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ラオスのひと昔前に、小さな女の子だったチャンの話 第3話

山の畑にはみんなが集まる

 ラオスには雨季と乾季があります。雨季に入るのは4月ごろで、雨はもちろんずっと降っているわけではありませんけれど、よく降ります。10月半ばごろになると急に空気がカラッと乾いたようになって、乾季が始まります。乾季になると、もう雨はほとんど降りません。
 雨季には、種まき、田植え、草取りと、農作業が忙しくなります。そして乾季には、収穫をして稲を脱穀し、米倉にお米を入れる作業があり、休む間もなくまたすぐに次の畑の準備を始めなくてはいけませんでした。だから、本当に一年中忙しかったのです。すべて手作業ですから、何をやるにもうんと時間がかかりました。
 8歳のチャンはお母さんの家事も手伝いましたが、お父さんの畑仕事にもついていきました。チャンはお父さんが大好きだったので、どこへでもついていきたかったのです。初めのころ、お父さんは、
「小さな女の子を森に連れていくのはなぁ・・・・・・」
と言いましたが、チャンが、
「だいじょうぶ。ちゃんと言うことを聞くし、わたしは力持ちよ!」
と言うと、それからはいつも連れていってくれました。

 当時ナーヤーン村では、水田には水稲を植え、山の森を切り開いて作る焼畑には陸稲おかぼといろいろな野菜を植えていました。(ラオスの人びとの主食はもち米で、一般的には水田にはもち米を、山の畑にはもち米とうるち米の両方を植えることが多い)
 1月末には、森の木をる作業が始まります。チャンやトーン兄ちゃんも、ナタで細い木ややぶを切り払う作業を手伝いました。お父さんはおので大きな木を切り倒しました。こうして切り倒した木々が、乾季の太陽の光に照らされて乾きカラカラになったころ、火を入れるのです。雨が降り出す前の乾季の終わり、あたりは乾燥しきって、倒された木々も周りの草も枯れ色になっています。
 ラオスのお正月は4月の半ばごろですが、チャンが子どものころは、お正月の前に火入れをしたものでした。火入れの日はちょっと緊張します。カボーンをもって、お父さんたちは切り倒されて乾いた木々に火をつけて走ります。チャンたちは少し遠いところで待っていました。炎がメラメラと乾いた倒木を燃やしながらうように広がっていきます。大きな炎が渦を巻くと、風もゴォーッと音を立てて渦を巻きました。灰が空に舞い上がり、見上げると空がオレンジ色に見えました。「このまま火が消えなかったらどうしよう?」と毎回チャンは怖くなったものです。でもしばらくすると、火はスゥッと収まって、真っ黒く焼け焦げた地面が現れます。プスプスと黒く焦げた木々がくすぶって、逃げ遅れた小鳥が焼けて落ちていることもありました。
 
 こうして森は切り開かれ、畑になりました。畑では、まだ土に熱気がこもっているうちに、まずトウモロコシやスイカ、キュウリの種をまきます。燃え残った倒木の周りには、ジュズダマを植えました。ジュズダマは、ちょうど秋のタートルアン祭りのころに収穫できたので、束ねてでて、村のお姉さんたちがお祭りに売りに行ったものです。
 豆、かぼちゃの種もまきます。木を伐るときに、わざといくつかの木は残しました。それは、かぼちゃやヘチマなんかのツルを這わせるためです。豆は、ポーンと呼ばれるシロアリ塚の周りにまきました。キャッサバ、プアック(里芋)、サツマイモ、それに、サトウキビも植えました。
 このように山の畑では陸稲の種もみをまく前にいろいろな野菜を植えたので、市場に行って買う必要なんてありませんでした。草取りは大変でしたけれど、畑からいろいろなおいしいものがれたのです。

