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ラオスのひと昔前に、小さな女の子だったチャンの話 第1話

お話のはじめに

 わたしは東南アジアのラオスに長いこと住んでいます。ラオスは、タイ・カンボジア・ベトナム・中国・ミャンマーに囲まれている海のない国です。ラオスとタイの間にはメコン川が流れ、その周りには平野が開けていますが、あとは山々と森が広がっています。もう30年も前に、わたしが初めて来たころは、首都のビエンチャンでも静かでのんびりとしていましたが、今は、あちこちに新しい道路が開かれ、建物が立ち並び、車の往来で騒音と排気ガスも身近となりました。昨年には中国からの鉄道もつながり開発は止まりません。わたしたち家族は街中に住んでいましたが、静かな農村での暮らしにあこがれ、数年前に、街から30kmほど離れた郊外の村に引っ越しました。ナーヤーンという名の村です。
 
 ナーヤーン村の家からはのんびりした水田の風景が見えます。朝は鶏の、そして夜はフクロウの鳴き声が聞こえます。騒音ばかりの街とは違う音です。でも、わたしは、毎日のように車を運転して、街へと仕事に通っています。村では農作業をやっている人たちもいますが、街や工場の仕事に通う人たちも多いのです。森はられ、家の裏を流れる川も茶色くよどんで、あまりきれいな水とは言えません。農村の生活もだんだん変化しているのです。
 
 ある時、近所に住むチャンさんが言いました。
「わたしが子どものころ、この川はとっても澄んだ水で、魚は群れをなして泳いでいたよ。それに、あんたたちの住んでいる場所なんて、木が鬱蒼うっそうと茂って、トラやら妖怪やらの巣窟だったんだから」
「え〜? チャンさんが子どものころ、この村にトラが出たの?」
 わたしはびっくりしました。チャンさんの子どものころって……チャンさんは60歳を過ぎた女性ですから、今から50年ほど前のことでしょうか。そのころ、ビエンチャンからもそうは遠くない、今わたしが住んでいるこの村にトラが出た? うちの辺りをうろつきまわっていた? 想像するだけで、ドキドキしてしまいました。 
 そのころ村ではいったいどんな暮らしをしていたんだろう? わたしは知りたくなって、チャンさんを訪ねては話を聞きました。
 チャンさんは子どものころの話をわたしに語ってくれました。学校のこと、遊びのこと、畑仕事のこと、そして怖い精霊の話など、いろいろな話を次から次へと……。その一部を、これから皆さんにご紹介しましょう。チャンさんが8歳の女の子だったころのお話です。

森のとなりの村

 チャンが子どものころ、ナーヤーン村のすぐとなりには大きな森が広がっていました。村から山は見えませんでしたが、森は山へとつながっていて、山から湧き出た清水の集まる小川が村の真ん中を流れていました。
 フアイスアと呼ばれるその小川は、一年中枯れることのない豊かな流れで、みんなの生活を支えていました。川には魚がたくさんいて、村の人たちは魚をとったり、流れで水浴びや洗濯をしたりしました。水辺にはカワウソも住んでいて、カワウソは魚と追いかけっこしているみたいに泳ぎまわっていました。
 
 飲み水は、村のみんなが協力して掘った井戸からみます。井戸の一つは、子どもだったら3人が手をのばして周りを囲えるほど大きくて、空高くまっすぐに幹をのばすヤーンの木(ラオスの人たちが、昔から樹脂をとって利用してきた木)のそばにありました。村の人たちは、この井戸を「サーン・ゴックヤーン(ヤーンの木の井戸)」と呼び、大切に使っていました。ヤーンの木は、村にたくさん生えていました。それで、いつからかこの村は、ナーヤーン村と呼ばれるようになったのだそうです。(ちなみに「ナー」には「水田」という意味があり、ラオスには「ナー」がつく地名が多い)
 

ヤーンの木
ヤーンの木を見上げる人々。左端が、語ってくれたチャンさん

 村は、南村と北村に分かれていましたが、それぞれ15軒くらいしか家がありませんでした。森を開いた土地にポツンポツンと建てられた家は高床式で、普通だったら2階の高さに床があります。どの家でも、はしごをのぼった上り口のところには、素焼きのつぼが置いてあって、水が満たされていました。ヤシの殻を半分にして作ったおたまが添えてあって、のどが渇いたら、どこの家の水でも飲んでいいのです。屋根は竹を開いた板(ひと節ごとに伐った竹筒の外側全体にこまかく縦に切れ目をいれてから、一ヵ所を上から下まで割ると、筒状の竹を板状に開くことができる)でかれ、そして壁も竹で編んでありました。
 家々は、色とりどりの美しい花を咲かせる木々や、あれこれのおいしい果物がなる木々に囲まれていました。こんもりとした緑陰にすっぽり包まれた村は、森へとつながり、まるで森の片隅にちょこんと人間たちが住まわせてもらっているような具合だったのです。
 
