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「仕事が好き」キャリアを積んできたJaneさんの過去・そしてこれからとは

「仕事を愛している。」
そう語るJaneさんは15歳で働き始めてから、会計士・財務マネージャー・IT・ビジネス分析・英語教師など様々な分野で「プロフェッショナル」として、仕事に没頭してきました。

2022年のロシアのウクライナ侵攻によって、日本に逃げてきた彼女の、仕事へのパッションと、思い描く未来とは。

Janeさん。1991年生まれ。ウクライナ出身。母国で教育学と会計の学士を取得。2022年ウクライナ侵攻をきっかけに来日。ウクライナ語、ロシア語、スペイン語、英語を話す4か国語話者。


苦労の多かった子ども時代

ーどんな子ども時代を過ごしましたか?
とても貧しい家庭で育ちました。
私は1991年に生まれです。1991年はウクライナがソ連から独立した年、そしてソ連崩壊の年。とても大変な時代でした。みな、貧困と闘っていました。

15歳のとき、まだ中学生でしたが、働き始めました。私の家族が経済的に苦しんでいるのを目の当たりにし、家族の力になりたいと思ったんです。親の意向でも、祖母の押しつけでもなく、自分の意思で働き始めました。
仕事を始めて稼ぎを得ることができ、家族を助けられ、働くことに幸せを感じていました。

17歳には実家を出て、他の町へ引っ越しました。
大学に通いながら、二つの仕事を掛け持ちし、自分自身で生計をたてていました。大学の授業が終わると一つ目の仕事に、一つ目の仕事が終わると二つ目の仕事に行くというルーティンで、かなりハードでした。

ー最初は技術系の大学で教育学の学士をとったのですね
ウクライナでは【テクニカル】という、短い期間で学士を取得できる学校があります。そこで奨学金を得ながら、2年で学士を取得しました。
当時はどこの学部にもあまり興味を持てなかったので、奨学金のため、成績をとるのが比較的楽な学部を選びました。

会計士としてのキャリアのスタート

ー卒業後はなにをしていましたか?
18歳で大学を卒業すると、商品を保管する倉庫で働くようになりました。ウクライナ全土でとても有名な本の出版社の倉庫です。
そこで仕事の一貫として、会計に関連するソフトウェアを扱うことになりました。ここでの業務が数字・分析に興味を持つきっかけとなりました。
ある日、上司の一人に、
「あなたは本当に素晴らしい分析能力を持っている。将来、金融部門で活躍できると思います。」
と言われました。この言葉は今でも忘れられません。

ー倉庫での仕事を退職したあと、保険会社に転職したそうですね。
はい。転職しようと仕事探しをしていた時、履歴書を出したある保険会社の担当の方から声がかかり、面接することとなりました。
私は当時、すでに倉庫で国際会計のプログラムを学んでいました。
経歴をみて、担当の方は私が21歳(当時)でそのプログラムを深く知っていることに衝撃を覚え、将来の可能性を見込んでもらえたのです。
面接で、学歴について聞かれた際、会計の学士がないことを素直にいうと、学士を取得しながら、会社で働くことを提案されました。「私たちは会計士が必要です。キエフの大学で会計を勉強しながら、ここで働きませんか。」と。
私は「首都に!」と、即決。
キエフに移り住み、彼女と一緒に働き始め、会計を学び始めました。

仕事が本当に好き。彼女がそう語る理由とは。

ー長く会計や財務、経理関係の仕事をし続けてきました。なぜ会計という仕事にパッションを覚えるのでしょうか。

間違いを探し、その間違いが二度と繰り返されないようにすることが好きだからです。
私は「超能力がある」と言われるほどに、すぐに間違いを見つけることができます。経理で25年以上の経験のある上司よりも間違いを早く見つけることができます。 感覚的にどこがうまくフィットしていないか、すぐわかるのです。

時にはひとつの間違いを見つけるため、夜も眠らずに働くこともありました。しかしそういうときに、間違いを見つけられるとまるでスーパーヒーローになったような気分になれるのです

