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身の上話と起業家精神


スタバで仕事をしている人が好きだ

一人暮らしが多い街の土日のスタバは居心地が良い

ピクニックとかファミリー層の多い場所に行くと
あたたかい気持ちになるけど少し心が寂しくなる。

それは自分の家庭と嫌でも比べてしまうからだろう。


それなりの家庭に生まれて
それなりの教育を受けたら
それなりの成功をする

でもその『それなり』ってなんなんだろう。
貧富と教育の格差についてどんどん差は広まっているのではないのだろうか

ふと平日昼下がり、都心の公園で慶應の友人と2人で話をした。



母によると私の母方のおばあちゃんはとても教育的な人だったらしい
私の印象は美意識の塊で優しくて女子力の高い人。

素敵な着物もたくさん持っていて着物の畳方も教えてもらったことがある。
踊りが好きで若い時はよく踊っていたらしい、昔の踊りだなんてなんて素敵な遊びをしていたのだろう。

おじいちゃんは国税査察官だった。まあこれも後から聞いたのだけど。
納税は心掛けないといけない。

私の印象はいつもニコニコしていてテレビでよくゴルフを見ていて
部屋にゴルフボールとクラブがたくさんあって一円玉だけ入る貯金箱があって、紙飛行機を一緒に作ってよく家の中で遊んでくれた。

国のために働いてその後税理士事務所を立ち上げたおじいちゃん。
昔でいう超エリートなのではないのだろうか。

休日は接待のために朝早くからゴルフに行って平日はずっと仕事。
母は遊んでもらった記憶がないという。

私の母と叔母はおじいちゃんに別々に家を買ってもらって
私もその家にずっと住んでいた。

そんな今はなきおじいちゃんおばあちゃんをとても尊敬している。

父母、はどういう人だったかというと
私が小学生の時に2人は別居を始めた。

なので父についてあまり記憶がない。
正確に言えば意図的に記憶から抹消したきがする。

なんか旅行が好きでしょっちゅう連れて行ってくれたりはした
2人で自転車で遠くまで出かけて釣り堀に行ったりもした
ただ、あまり好きではなかった

最近になって長い争いからようやく離婚が成立したのだが
できることなら二度と会いたくない。

少し攻撃的な映画や文章を見ると心が痛む
今も辛くなってきたのでここで終わりにする。


母は私が生まれる前から精神疾患を患っていた。
2人暮らしが始まって、病状もどんどん悪くなり、かなり辛かった。
救急車の呼び方に慣れてしまったり、数少ない親戚には話を軽く見られ、児童相談所をたらい回しにされたり、学校に行けなくなったりと子供の頃はあまりいい記憶がない。

そこで、自分1人で生きていかなければならないなと強く思った

誰も頼れない誰にも話せない、頑張って話したとしても意味がない
子供ながらそう感じた。

そこに私の熱い気持ちの原動力があるのだと思う。
行動力を身につけたもの経験があってからこそ。
だから今、胸を張って『行動力』が自分の強みだと言える。


高校生の頃、自分の頭が成長していることに自分でも気づくぐらいに
脳味噌で色々なことが考えられるようになった。

まず感じたのは、母と一緒にいることはお互いに悪影響を与えているという点。


そこで私は自ら門を叩き
高校二年生の時
とある家に一定期間ホームステイをさせてもらった。

ホームステイ先の家族が血迷う私を快く受け入れてくれたのは
今でも鮮明に覚えている。

お父様はディーラーの経営者だった。
家は中で迷子になるくらいの豪邸だった。
代々、直系の長男は親の会社を継がずに独立するのがおきての家だった。

今は海外にいるお兄様のお部屋をお借りして
ディナーの時間には面白い経営の話。

そこで私は経営にはじめて興味を持った。



その後現場で学ぼうと思い、テレビで見かけたベンチャー企業に
自らアポをとり、社長側近でマーケティングや組織づくり、サービス展開や経営のやり方
について学んだ。

その後自分にも独立マインドが確立した。

フリーウエディングプランナーになろうと思ったのもこの時。
きっとおじいちゃんの独立精神を受け継いだのも
あるんじゃないかと思うけど。

ーーー

じゃあ話に戻るが、

起業マインド、逆境マインドが若いうちから生まれるとしても
ある程度リテラシーが高くないといけないのではないのだろうか

そのリテラシー自体が
お金を払って受ける『教育』と
自分で経験を得ようとした時の副産物である『学び』

の2種類になると思う。


「若い期間」は限られていてみんな学校や部活だったり時間の拘束があるが故、
より高度な教育を受けた人から早く成功していくパラドックスに陥る。

自分の子供に成功という名のリテラシーを高くしてほしいをと願うのは
親の傲慢だが、だから教育ビジネスは現代でも潤うのだろう。


それなりの家庭
それなりの教育
それなりの成功


はとある場所から見れば簡単で
とある場所から見れば喉から手が出るほどにとても難しい。


難しいと感じる層からはその世界は見えにくいのがまた皮肉だ。


公園での昼下がり、2人の視点がうまく交わるのは
どこかで世界を見る目が一緒なのかもしれない。



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