 そのころ、村にまだ電気はありませんでした。夜になると、あかりをとるために、カボーンというものを使っていました。カボーンは、ヤーンの木からとれる脂を木くずに混ぜて、葉っぱでぐるぐると巻いて作った松明たいまつです。カボーンに火をつけると、ボォッと煙を立てて勢いよく燃え、暗闇を明るく照らしました。

 さて、チャンの家は、北村の真ん中あたりにありました。村をつらぬいて一本の赤土の細い道が開かれていましたが、その道から少し入ったところにお父さんが建てた高床式の家があり、タマリンド、マンゴー、グアバ、ライム、それからマック・ナムノムというミルクみたいな白い汁が出る紫色の実をつける木など、さまざまな果物の木々がありました。そしてその敷地をぐるりと囲むように14本ものニウの木が植えられていました。ニウの木は美しい赤い花を咲かせた後に、ホワホワした綿のようなものが入った実をたくさんつけます。それをパンヤと呼ぶのですが、パンヤは布団や枕の詰めものに使われました。ニウの実がなるころは、お母さんは、それは忙しいものでした。

  そうそう、チャンの家族は、お父さんとお母さん、お兄ちゃんのトーン、そして2つ年下の妹フォンと、まだ生まれたばかりの妹ラーで、チャンをいれて6人家族です。
 8歳のチャンは、村にある小学校の2年生です。
 お兄ちゃんのトーンは4年生になり、遠くの小学校へ通っていました。村の小学校には先生がひとりしかいませんでしたから、4年生と5年生は(ラオスの小学校は5年制)、1時間以上も歩いてたどり着く、大きな村の小学校に通わなくてはいけなかったのです。トーンは、毎朝早く起きて、ほかの子どもたちと連れ立って、歩いて出かけました。村にはたった1台、木材を運ぶための大きな青いトラックがあるだけで、自転車だってたったの2台だけ、小学校の先生と村長さんの家にしかなかったのです。ですから、子どもたちはもちろん、どこへ行くにも歩いていったものでした。
 
 赤い土ぼこりの道を歩いて、大きな小学校がある大きな道路に出ると、そこは南に行けば、大きな町ビエンチャン、うんと北へ行くとルアンパバンという王様のいる町につながるといいます。そんな大きな町に行ったら、電気というものがあって、夜になるとピカピカ明るいんだということを、いつかお父さんが話してくれました。でも、チャンはまだ一度も行ったことはありませんでした。
 
 ナーヤーン村は、なにしろ大きな森の端っこにあったので、村には森を住処すみかにする動物たちが、しばしばやってきました。動物たちにしてみれば、自分たちの住処である森を伐ったり焼いたりして、後から住みはじめたのが人間ですから、当然ここは自分たちの場所だと思っているに違いありませんでした。
「トラを見たら、木にのぼるな。ゾウを見たら、ツルにのぼるな」
と、村の大人たちは子どもたちに教えました。トラから逃げようと木にのぼっても、トラは木にのぼれるし、ゾウから逃げようとツルにのぼっても、ゾウは長い鼻でツルを引っぱり下ろすことができるからで、この言葉は古くから伝えられてきました。
 みんなが高床式の家に住むのは、トラやヒョウなどの森の動物たちが怖いからでした。
 高床にのぼるためのはしごには、上のところに綱が結ばれていて、家の柱に固定されていました。夜寝るときにはその綱をゆるめて、はしごの上をエイッと押します。すると、はしごは外側にたおれ、綱はピーンと張って空中で止まるのです。朝になると、綱を引きよせて、またはしごをかけます。夜中に動物がのぼってきたら大変ですから、そうしていたのです。

 ある晩、夕ご飯が終わった後、チャンはお母さんを手伝って、お皿やおわんを片付けていました。お母さんは、チャンに背を向けて翌朝蒸すもち米の準備をしていました。すると床下から、
「イー!」
と叫び声みたいなのが聞こえてきたんです。「イー! イー!」
「チャン! あんた何言ってるの?」
とお母さんが言いました。
「お母さん、わたし、なんにも言ってないよ」
とチャンが答えると、こんどはもっと大きく、「イー! イー! キー! キー!」という声が床下から聞こえてきました。お母さんは、
「あらやだ! 豚よ!」
と叫び、首をのばして床下をのぞきました。(そのころはどの家でも、高床の家の下で豚を飼っていました)丸太で作った頑丈な柵の中に豚はいれられていましたが、見ると、そこにスアメオと呼ばれるヤマネコが跳びこんでいるじゃありませんか!
「お父さーん! スアメーオよ! ヤマネコが子豚を! 早く早く!」
とお母さんは、大きな声で叫びました。
 ヤマネコは光る目をキッとこちらに向けました。口にしっかりと子豚のおなかをくわえています。子豚の頭と足の先がパタパタしているのが見えました。あっと思う間に、ヤマネコはひょいと柵を跳びこえると、走って逃げていきました。お父さんは、あわてて銃を手にとり、ヤマネコを追いかけようとはしごを降りましたが、ヤマネコはもう道の向こうの真っ暗な茂みに入ってしまいました。もし懐中電灯で照らすことができたら、ヤマネコの目が光って居場所がわかったかもしれません。でもチャンの家にそんなものはありませんでした。それにもうくわえていってしまったのです。今ごろ茂みの中で子豚を食べているに違いありません。お父さんはそれ以上、追いかけませんでした。暗闇の中でかえって襲われたら大変だからです。
 次の日の朝、道向こうの茂みの中で、食べ残された子豚の頭と、後ろ足が見つかりました。おなかいっぱいになったヤマネコが残していったのです。こんなふうにヤマネコはしばしば村の中に入ってきて、村の人たちが飼っている鶏や豚なんかを襲いました。
 