会計の分野で働き始めたとき、そのことを痛感した出来事がありました。
1年の決算報告書で、3セントの数字が合わなかったのです。
経理にとって、3セントの間違いを見つけるのは、最も難しい仕事です。100万や1万や5000を見つける方がよほど簡単です。一方、会社の書類では、3セントの違いは大問題です。
その時、2日後が報告書の提出日でした。
午後6時。「3セント合わない!どこが間違っているか探さなきゃ!」
私たちは翌日の朝6時まで探し続けました。
1年分の何十億、何百億という書類を片っ端から調べました。
そして、ようやく3セントの間違いを見つけたのです。1セントずつ、異なる書類での間違いでした。
終わるころには、私の近くのテーブルも床も、支払いの請求書やで埋め尽くされていました。とにかく忙しく、目が見えなくなるくらい疲れました。
でも、心の中では、やり遂げたという満足感がありました。 私がこの3セントをすべて見つけたのです。その時、間違いを見つけるのも、間違いを存在させなくするのも、素晴らしいことなんだ、と理解しました。そして、会計の仕事に惚れ込んでしまったのです

しかし、2013年にユーロマイダンという、国内での大革命が始まりました。
この大革命は大きな企業に特に衝撃を与えました。私の会社も倒産してしまいました。
その後、私はキエフに留まり、次の仕事を探しました。

ーその後はどのようなキャリアを送ったのですか?
ネイルに関する事業を展開する会社で、財務マネージャーとして働き始めました。
そこは新しい会社でした。事業が急速に成長し始めた時期でした。そこで私は経理・財務を担当しました。会計入力ソフトも作りました。人材を教育することもありました。私が新しいお店を開店したこともありました。3つのECサイトと実店舗の物品管理・発注もしました。倉庫管理もしなければなりませんでした。あまりにやるべきことが多く、また経理・財務を担当しているのはわたし一人だったので、24時間365日ノンストップのようなスケジュールで働きました。
あわせて、海外に留学する夢を叶えるために、英語の勉強もしていました。当時はシンガポールに行きたいと思っていました。しかし、そのためにはTOEFLで最高得点を取らなければならなかったのです。
経済学の勉強も会計の勉強も続けていました。知識を増やさなければと、国際経済報告の本を読み、論文や報告書を読み、と続けていました。

そして、ある日、目覚ましで目が覚めましたとき、体が動きませんでした。手が反応しないんです。極度の疲労でした。寝ているだけなのに、体が500キロもあるような重さに感じ、体のどこも動かせませんでした。
結局、その日は出社できず、しばらくの間、休みをもらいました。

しかし、それでも私はそこでの仕事が好きで、辞めたくなかったのです。疲れ果てていたけれど、すごく幸せでした。
そのように感じていたのは、その会社における自分の存在意義を強く感じていたからです。人からの指示ではなく、自分自身が自ら考え働いている。もし私がこの会社にいなければ、会社が達成できていないだろうことがたくさんある。
その状態に幸せを覚えていました。自分の存在意義の強さが、仕事に対する情熱につながっていました。たとえ疲れ果てて歩けなくなったとしても、仕事を愛していました。

ー仕事に対する強いパッションを感じるエピソードですね。最近ではITにも関わるようになったということですが、どのような経緯ですか?
IT企業での仕事は財務の仕事をしていたときに、副業として始めました。
会社の人から、IT業界では給料がいいことを聞き、そこで働き始めました。品質保証やテストの仕事を始めました。
ウクライナでは、多くの企業が会計ソフトを必要としており、会計ソフトの開発が盛んでした。そこで会計の知識を用いて、システムのテスト業務を行っていました。

来日して1年。今の生活は?

ーウクライナから避難して1年が経ちます。今困っていることはなんですか。
仕事探しに困っています。現在、IT・金融など自分の経験・スキルの活かせる分野で仕事を探しています。
あちこちに履歴書を送っていますが、たいていの場合、返事をもらうことすらできません。日本語の問題です。「この会社では日本語が話せなければならないので…」というような返事が来ることもあります。財務の分野もITの分野も、どこでも日本語が必要でした。
でも、現職もあり、日本語を勉強する十分な時間はありません。日本語学校は高いので通う余裕がなく、独学で勉強しています。

履歴書を送る際には、必ずカバーレターに、「日本語が話せなくて申し訳ないです。しかし、私は非常に速く学ぶことができます。もし、私に機会を与えていただけるのであれば、私は全力を尽くします。」と書きます。

今はWELgeeのキャリアコーディネーターとともに、仕事探しに励んでいます。毎週、電話で作戦会議をし、会社とのご縁を模索しています。WELgeeのメンバーとはすでに沢山出会いましたが、皆さんポジティブで、明るく、WELgeeと出会えたことを感謝しています。これからもWELgeeとともに、いい会社と素敵な出会いができるよう、一歩一歩進んでいきたいと思います。

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