ってみるならば、おそらく単なる布切れだ。

そんなことの重要性を、最近になってよく感じる。だからこうした実践を、これからもしていこうと思うのだ。

ウイスキー飲みます🥃