赤の他人への信頼。
たまたま、こんな記事を見つけました。
レイチェル・ボツマン: 機関よりも赤の他人
― 現代人に広がる新しい「信頼」とは
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20170331-00002604-ted
私たちの考える「信頼」の概念に、何かとてつもない変化が起きつつある、と。
なんらかのシェアリング・エコノミーのサービスを利用したことのあるひとなら、少なからず共感する部分があるんじゃないでしょうか。
このnoteを書いているあいだにも、上の写真のように「元・赤の他人」が茶の間でまったり過ごしています。
彼が、我が家である《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》に来たのは、これで何回目だろうか。
はじめは、誰かが書いたブログでギルドハウス十日町のことを知り、気になってやってきたとか。
もちろん、初対面では「赤の他人」だったわけです。
でも、数回うちにやってきて、日帰りして、そして何回目かのときに初めて泊まって。そんなことを重ねるうちに、「元・赤の他人」になっていきました。
いまではかなり場の雰囲気になじんでいて、昨夜なんかは夕飯の直前に到着したにもかかわらず、まるで住人のようにいっしょにごはんを食べていました。
ほかの住人からは、
「あれ?いつ戻ってきたの?」
「まるで住人みたいだね」
とか言われて。
そもそも到着したとき、彼は「ただいま~」と言いながら玄関に入ってきましたね。
じぶんも思わず
「おかえり~」
と返してしまいました。
さて、赤の他人への信頼とは。
もともとみんな他人だったわけだけど、いっしょにいろんなことを共有していけば「元・赤の他人」となり、「知人」から「友人」になっていく。
いや、「友人」という表現もなんだか違うような。
じぶんは以前
「友だち以上、家族未満」
という表現をしたことがあります。だれかの受け売りだったかな。よく覚えていないけど、なんとなくそっちのほうが的を射ているような気がします。
いまギルドハウス十日町には、14人が住んでいます。
さらに1か月以内には、2~3名がうちに住み始めます。
みんな「元・赤の他人」から「友だち以上、家族未満」になっていくのでしょう。すでに我が家を巣立った元住人たちも、たまに帰ってきてくれるので、まるで親戚が増えていくかのようです。
じぶんが立ち上げた新しい住まいの形。
職場とは違う、住まいという視点だからこそ築ける新たな信頼関係。
個人的には、なにやら父性を喚起・精進させられる毎日。
年月を重ねていくにつれ、「友だち以上、家族未満」から「家族も同然」のような信頼関係が築かれていくのかな。
赤の他人から、血縁を超えるほどの信頼関係へ。
じぶんが今夏スタートさせるアプリでも、そんな信頼関係を築いていけたらいいな。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。