 6月、雨が降り出し、山の畑の地面が湿ると、いよいよ種もみまきです。一つの家の畑を1日がかりで、村のみんなが協力して、総出でまくのです。  先をとがらせた長い棒をもったお父さんたちが、棒の先を土に刺して、等間隔に穴をあけていきます。その穴に、お母さんたちや子どもたちが種もみを10粒ほど入れては、土をかぶせます。ちゃんと土をかけて種をかくさないと、森のネズミが出てきて、あっという間に食べてしまうのですから気をつけてやりました。その時、同じ穴にマンパオ(梨のような味がする生で食べる芋)の種をいっしょに入れることもありました。マンパオは稲といっしょに成長して、ちょうど稲刈りのときに食べごろとなるので、それはもう一つの楽しみなのでした。

 山の畑の陸稲の種もみまきが終わると、こんどは水田の準備です。そのころは、どの家でも水牛をたくさん飼っていました。水牛の力なくして水田を耕すのは大変なことだからです。
 水牛にすきをつけて土を起こし、雨が降って水田に水が入りはじめると、楽しいことが待っていました。お父さんが言います。
「さあ、今日はゲップパー・キーカードの日だ。みんな、たくさんとれよ!」
 キーカードというのは、カード(日本語では馬鍬まぐわと呼ばれる)という道具を水牛につけて、田んぼの土をいて整えることです。ゲップパーというのは、魚をとること。つまりはこういうことです。お父さんが水牛を操って、カードで水田の土を掻き起こすと、そこに水が流れこんできます。子どもたちは、水とともに流れこむ魚をねらうのです。いったい、どこから湧き出てくるのだろう? というほどに魚が飛び跳ねました。子どもたちは泥だらけになりながら、魚をとってはカゴに入れました。大きな魚も小さな魚もピチピチ跳ねます。あんまりたくさん魚が跳ねるので、子どもたちは、なるべく大きな魚をつかまえました。そのころは、飽きるほど魚がとれたものなのです。大きな魚はご馳走ちそうとなり、小さな魚は、お母さんたちが塩を混ぜて、ラオスの料理には欠かせない調味料、パデークという魚醤ぎょしょうを作りました。

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 田植えは雨季の真っ盛り7〜8月ごろにおこないますが、田植えが始まる前、村では何軒かの家が、家畜の牛や水牛を殺して、お肉にしました。このころは、家畜を飼っていても、その肉をしょっちゅう食べたわけではありません。それどころか、ふだんお肉を食べることはあまりありませんでした。魚や虫がおかずの中心だったのです。でも、いよいよ田植えが始まるとなると、やはりお肉が食べたいものです。力をつけなくちゃいけませんから。それで、田植え前には、牛や水牛を殺して、干し肉を作り、田植えのときのおかずにしたのです。
「明日うちで牛を殺すんだけど、少しどうかしら?」
と、となりの家のサン姉さんが、チャンの家に聞きに来ました。
「じゃあ、お願いするわ。カオギヤオ(収穫米)2袋分(24kgほど)でね」
とお母さんは答えました。カオギヤオというのは、これから収穫するお米のことです。牛肉とお米を交換するということなのですが、実際にお米を渡すのは何ヶ月も先、この年の稲刈りが終わり、お米を米倉に入れるときでいいのです。
 次の日、おとなりの家は朝からにぎやかでした。よく研いだ包丁を持参した男たちが集まって、牛を殺し、肉をさばくのを手伝いました。肉を分けてもらう家は、はかりで量った肉をバケツに入れてもらいました。肉も内臓も皮も全部いっしょに分けられました。サン姉さんは、紙にお肉を分けた人の名前と、分量を書きつけました。収穫が終わった後に、この紙を見てお米をもらわなくてはいけないからです。
 おとなりの家では新鮮な牛肉の料理、ラープを作ってふるまいます。男たちは、血入りのラープ作りに大忙しです。ふだんのご飯作りはお母さんたちに任せっきりでも、こうした肉料理のときは、男たちの出番なのです。いつまでも酒を飲んで大騒ぎしている男たちを尻目に、お母さんたちは持って帰った肉を干し肉にするのに大忙しでした。忙しい農作業の日々のちょっと中休み、楽しい一日でした。

