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40代で隠居して3年。いま思うこと。

もう3年、まだ3年。40代で隠居してそんな年月が経ちました。

ただの隠居ではなく、よりつながりが広がる《ソーシャルな隠居》と勝手に銘打って、この3年間を過ごしてきました。

今回のnoteでは、いま思うことをまとめてみます。


働かなくても関係を築いている

じぶんの住まいを《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》としてデザインしたおかげで、山奥の限界集落にある一軒の家にもかかわらず、共同生活を営む10名前後の仲間や、訪問してくる延べ6,600人以上のみんなと支えあいながら暮らすことができています。

ここは、お店でも宿でもありません。

ただの住まい。

言うなれば《運営でも経営でもなく、関係を築く場所》です。

暮らすことが仕事のような。働くという意識はなく、関係を築く心地よさ。強いつながりも、弱いつながりも混在しています。

これなら、大黒柱のようにひとりせわしく働くことなく、これからも末永く、死ぬまで楽しく暮らしていけるのではと思っています。


大家族のお父さんかおじいちゃんに

関係を築いていたら、ここで出会ったカップルが婚姻届けを出すというので証人になりました。この3年で、それも2組も。

最近よく、20代の住人の女子ふたりがじゃれあっています。

「こらこら、姉妹ゲンカするんじゃない」

と、笑いながら仲介することもあります。

3歳の子や、生まれたばかりの赤ちゃんを預かったこともありました。

みんなと血縁はないけれど、じぶんが大家族のお父さんやおじいちゃんのように思えます。

自業自得とはいえ孤立無援の独り身だったじぶんに、こうして実家のような家ができて、心穏やかに暮らせています。


やること、やらなくていいことが明確に

会社員だったころや、フリーランスになったばかりのころは、ある意味じぶんを殺し、他人(クライアント)のために仕事をしていました。

忙しいという字は心を亡くすと書くけど、文字通りそんな感じでした。

でも、いまは違います。

まず先にじぶんが幸せになることを考えて行動できるようになりました。

じぶんが幸せにならないと周りが幸せにならない、と考えています。

だから、やるべきこと、やらなくていいことをハッキリと分けられるようになりました。

たとえば、ふだんよく講演などの話を持ち掛けられますが、そのほとんどをお断りしています。その代わり、ギルドハウス十日町のつながりからの依頼はほとんど快諾させていただいています。

おかげで、じぶんのソーシャルな隠居の時間がたくさん持てるようになりました。ふだんはのんびりと過ごしつつ多様なひとたちを迎えますが、気が向いたら家のことを仲間たちに任せて知人をたずねる旅に出て、しかも交通費や宿代がかからないこともあって ... そしてまた訪れる余白の時間にたくさんの偶発的な出来事が入り込んできて ... いろんな展開を生み出します。

なので、山奥の田舎暮らしですが、のんびりしているものの退屈することはありません。

そんなバランスのよい生活になっています。

だけど、ともすればわがままだし、自己中心的にとらえられることもあります。それはそれで《来る者拒まず去る者追わず》と割り切っています。


ベーシックインカムをじぶんで作った

こんな暮らしがじぶんの生活の基盤になっています。

働くという意識はなくても、暮らしていけています。

生活保障としてのベーシックインカムをじぶんで作ったようなものでしょうか。そうして得られた余白の時間でいろんなことに考えをめぐらすことができ、仲間たちと共に「次はこんなことしてみようか」と活力が生まれます。

健康が大事だし体力をつけないと、という行動にもつながります。

繰り返しになりますが、これなら死ぬまで楽しく暮らしていけるのではないかと思っています。


でも、まだまだ課題はある

新しいプロジェクトの「アルトバウ」を立ち上げたりと、これまでいろんな仕掛けをじぶんの住まいであるギルドハウス十日町に施してきました。

この世の中にはいろんなルールがあって、それも必要なんだと心得ていますが、それによって生きづらい部分があることも確かです。

だからこれからも時代の変化に対応しながら、しなやかに暮らしていきたいものです。そのために、日常的にヒトと情報がゆきかうギルドハウス十日町に身を置き、さらに暮らすように旅することでつながりや知見を広げていかないと。都会と田舎のバランス感覚を養いながら、他の地域とのつながりづくりも必要でしょう。

ちなみに、今年はギルドハウス十日町の住人もいっしょに連れて旅するようにしています。ひとり旅もしますけど《旅は道連れ、世は情け》。心強いし、そこに本気と本音とおもいやりが生まれます。


あと、1年目と2年目はあまりにもひとの出入りが激しく、それがストレスに感じることがありました。それはそれで楽しかったしギルドハウス十日町のコミュニティが思った以上に広がったようなのでいいのですが、想定以上に多い状態が日常的になりすぎてアンバランスだったな、と。それが3年目になってようやく落ちついてきて、バランスのよい生活になってきたと思います。


じぶんらしくいられる日常が、誰かの価値になる

じぶんらしくいられる日常がある程度まで実現し、その暮らしがここに出入りする誰かの価値にもなっている、そんな状態に幸せを感じます。

まずはじぶんのために。
そしてそれが誰かのためにもなっている。

ソーシャルな隠居がこれからもそうした幸せな暮らしであるよう、のんびりと、それでいてたまには大胆に、楽しんでいこうと思います。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。