(11/2日記)「足るを知る」?「現状に満足しない」?そのバランスについて

「足るを知る」というもんだから、どこまで節制すればこと足りるのかを知ることは、たぶん大切だ。

だからといって、現状維持のままでは何かが足りない。不思議である。足りているのに、足りないのだ。それでもってジリ貧で、目に見えない様々が、失われていくような感覚もまた、確かにある。

「足るを知る」と「現状に満足しないこと」とが、折り合いついていないようだった。これはどうしたものだろうか。

その時々で心得ること、意識すること、取り組むことはきっと変わってくる。

「こんな症状のときはこちらのお薬を」。そうやって自分に対して処方することでうまいことやっていく術を、それぞれが身につけていくのだと思う。


「足るを知る」

「足るを知る」とは一体、どうゆうことなのだろうか。なるだけ余計な煩悩を捨て去って、「欲しがりません!」ということなんだろうか。

そうだとしたら、生活はとても縮小されたものになる。ミニマリストというやつがそれなのだろうか。あまり詳しくはない。

欲求をほどほどにして欲しがらないことは、案外慣れれば簡単だったりする。ひとつは、視界に入れないことで、さっぱりと克服ができたりする。

今となっては生たまご、納豆、米、味噌汁があれば、それ一食で一日は十分だし、それ以上のものを無理して得たいとも思わない。試してみると、そんな生活になるのはとても簡単だった。食費なんてほとんどかからない。

欲しがらない類のことを「足るを知る」というのであれば、案外できないこともなかった。それだけで十分。そういった生活の最低ラインを確認する。これ自体はとても有益だったように思う。

それでも、どこかイケない気もする。正確には、イケないわけではないけれど、そういった安っぽい悟りに落ち着くことが、まだまだ早すぎるのでは?という疑問はあった。

「現状に満足しない」

かつて働いていた頃は、どれだけ売上をあげたとしても、満足しないことこそが正義だった。バリバリと仕事に取り組んでいる瞬間は刺激的なのだけど、どこかでプツンと糸が切れたような、そういった状態に何度も陥ったことがある。

あまり長くは走れない。結果が伴い続けるならば、やってられないこともなく、むしろ楽しく取り組めてしまうものである。だから、時代の流れ、季節の変わり目で冷え込むと、一気に熱が去っていく。

「現状に満足しない」ということが、良しとされる意味はよく分かる。常に上を目指すことで、成果は確実に上がっていくのだろう。

だが「いつ満足できるのか?」という疑問が、時折湧いてくる。これをどう扱ったらいいのだろうか。

「現状に満足していてはいけない」という表現は、とても好意的な字面として目に映る。そのアグレッシブさ、熱量の高さに魅力を感じる。

そんな言葉は、心身が健康でなければ受け入れられないのだ。だからこそ魅力的に感じる。

「足るを知る」と「現状に満足しない」はどうやって折り合いつくのだろうか?

現状に対するバランス感覚

現状をどう捉えるかによって、見る視点によって、都合よく切り替えられるものであるとどこかで気がついた。

心が殺伐と荒れて、トゲトゲしすぎるならば足るを知り、なにか埒が明かずに進展しないのであれば、現状に満足しなければそれでいい。都合よく切り替えてもいいのだ。

「足るを知る」ということで、大きな満足を得られる感触があった。むしろ、足るを知ることで、現状に満足しなくなったとも言えるから、説明のニュアンスが少し難しい。

「足るを知る」ということは、たった一人の豊かさを満たす意味合いに感じられた。そして、隣人に強要するものでもない。足るを知ることを、自分一人がある程度の克服をしてしまうと、自分だけ満たされているのもどうかと思うようになった。

変わって「現状に満足しない」というのはおそらく、たった一人の小さなエゴではない。個人的には、そういう解釈を採用することにした。

もっと、周囲の人間や、関わっていく全ての物事が、より良くなってほしい。正確な"良い"とは何かわからないけれど、柔らかく、強く、循環するような状態。気や血がよく回るような、そういった状態を"良い"と考えている。

そんな世界観をもって、どこまで自分が認識する世界を拡大していけるか。足るを知るからこそ、現状に満足しなくなるのではないかと、思い至るようになった。

現状に対してのバランス感覚を持つことは、「足るを知る」と「現状に満足しない」が共存していることでもある。どこまでも悟りを目指そうとする修行僧は、「悟りを得たい」という最大級の煩悩を動機とする。

どちらも欠けては都合が悪い。実感覚として、自らが掴んでいかなければならないものだと感じている。

(まとめ)あんまりうまく言えなかったけど

「足るを知る」ということが、現状維持という意味合いとは関係がないことに、気づくのに時間がかかった。

足るを知ることのその本質は、個人をシンプルにする取り組みのことである。有り難いの実感が、すぐさま「足るを知る」への実感に変わる。それだけで、あまりに十分過ぎるのだ。

だからこそ、真の意味で現状に満足しないことができる。世界には80億人ほどの人がいるらしく、それ以上の生きとし生けるものがいるようだから、そのために1つでもかけてやれる思いやりなどはないだろうか。

小さなエゴ満たすばかりでなく、大きなエゴを。一人を超えることで、より多くの物事との関わりを。

足るを知らずに現状に満足しないままでは、ちょっぴり危ない。うまいこと自分と他者との間のバランス、現状捉える解釈のバランスを保ちつつ、日々小さな前進をし続けるのが生き方というものではないだろうか。

ウイスキー飲みます🥃