 水田の田植えも、村中の人たちが総出で手伝い合いました。田植えのころには、山の畑に植えたトウモロコシや、スイカやキュウリが熟れはじめます。お母さんは田んぼのあぜ道にバナナの葉を敷き、畑から穫ってきたスイカやキュウリ、茹でたトウモロコシを並べておきました。みんな、田植えをして疲れると、あぜ道の「おやつ」に手をのばしては、モグモグ食べたのでした。

 田植えのさなか、山の畑ではこんなことがありました。7月末のある昼下がり、お父さんは山の畑へスイカの熟れ具合を見に出かけることにしました。チャンはいつものようにお父さんについていきました。
「今日は出るのが遅くなってしまったから、畑の小屋で寝ることにするよ」
と、お父さんはお母さんに言いました。
 ふたりが歩いて、山の畑に近づくと、あれ? 何かが行ったり来たり、ちょこまかちょこまか走っているのが見えます。チャンは目を凝らしました。
「お父さん、サルだよ! サルが何かを抱えてる」
 ブタみたいな尻尾をしたブタオザルが3匹、キャッキャッ言いながら、もぎ取ったスイカを腕に抱え、逃げ出しました。サルたちは少し走ると、途中でスイカを地面に落として割り、おいしそうに食べはじめました。ちょうど食べごろになった大きなスイカです。
「こら〜〜!」
 チャンとお父さんは大声を出しました。ところが、サルたちはキャッキャッキャッキャッとからかうように森へ走っていったかと思うと、こんどはもっと大勢の仲間を連れてもどってきたのです。8匹ほどが勢いよく走ってきます。チャンやお父さんのことなんて、まるで怖くないみたい。サルたちはまたスイカをもぎ取ると片腕に抱え、残りの3本脚で走って逃げていきました。人間の2本脚ではとても追いつけません。
「お父さ〜ん!」
とチャンは言いました。お父さんはようやく銃をとりだすと、サルたちに向かって撃ちました。パン、パーン! でも、お父さんの銃はぜんぜん威力がないので、音を立てて脅すのに役立つくらいです。それに、お父さんはあまり上手じゃないので当たりません。
「お父さ〜ん!」
 チャンはサルたちの後ろ姿をにらみながら、また言いました。でも、サルたちはキャッキャッキャッと森へと走り去っていきました。

