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障害者の私と結婚してくれてありがとう


Googleで「障害者 結婚」と検索すると、上位に「結婚できない」「結婚反対」などのワードが出てくる。「平成25年版障害者白書」によると、障害者の未婚率は、知的障害者96.7%、精神障害者63.9%、身体障害者35.4%、という結果が出ている。この数字が示す通り、障害者にとって結婚へのハードルはかなり高いといえるだろう。


障害者の未婚率
知的障害者・・・96.7%
精神障害者・・・63.9%
身体障害者・・・35.4%

平成25年版 障害者白書(概要)|厚生労働省


私は、双極性障害と全身脱毛症を持っている。始まりは3年前。当時は、もう一生結婚はできないだろうと、私より母の方が落ち込んでいた。しかし、今月で結婚して丸2年。特に大きな問題もなく3年目に突入し、周囲からも「よく続いてるよな」と驚かれることもある。(まあまあ失礼)


実際はいろいろなことがあった。2回休職したり、新しい病気になったり、退職して家を失いかけたり。それでも、幸せな生活が続いているのは、確実に夫の寛大さに他ならない。



プロポーズも婚約指輪も、結婚式すらなかった私たち。これは、私が送る初めてのラブレターであり、最初で最後のプロポーズである。


私の病気について


仕事に打ち込んでいたら、ある日突然、全身の毛がなくなった。汎発型円形脱毛症という名前で、髪の毛だけでなく、腕や足、眉毛やまつげなども抜ける病気である。そもそも円形脱毛症は原因がよく分かっていないらしく、私も身に覚えがなかった。しかし、これがきっかけで精神が不安定になり、その後、双極性障害と診断された。


恋愛はというと、当時の私は結婚願望ゼロ。独身貴族のバリキャリとして生きる予定だったが、病気になったことで将来について考えざるをえなくなった。特に大きかったのは、脱毛症である。


結婚願望の変化


夫とはマッチングアプリで出会った。私はマッチングアプリヘビーユーザーで、夫と出会うまで、約8年間使い倒してきた。数々の歴戦を重ね、自他共に認める「マッチングアプリマスター」になっていたが、脱毛症になってから勝率がガクッと下がった。


脱毛症カミングアウトが確実に出会いを遠ざけていた。フェードアウトされることも多々あり、めちゃくちゃ落ち込んだ。脱毛症は完治が難しく、自然治癒率は10%以下ともいわれている。ウィッグをつけているとはいえ、一生ハゲの可能性はかなり高く、「このままでは一生誰とも結婚できないのでは」と、悲しい現実に愕然とした。


「結婚しない」と「結婚できない」の間には大きな違いがある。私は「できない側」の人間になったのか、と母の涙の意味がようやく分かった気がした。今まで切り捨ててきた「結婚」という選択肢がなんと尊いものだったか。こうして、恥ずかしい話だが、結婚できそうにないと悟ってから、結婚願望が高まってしまうという、悲しい負のスパイラルに陥ってしまった。


夫との出会いとカミングアウト


当時住んでいた名古屋では、マッチングアプリで夫と出会うまでに5人と会い、3人はフェードアウトしたものの、残りの2人は2回目のデートまでこぎつけた。ハゲでも気にしない人はいることが分かり、少し自信がついた。


しかし、この5人に双極性障害はカミングアウトしていない。6人目で出会った夫とデートを重ね、交際を始めて1か月程してから、ぬるっとカミングアウトした。ハゲはよくても、精神障害はちょっと、と思う人は少なくないと踏んでいたから。重々しくならないよう、できるだけあっけらかんとしながら伝えた。



「仕事つらいわ~こんな忙しかったら鬱になってまうわ~まあすでに躁鬱やけどな。ワハハ」


この作戦のおかげか、夫は「別に何も思わなかった」らしい。夫が物事を深く考えないタイプで良かった。障害が原因で、何か問題が発生するということもなく、そのまま仲良く過ごしていた。


トントン拍子に進む交際


交際して半年ほど経ったころ、同棲の話が持ち上がった。しかし、当時の私たちは新幹線で30分の微妙な中距離恋愛をしており、同棲は現実的に厳しかった。2人で話し合い、私が東京へ異動になったタイミングで夫が転職し、東京で同棲しようという形で落ち着いた。


すると、この話し合いから約1ヶ月後に私の東京異動が決定。すぐさま電話で夫に報告し、急いで東京で家探しをすると同時に、夫も転職活動を始めた。この電話が、事態を大きく変えることになる。


プロポーズから見えた本音


当時、私の会社は家賃補助が手厚く、単身で6万、家族帯同で9万円だった。どうせ一緒に住むなら結婚した方がメリットが大きいと思った私は、電話で引越しの話をしながら、こう切り出した。


「同棲なら家賃補助が6万円だけど、家族なら9万円出るから、結婚しとく?」


これに対し、夫は


「3万円も違うの?しよしよ!」


なんと適当なプロポーズだろうか。物事を深く考えない夫の、物事を深く考えない部分が露呈した。3万円の家賃補助を得るための結婚。合理的というか、ロマンチックのかけらもないプロポーズだった。


結婚するのは良しとして、手続きや段取りはどうしようと言う夫に、両家顔合わせや会社への報告などが必要な旨を伝えた。すると、「ええ…親に挨拶するの…」と、突然後ろ向きに。何が嫌なのか尋ねると、一気に夫の本音があふれ出てきた。


