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事故で学んだこと~ありがとう~


 私は昨日、自車で公道に出て3日目にして家の前の柵に車をぶつけてしまった。車が多く行きかう道路に右折しようとする時だった。狭い道路だと注意しようという意識があるのだが、広いところに出たからと思って油断した。隣に乗っていた親には、そこの柵ぶつけやすいから気をつけてと言われていたが、いつ他の車が来るかわからないからと焦ってしまい、とりあえず早く右折しようと思ったのが原因である。内輪差のことなど頭になく、いつも交差点での右折ぐらいしか経験していなかったから、一方通行での右折となって完全に右折の仕方を忘れていた。その上焦っていたのでスピードも出してしまっていた。この事故で公共物には損傷はなかったが、自車は相当損壊してしまった。ここまでが大まかな状況説明である。


 こんな相当な金額の修理代がかかるような事故を起こしたにもかかわらず、両親は一度も私のことを叱らなかった。むしろ、

「あなたのせいじゃないよ。誰しも経験するようなことだから若いうちに経験出来て良かった。他の車と衝突したり人を轢いてしまったりしたらそれこそ取り返しのつかないことになるから、自分の車が傷ついたくらいで良かったよ。これからは絶対に事故を起こさないように慎重に運転しようと心がけてね。この修理代で人生の経験を買ったと思って車の運転以外も人生の色んなことを見直してごらん。」

と言ってくれた。両親はただでさえ仕事が忙しいにもかかわらず様々な手配をしてくれたし、妹の迎えに車が使えなくて家族全員に迷惑をかけてしまったのだが、みな最初に言ってくれたのは「体、大丈夫?」の一言だった。


 今回の一件でまず車の運転の苦手なところだけでなく、自分の欠点が見えてきた。私は運転となると普段の性格とは真逆で、焦りになってしまうらしい。たしかに車に、さらに言えば自転車に乗っているときのことを考え直してみるといつも焦っているなと実感した。あと、日常生活でも焦っているときは大体後々後悔する。“焦りは禁物”。これをモットーに生きていかなくてはならないな、と感じた。

 他にも、気づいて一番猛省したことがあった。おそらくこれは今回自分を見つめなおさなければ気づかなかったことだと思う。それは、私はよく「まあ、いけるでしょ。」とか、なにか失敗した後でも「まあ、いっか。」と無意識に思ってしまっていることだ。今回もぶつける前、親に忠告されていたにも関わらず、私は自分の能力を過信して「まあ柵結構離れてるしいけるでしょ」と思った。ぶつけた直後も実は「初心者だしこの車でかいしよくあることだよね、まあいっか」と開き直っていた。

 今までもこんなことが何回もあった。まだ小学校低学年のころ自転車で後ろに友達(幼稚園児)を乗せて坂を下りようとしたとき、持っていたコイン一枚を手に握ったまま乗るかそこに置いていくか実は迷った。まあたかがコイン一枚、気を付ければ大丈夫でしょ、と思って結局コインを握ったまま坂を下りた。そうすると、なんとコインを持っていたせいでブレーキがつかめなくなっていたのである。どうしたらいいか分からず、とりあえず真正面に現れた家の塀に突っ込んだ。運の悪いことに、そこには植木鉢があった。割れた植木鉢の破片で後ろの子はけがをし、病院に連れて行かなくてはならなくなったのだ。植木鉢に関しても弁償し何度も親が謝りに行った。流石にこのときは反省したが、それでも自転車のせいにした。なんの罪もない自転車が捨てられていくのを見て非常に胸が痛かったのを覚えている。

 こんなふうに今まで“まあいける”精神による失敗が何度もあったのに、私はなぜか昨日まで気づかなかった。今回のことでこんな私のとんでもない欠点をあぶりだすことが出来たのである。


 もう一つ思い知ったことがある。それは、本当に良い家族に恵まれているということ、家族は大切にしなければならないということだ。自分だったら車を壊されたら怒るし、もっと注意したらよかったのにと責め立てたと思う。でも私の家族は全員まず私の体のことを心配してくれた。高い修理代も経験代だと慰めてくれた。だからこうやって昨日学んだことを書き留められているわけだし、この事故を前向きに捉えて次に活かそうと気を持ち直すことが出来ている。最近は遅めの反抗期で、なかなか親にありがとうを伝えられなかったりちょっと反抗的になっていたりしたが、昨日改めて、感謝を素直に伝え、親を尊重して接するべきだと思い直すことが出来た。あと、なにかあったときは物ではなくまず人の心配からできるような人格を持たなければならないと胸をうたれた。もし妹が昨日の私のような事故を起こしていたら、私はおそらく車は大丈夫なのか、修理代はどのくらいなのか、つまり物(さらに言えばカネ)について一番気になっていたと思う。どうしてこんな失敗をしたんだと責めたと思う。でも妹を含め私の家族は何ともない私の体を気にしてくれた。このような人格が私には足りていなかったと反省したし、これからしっかりと人を思いやれる人格を持とうと決意することが出来た。家族は色んなことを教えてくれる。そんな風に強く感じた一日だった。





ありがとう。






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