(10/19日記)時間意識と体力の関係性。爆速蒸溜所社長の見学ツアー

時間を密にしたいと心から願わない限り、たいていダラダラと過ごしてしまう。

日常的に大したことをしていないから、時間はたっぷりあるからと、SNSサーフィンをしたり、Netflixに命を捧げて時間を潰している。

そうしているうちに、なぜか時間が足りないような気がしてくる。伸び切ったゴムのように、張り合いのない日常に、嫌気が差してくる。あんなに時間はあったはずなのに、時間はどこにいったんだよ。

「暇」というのは、常に毒として精神を犯している。気づかないうちに、余計なあれやこれを考えて、取り止めのないところまで行ってしまう。

暇歴を数年積み重ね、ようやくわかってきたのは、あんまり暇ばかりしていてはいけないということだ。何より、みるみる身体が動かなくなっていく。

時間意識と体力の関係性について、あまり深く考えてこなかったのだけど、思い返すと思い当たる節がいくらでもある。そういうことについて、少しまとめてみたい。

1日は24時間というのは本当か?

SNSを見ていると、「どうしてあの人はあんなにも、バリバリと動き続けることができるのだ?」と思う人がいる。

自分の時間感覚、スケジュールの概念からは遥かに逸脱していて、そういう人に対して野良の人たちは「そこまで動けるモチベーションはなんですか?」など、聞いたりしている。

まず、体力が違う。動き続けるだけのエネルギー感が、人には全く想像がつかない。

どうやら、エネルギッシュに見える当の本人は涼しい顔で、平気な顔してそれをやってのけたりしているから、ますます意味がわからない。

そういう場面に遭遇する中で、時間感覚が人それぞれに違うのではないか?という仮説に色が付くようになった。

1日が24時間なのは相対的で、人と人とが共有しているから、平等に配られているように思えるが、実際は、1時間で3時間分の仕事をこなしてしまう人だっているわけだから、誠に同じ1時間とは思えない。

1人の体験からでもわかるのは、友人と過ごした焚き火の時間は、あっという間に時間が溶ける。さっきまで夕方だったのに、気がついたらテッペンを回っている、なんてことがザラにある。これを書いている時間は20分ほどだけど、何か半日くらい過ごしたんじゃないかと錯覚する瞬間も、稀にある。

おそらく、1日を24時間だと考えすぎていると、都合が悪くなる。極めて主観的で、柔らかくて、変動するのが時間の正体なのではないかと、肌を通してそう感じるようになった。

時間意識と体力の関係性

時間意識が弱く、伸び切ったゴムのように張り合いのない日常は、あっという間に過ぎていってしまうものである。

子供部屋おじさんが、長年部屋に篭り続けることができたのは、伸び切ったゴムのような時間を過ごしていて、おじさんの"世界"を縮小させていったからではないだろうか。

そもそも、拡張させる必要のない時間は、なるべく長きを感じさせないで、さっさと過ぎていってしまった方が、都合がいい。

本人がそれを望んでいなかったとしても、未来のない無意識にはきっと、早く生命を畳んでしまった方が都合がいい。

伸び切ったゴム、縮小された時間のスケールは、体力を奪っていく。短い時間を全力疾走することもなく、必要ともしないから、必要のない体力はみるみる消えていってしまう。

近年の"コスパ"という言葉ではあまりに目的的であり、示したい意味合いとズレてくるんだけれど、時間意識の高さ、ピンと張ったゴムのように、しっかりと"今"の芯を喰った在り方は、当然コスパも良くなる。

どれだけ短い時間の中で、多くのことができるのか?というのは、コスパを良くするためでなく、生きる上で便利、それくらいのことだと思う。好きでやっているという、それくらいのことである。好きなことなら、いくらでもやっていたいという願いが生まれる。

ピンと張ったゴムは、客観的に見ると「働き者だね」とか「大変そう」と思うものだけど、意外にもそうではなさそうである。心地よい疾走感の中に、身を委ねているように見える。

「体力をつける」ということを考えるけれど、実際、時間との関係性は常に強いから、そういう観点から、日常を見てみてもいいなという、小さな発見したのだ。

とある蒸溜所社長の異次元見学ツアー

そういえばと思い出すのは、とある蒸溜所の社長さんが、蒸溜所を紹介してくれた時の話だけど、とてもリラックスした様子で、昼寝でもしてるんじゃないかといった状態のまま、爆速で見学ツアーをしてくれたことがあった。達人のソレである。滑らかで、パワフルなのだ。

ゆったりしているのに、爆速である。信じられないほどに早く紹介が進むのに、全てを丁寧に教えてくれてるし、伝えてくれる。これまでの見学体験で、トップレベルの高待遇で、それは大満足の体験で、魔法のようだった。

適当にあしらっているわけでないのが、明確に伝わってきた。おそらく、凄腕の経営者ということもあって、時間感覚がとても鋭く、高いから、自ずと体力もあり、エネルギッシュさが伝わるのだと思う。

そういった、時間の解像度が高い人には必ず体力がある。時間が先か、体力が先か、それはわからないし、出す必要もない答えなのだけど、双方向に関係し合っていることだけは確かである。

まとめ

そもそもの嗜好観が「ゆったり」「ゆっくり」ということばかりであったから、長いこと盲点になっていた時間への意識。

時間感覚を圧縮させることは、生命を拡張することになる。

嗜好品をゆっくりと楽しむ時間というのは、「緩急」でいうところの"緩"であり、それを存分に楽しむための"急"の時間が重要なのでは?と、今はそう感じている。

そんな"急"は、おそらくそんなにセカセカとしたものでないし、慌ただしくもない。

疾走感を持って、清々しくやっていれば心地よいもので、心地良さを増していくものなんだと思う。

そういうことを理解して、実践できたならば、きっとまたウイスキーがうまくなる。

ウイスキーと時間、ウイスキーと体力ということもまた、じっくり考えるには価値があるテーマだと感じている。

ウイスキー飲みます🥃