(11/6日記)"いじられキャラ"が発した光。人が勝手にやってきてしまう太陽の才能

30年ほど生きてきて「この人には敵わないな」と思うキャラクターが、"いじられキャラ"である。

"いじられキャラ"の特性をもつ人のほとんどが気づいていないが(それ自体がいじられキャラの特徴なのだが)、実は、ほとんどの世界は、心の底から"いじられキャラ"を羨ましいと思っている人たちで成り立っている。

いつも注目されていて、羨ましい。いじられキャラを中心にして、人がみるみる集まっていくさまを見て、「あの人はいいな」と思うことはスタンダードである。

"いじられキャラ"は、天から授かった才能である。ただそれを、武器として認識している"いじられキャラホルダー"は滅多にいない。

きっと、嫌な思いを強く抱きやすい才能でもある。裏返すから、強力な武器として機能している。


天然素材の"いじられキャラ"はマネができない

いじられキャラ特性を持っていない身からすると、"いじられキャラ"の特殊性、その機能のパワフルさには嫌でも気づく。なにより、自分がもっていないものだから、より一層気がつく。みんな喉から手がでるほど、本音の底のほうから欲しがっている。

「あんなふうにあれたらいいな」と何度思ってきたのだろう。そう思った時点で、特性をもっていないことを裏づける。

マネができないのだ。惜しくもなんともないほどに、それが全くと言っていいほどに、できない。打算の臭さがどうしても滲み出る。天然の素材だけで、人が触れていたいと思うものを作ることが、我々はできない。

 "いじられキャラ"は、完全に人の手が加えられていない天然素材のまま、輝きを放っている。わざわざダイヤモンドカットを施さなくとも、清らかさを失うことがない。

だから才能なのである。0のポジション、原点で輝きを放っているもの、そういったものが先天的で、あまりにどうしようもないものだから、本人が苦しんだり、他者から羨まれたりする。太陽的才能である。

"いじられキャラ"が羨ましいから、なんとか模倣する世界

天然素材だけで輝きを生み出すことなんて、そうそうあることでもないわけだから、通常の人は、なにかしらの努力などをして、それに少しでも近づけようとする。技術を身につけて、"模造品"を振る舞うようにする。

技術を磨くとそれらしいもの、天然のいじられキャラと同様の効用を生み出せるようになるのだけれど、やはり天然のものが放つ光とは、ポテンシャルと質感が違う。

同じ空間に解き放ってみると、地肩が違うから簡単に上回られてしまう。いとも簡単に、空間を支配する。そういったことから与えられたある種の敗北を、多くの人は何度もしてきているのだ。

そういうことを、"いじられキャラ"は知らない。知らないからこそ、"いじられキャラ"でもある。そればかりは本当に仕方がない。

"いじられキャラ"は、動けば技となる

"いじられキャラ"に、細かな戦略などはほとんどいらない。動けば技となり、相手を魅了し、勝敗はすでに決まっているからだ。

唯一、敗北があるとするならば、気にしすぎて立ち止まってしまうことである。いじられることが嫌になって、距離をおいてしまうこと。これでは才能も活かされようがない。

あんまりに周囲の気が利かないと、やられ過ぎてしまうことがある。そうしたときは、迷わず休憩していい。身を守ることがなによりも大切である。

ただ、心地の良い集団の中では、そういった気の枯渇、体力の枯渇を感じることはないだろう。きっとすぐに全回復できる。よりよく循環していて、浪費する感覚もほとんどないはずだ。そういった集団は、太陽の活かし方、太陽の有り難さを深く理解していると思う。

そもそも、"いじられる"という現象は、体力があると信頼された者へとベクトルが向いて発生しやすい。いじっても、不機嫌にならない。いじっても、可愛げのある反応をしてくれる。それを超えて、いじりたくって仕方がない。そして無尽蔵にいじられる人は、無尽蔵に体力のある人だけである。

だから、時折周囲がそれに頼りすぎて、いじられキャラは「いじられすぎている」と感じることがあるかもしれない。それは周囲の気が利いていないか、いじられキャラである当人の体力が、下限を叩いているタイミングだったのかもしれない。

必ず、双方に思いやりが必要である。そして、ともにセッションするような、リズムをとって音楽を鳴らすような、足並みを揃えたコミュニケーションが不可欠だ。

いじられキャラはあんまり相手の顔色を伺いすぎなくていい。ただ、思いやりだけは忘れてはいけない。たくさん動いて音を鳴らしているうちに、周りが勝手に乗ってくる。そしたら一緒に笑って踊る。宴にしてしまう。これが理想のカタチである。

いじられキャラは、生まれ持った才能であり、最初から、動けば技となってしまうものだ。そうして人々の目を、当人が気づかないうちに奪っているものなのだ。

(まとめ)いじられキャラになれなかった者から、いじられキャラの皆様へ

いじられキャラは、集団を強くする。「〇〇がいるなら、行こうかな」となる。それは太陽が輝くハレの日に、人が出かける動機そのものである。

個人的に、そういった才能はあまり持ち合わせていなかった。だいたい、口が達者なやつ、理屈っぽいやつ、文字でじっくり表現することに慣れたようなやつ、観察者としての立ち位置を維持するようなやつは、天然素材のいじられキャラにはどうしてもなれない。バレないように、模造品を振る舞うか、鏡のように光を反射させるかしかやりようがない。

瞬発的に似たような効用を生み出すことができるが、持続はできない。ステージの上だけでアイドルを振る舞うことはできるが、楽屋に戻れば理性が処理する。だから、身近な人間には簡単にバレてしまう。

だから私は太陽を崇拝することで、太陽の有り難さを知ることで、いつでも近くに居てくれる関係性を培おうと決めた。

大なり小なりではあるが、わたしから見れば、みんなかわいい"いじられキャラ"の素養をもっている。あまり一般的に触れられないところまで深掘って、いじる手癖があるからよくわかる。

太陽が輝くと私は嬉しい。外はハレの日だと分かれば、思わず出かけてみたくなる。だからいつまでも、光を絶やさないでほしい。そのために、これからも私は、その輝きを引き出していけたらと思っているのである。


ウイスキー飲みます🥃