右脳優位=ワンネスな日常感覚
ネドじゅんさんの
このイラストのかんじ、、、
アタマがからっぽで、
胸のあたりにフワッと「ある」感覚
アタマはからっぽなので世界との境界線が薄い
分離感のなさ、一体感、、、
そのようなかんじ感覚から、
いま・ここで起きていることに気づいていると、
季節感、世界の様子が
とても豊かに、美しく、はいってくる
まさに、これこれ、、、
たとえば
「ワンネス体験・一瞥体験」
と呼びたくなるような体験
それは、とても印象的なターニングポイントとなるような出来事として“機能するために…” そのような体感覚を伴うようにおもいます。(そのようなことも起きるなら起きますが、必須というわけではないようにおもいます。)
そのようなインパクトのある体験に比べたら、
このような日常的な右脳優位な知覚は、
ある意味、とても「地味」かもしれません。
ドーパミン的な高揚感はありません。
だから、誰かにそれを伝えたくなるような
興奮感もありません。
ふっと気持ちのいい風が
通り過ぎていった瞬間のような、、、
たわいもない、日常のささやかなかんじ感覚
ささやか…だけれど、
完全に満たされた感覚です。
ああ、いま・ここにいることが嬉しい…
(特別ななにか・嬉しい出来事があったわけでもないけれど…)
それはお誕生日などの記念日に食べるような
「特別なご馳走」のようなものではなくて、
いつものおうちご飯。
白米、塩おにぎり、味噌汁に、しゃけ。
海外旅行から帰ってきたときに
日本食のおいしさとありがたさ。
やっぱり、これだよなあ、、、、
この「地味さ」が、なんともいえない、おだやかさ。
飽きる飽きないじゃなくて、もうそれがわたしそのもの。
日常的な、右脳優位なワンネス感覚って
そんなかんじがします。
ウェルカムレイン☆サヤカ https://lit.link/wrsayaka
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