親に言いたくない、面倒だから事後報告でいい、結婚式はしたくない。予想外の言葉に唖然としたが、今が話し合いのときだと思い、私も要望を伝えた。


親への挨拶は絶対にすべき、家族だけでも結婚式はしたい、子どもは産まない。この、最後の子どもについての発言で、夫の態度が一変した。


急に見えなくなった将来



「子どもがいないんじゃ、だめじゃん」


私は夫に告白されたその日に、3つの条件を提示していた。1つ目は、ほぼ確実に私は一生脱毛症だということ。2つ目は、全国転勤でいつかどこかに行くかもしれないが、仕事は辞めたくないこと。3つ目は、私は子どもを産まないこと。


夫は「分かった」と言っていたが、このときはまだ、夫が「物事を深く考えない人間」だということを、私は知らなかった。



「だめじゃんって、そしたら私たちどうすんの」
「別れるしか…」


私は絶句し、30秒位固まってしまった。
あ~あ。だから言うたやん。あんな最初に言うたのに、こんなところまで来て、なんやねんそれ。また振り出しに戻るんかい。このすごろく何回目?あと何回サイコロ振ればええん?


私は、とりあえずまた今度話そう、と言って電話を切った。


障害者が子どもを持つこと


これは、あくまで私個人の考えである。
双極性障害と脱毛症を持つ私にとって、子どもを産むことはかなりハードルが高い。どちらも遺伝する可能性がある以上、私は子どもを産めない。


私は自分の病気を、「可哀想」だと思ったことはない。他者がどう思うかは自由だが、今の私は自身の病気を「ただのシステム移行」くらいにしか思っていない。あえてひけらかすことはしないが、隠すこともしていない。


しかし、私と子どもは全くの別人格だ。私は脱毛症と双極性障害を受け入れていても、子どもはそうではないかもしれない。私がどれだけ幸せに生きる道を模索しても、それが絶対に子どもを幸せにするとは限らない。


将来、鬱が悪化したら?その時夫がいなかったら?「子どもをヤングケアラーにしてしまうかもしれない」可能性がある以上、私は子どもを作れない。精神障害がありながらも、子どもを持つ夫婦はたくさんいる。ロールモデルはたくさんいる。障害があるからという理由で出生を否定されるものではない。しかし、私は産まない。


進むか退くか


毎日少しずつ抜けていく髪にゾッとした日も、鬱で風呂に入れず、どんどん自分がゴミのようになっていった日も、絶対に誰にも弱音を吐かなかった私が、このときだけは大号泣しながら母に電話した。

本当は脱毛症になったことが辛かったこと。なかなか自分をコントロールできないのが悔しいこと。なぜ自分だけこんな目に遭うのか。上手くいきそうになったらいつも失敗に終わる。どうせ失敗するなら、もう色々とやめたいということ。


母はたくさん慰めの言葉をかけてくれ、何度も何度も「あんたは大丈夫」と言ってくれた。ただ、最後の言葉だけが、なぜかしっくりこなかった。



「今までもいろんなことがあったけど、その都度覚悟決めてやってきたんやから、これからも大丈夫や」


覚悟?私はいつ、どこで、どんな覚悟を決めたのだろう。そんなことを考えていると、ふと、名古屋で働いていたときの部長の言葉を思い出した。


「髪の毛なくなっても仕事してるのすごいと思うよ。俺だったらショックでしばらく休んでると思う。お前メンタル強いよ」


私はメンタルが弱いから、脱毛症と鬱になったと思っていた。母と部長の言葉から、『私はメンタルが強いからこそ、いろいろな局面で折り合いを付けることができたのでは』と思い始めた。

私は脱毛症になっても、ウィッグをつけて仕事をすると覚悟を決めたのだ。障害者手帳を申請したときも、障害者として生きると覚悟を決めたのだ。そしてこれからも、壁にぶち当たるたびに、覚悟を決めるのだろう。今もまた、新たな覚悟を決めるときではないか?

覚悟が決まった人間の選択とは


夫と電話をした翌日、夫から電話が来た。内容は、思慮足らずな発言をしたことへの謝罪だった。私は、どれだけショックだったかを伝えた。そして、覚悟を決めた。


「結婚しよう」


話し合うべき問題は確かに残っている。障害者のくせに結婚しようなんておこがましい、と思う人も、中にはいるかもしれない。しかし、私は「障害があるから、自分から結婚したいなんて言えない」なんてことは思わない。理由はシンプル、「好きな人とずっと一緒にいたいから」。障害者でも健常者でも、夫婦間の問題は必ず起きる。その時は2人で解決していけばいい。私は夫の人生を背負うと、覚悟を決めたのだ。



「分かった」


後で聞いたところ、夫もこのとき、私と一生2人で生きると覚悟を決めていたらしい。子どもを持たない選択。脱毛症の障害者と生きる選択。夫の覚悟に応えるためにも、私は私の人生をかけて、夫の人生を支えるのだ。


私たちが選んだ道


数年前、ゼクシィのCMで流れた「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」というコピー。私はこの言葉に強く共感する。


私は病気になっても1人で生きてきた。おそらくこれからも1人で生きられるだろう。しかし、夫と一緒に過ごしていく中で、「自分にはどうしても他者の支えが必要なときがある」と自覚したからこそ、私も夫を支えようという気持ちが芽生え、「お互いに」支え合うという重要な部分に焦点が合った気がしている。

「障害」や「病気」にスポットを当て続けるよりは、今できることや未来に目を向けた方が良い。皆、結婚式で誓うじゃないか。『病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、愛し敬い慈しむことを誓いますか?』と。結婚式をしない選択をした私は、ここで誓おう。



私と生きる選択をしてくれてありがとう。
一生幸せにします。


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