8月18日受取サルのスイカ盗み

 その時、トトトト・・・・・・トトトト・・・・・・トトトト・・・・・・という音が森から聞こえてきました。
「えっ? なんの音?」
とチャンは耳をすませました。お父さんはちょっと眉をひそめ、
「静かに」と言いました。トトトト・・・・・・トトトト・・・・・・と音がまた聞こえます。
「お父さんってば、なんの音?」
「だまって! 声を立てるんじゃない」
「何なの? お父さんってば!」
と、チャンが言うと、お父さんは怖い顔をして、
「クマだよ!」
と言いました。チャンはびっくりして口を閉じました。
 ほどなく、真っ黒くて、胸にV字のように白い毛の生えた大きなツキノワグマが、のっそりのっそりと森から出てきました。サルたちの騒ぎにつられて出てきたのでしょうか。トトトト・・・・・・というのは、クマが頭をふるわせるときに耳が立てる音だったのです。クマはトラのように家畜の牛や水牛を殺すようなことはありません。でも、ばったり出会うと怒って人を殺してしまうことだってあるのです。クマは両方の手で、人間の鼻を引き裂いてしまうといいます。チャンは大きなクマの姿を見ると、怖くて泣きそうになりました。
「心配するな、お父さんが何とかするから。おまえは畑小屋に上がっておいで」
と、お父さんは小声で言いました。チャンは小走りに、畑小屋に上がりました。
 お父さんは銃を使いませんでした。威力のない銃の弾がクマに当たったところで、かえって怒らせるだけだからです。お父さんは、動物よけに使う竹筒を手にとると、たたいて大きな音を立てました。大きくて太い竹筒には穴があけてあり、音が響くようになっています。
 ポーン! ポーン! ポーン!
 竹をたたく音は、畑に響きわたりました。
 ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン! ポーン!
 お父さんは、たたきつづけました。そうするうち、クマは面倒くさそうに向きを変えると、のそりのそりと森へ帰っていきました。
 もうすぐ日暮れです。
「サルはスイカを盗む、クマは出てくる・・・・・・とんだ日だ。もう日が落ちる。今日は、スムを作ってやるから、その中で寝るといい」
とお父さんは言いました。スムというのは、ふつうは鶏にかぶせるカゴのことを言うのですが、そんな半球の形をしたテントみたいなものです。お父さんはまず枝をとってくると、ドームを作るようにしなわせながら上手に折り曲げて、骨組みを作りました。その周りに畑に置いてあった稲わらの束をぎっしりと並べて壁にして、内側にもわらを敷きつめました。チャンが中に入ると、お父さんは入り口も藁でぴっちりとふさぎました。
「すきまだらけの小屋に寝るより、こっちのほうが安心だよ。藁は人の匂いを消すんだ。匂いがしなければクマも来ない」
 スムの中は藁のいい匂いがして、チャンはまもなく寝入ってしまいました。

 森の畑においしいものがなるころは、人間だけではなく、森の動物たちにとっても嬉しいときなのです。だから、村の男たちは毎日のように見張りに行きました。夕方には、竹筒をたたいてカーンカーンと音を出したり、に竹を投げ入れてパーンパーンという音を立てたりして、動物たちを驚かそうとしましたが、それでも防ぎきれるものではありません。
 サルに全部スイカをとられては大変です。それからというもの、お父さんはスイカがなりはじめると、大きい実をかくすことにしました。下の土を少し掘ってバナナの葉を敷き、そこにスイカの実を置いて、上からバナナの葉で覆いかくしたのです。でも、小さい実はそのままサルに残しておいてやりました。
 ブタオザルのほかにも、森では、テナガザルやオナガザル、いろいろなサルたちがいっしょになって、木にぶーらぶーらとぶら下がって楽しそうに遊んでいるときがあります。サルたちは、あっちの枝、こっちの枝と飛び移っては、遊んでいました。
 テナガザルは
「プアプアプアプア」    
と鳴きます。ラオス語で、プアってだんなさんのことなのです。
「だんなさんが恋しくて鳴いてるのかな?」と、みんなは言って笑いました。
 木から木へと飛び移っては遊んでいるサルを見て、チャンはたずねました。
「お父さん、あのサルたち、怖くない?」
 お父さんは笑って言いました。
「だいじょうぶだよ。サルが人間にちょっかいを出すのは、スイカやキュウリがなるときだけさ!」

第4話につづく(10月28日配信予定)

安井清子(やすい きよこ)
東京都生まれ。国際基督教大学卒業。1985年に、NGOのスタッフとして、タイのラオス難民キャンプでモン族の子どもたちのための図書館活動に携わって以来、現在もラオスにて子ども図書館の活動に関わる。「ラオス山の子ども文庫基金」代表。著書に『ラオス 山の村に図書館ができた』(福音館書店)、『ラオスの山からやってきたモンの民話』(ディンディガルベル)など多数。日本とラオスとの相互理解の促進において長年の功績が称えられ、 2022年8月に外務大臣表彰を受賞。
ラオスのナーヤーン村在住。

〈関連サイト〉

ラオス山の子ども文庫基金のHP(~2015)
パヌンのかぼちゃ畑(個人のHP ~2015)
ブログ 子ども・絵本・ラオスの生活 (2014~ )
安井清子Facebook



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