 ときには、ヒョウも出ました。ヒョウはヤマネコよりもっと大きな動物です。となりの家では、庭で寝ていた犬がくわえていかれました。キャインキャインという声がして、見たらヒョウだったそうです。
 でも、ヤマネコよりもヒョウよりも、もっともっと怖いのはトラです。トラは森の王者です。だれもかないません。トラは森に広い縄張りをもち、たった1頭で生きています。自分の縄張りを歩きまわり、動物をつかまえて食べるのです。ですからトラは、人間の住む村にやってくることは、めったにありませんでした。でも、人間たちが森を伐って、村の範囲を広げているのですから、森と村との境界線あたりにある水田や畑に放たれている家畜の水牛や牛たちがトラに襲われることも、たまには起こるのです。トラの足跡が、村の近くで見つかると、大人たちは
「今日はトラが村に出たから、外には出るな!」
と子どもたちに言いました。子どもたちも、トラに襲われたら怖いから、ちゃんと言うことを聞いて、その日は外に遊びに行きませんでした。
 
 こんな具合ですから、料理は外ではせず、動物たちが寄ってこないよう高床の家の中でしました。床は木の板でしたが、その上にトタン板を置き、土を敷きつめて、床には燃え移らないように囲炉裏いろりが作られていました。お父さんは、お母さんがいつでも使えるように、まきを上げておきました。鍋を火の上に置くには、今はキアンと呼ぶ鉄製の五徳がありますが、そのころはそれすらありませんでした。お父さんはキアンに代わるものを自分で作ったのです。
 お父さんはまず、川の近くから土をとってきて塩をいれて練りました。その土は粘土のようにねばる土です。よぉく練って、それを四角い太い棒にして、日に乾かしておくのです。(そのとなりで、子どもたちもいっしょに土を練りました。子どもたちが作ったのは、水牛やら豚でしたが)
 日に乾いた四角い棒を3本、囲炉裏の土に埋めこめば、その上にお鍋がかけられるというわけです。土棒は水がこぼれて折れることもありましたが、たいしたことじゃありません。お父さんはいくつも予備を作っておきましたから。
 
 夜、月明かりが村を照らします。でも月のない夜は、鼻をつままれてもわからないような漆黒の闇でした。子どもは夕ご飯を食べたら、もう出歩いたりしません。だって、暗闇を支配するのは夜の動物たちとピー(精霊)ですから。大人の男たちだけが、カボーンをともしてほかの家を訪ね、「今年は森のどこで畑を作るつもりかね?」とか「こんど狩りに行くつもりだけど、いっしょに行くかね?」とかそんな相談をしたり、おしゃべりをしたりしました。家の前でチロチロとに薪をくべながら、長々と話をするのです。話し上手のトゥイじいさんが家に訪ねてくるときだけは、子どもたちも、焚き火を囲んで話を聞いていいことになっていました。トゥイじいさんは昔話を聞かせてくれました。だからトゥイじいさんが来る日は、トーンもチャンも嬉しくてたまりません。
「今日のお話は何?」
「何がいい? ピー(おばけ)の話か?」
「うん」トーンがうなずきました。「いやだよ、こわいもの」チャンが言いました。
 レレレレ……茂みの方からフクロウの鳴き声が聞こえてきて、チャンは背中がゾクッとしました。フクロウは霊の使いだといわれていました。こんどは竹やぶの方で、カサッと音がしました。ヤマネコが様子をうかがっているのかもしれません。チャンはトーンに身を寄せました。でも、だいじょうぶです。だって、ここにはお父さんもお母さんもいて、そして守ってくれる家もあるのですから……。

                第2話につづく(9月30日配信予定)
 
 

安井清子(やすい きよこ)
東京都生まれ。国際基督教大学卒業。1985年に、NGOのスタッフとして、タイのラオス難民キャンプでモン族の子どもたちのための図書館活動に携わって以来、現在もラオスにて子ども図書館の活動に関わる。「ラオス山の子ども文庫基金」代表。著書に『ラオス 山の村に図書館ができた』(福音館書店)、『ラオスの山からやってきたモンの民話』(ディンディガルベル)など多数。日本とラオスとの相互理解の促進において長年の功績が称えられ、 2022年8月に外務大臣表彰を受賞。
ラオスのナーヤーン村在住。

〈関連サイト〉

ラオス山の子ども文庫基金のHP(~2015)
パヌンのかぼちゃ畑(個人のHP ~2015)
ブログ 子ども・絵本・ラオスの生活 (2014~ )
安井清子Facebook



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