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〈シリーズ 欲求の哲学〉欲求とは何だろう

1. 「~したい」ってどゆこと?

読者の皆さんは、何か「したい」ことありますか? 例えば、おいしいご飯を食べたい、ステキな恋人と出会いたい、旅行をしたい、お金持ちになりたい、健康でいたい、などなど。

この、「したい」という欲求とは一体何なのでしょう。

一つ明確に言えることは、欲求がない人間は生きることができないということです。なぜなら、欲求が行動の源泉だからです。欲求こそが僕たちの行動を促すものなのです。

僕たち人間の生存に深くかかわっている欲求とは何なのか。本日からしばらく〈シリーズ 欲求の哲学〉と銘打ち、様々な欲求を主題として取り上げながら考えていこうと思っています。

記念すべき第一回目の本記事の内容は、以下のようになります。まず、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの思想を頼りに、欲求には満たされる欲求と満たされない欲求(欲望)があることを指摘します。次に、僕たち現代日本人は、資本主義に不断に巻き込まれていることから、欲望を抱くように駆り立てられてしまっていることを確認します。

なお本シリーズの記事は、1本ずつ独立した記事として読めるように執筆する予定です。ただ、今回の第1章のレヴィナスに関する内容は本シリーズの中でも核となるポイントを示していますので、ぜひ読んでいただきたいです。

1. その「~したい」には終わりはあるか?

僕たちは、「あれもしたいし、これもしたい」というように、欲求をたくさん持っています。その欲求というものは、ムリヤリ意識で抑圧しようと思っても、なかなかできないものです。もし一度渇いてしまったら、潤されるまで渇きに苦しまなければならないのです。

また、一度潤せばそれですむという欲求ではなく、解消してもまた「したい」と感じられてしまう欲求もあるようにも思われます。

このような欲求の性質について深く考えるために、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスのお話を聞いてみましょう。

レヴィナスによれば、「私が食べるパン、私が住む家、私が眺める景色」のようなものは、「貪る」ことで飢餓感をほぼ鎮められるといいます。パンを食べれば、お腹がいっぱいになります。安定した住居があれば、安心して生活することができます。景色は、私を楽しませるものとして目に映ってきます。

私に貪られることで、それら他なるもの(私ではないもの)は、私に吸収されてしまいます。そのように私を充たしうる欲が「欲求(besoin)なのだ、とレヴィナスは言います。

一方、「欲望(Désir)」は充足されることがない、と言います。<欲望されたもの>は私の欲望を充たすことなく、更に欲望を煽るだろうとレヴィナスは述べるのです。

例えば、好きな人について考えてみましょう。好きな人がいる場合、あなたは好きな人の近くにいたい・触れ合いたいと思うでしょう。実際に、近くにいて、触れ合えたとしましょう。それであなたは満足し切るでしょうか? おそらく、満足しないと思います。「もっと近くに、もっと触れたい」と思うのではないでしょうか。

「他者」は本質的に「私」とは「他なるもの」であるから、あなたは満足することはないのです。もし仮にあなたが満足しているのなら、それは他者をパンや住居のように単に自分を満足させるものとして見てしまっていると言えます。

まとめましょう。レヴィナスによれば、自分が満足してそれで終わりという欲が「欲求」、決して満足しえない欲が「欲望」と区別できるのです。

2. 欲望の時代

前章では、エマニュエル・レヴィナスの思想を頼りに、「~したい」という欲には、満たされるものと満たされないものがあることがわかりました。本記事においては、レヴィナスの定義に沿って前者を欲求、後者を欲望と呼ぶことにします。

さて、僕たちが生きる現代日本は社会体制として資本主義を採用しています。この資本主義は、「欲望」を際限なく拡大させるという方向に向かわざるを得ません。なぜなら、生存維持のための具体的なモノに対する欲=「欲求」には限りがありますが、人間には無限の想像力があり「欲望」には際限がないからです。

僕たちは、ご飯のみでお腹を満たせるけど、ラーメンも、お肉も、ケーキも食べたがり、住居にはおしゃれな内装を取り入れたがります。

僕はnote執筆当初から、人間を考えるための2つのアプローチとして言語身体が挙げられると主張しています。現代という時代は、言語による「想像力」と身体による「生存」と「繁殖」という根源的目的が奇妙に絡まり合っている欲望の時代であると言えるのです。

動物のように自然に生きることができず、言語で整理した世界のうちを人は生きているのです。「身体に由来する本能」も、その本能のあり方は、当人が生きる時代の文化の影響を受けています。

ただ、この欲望は、ネガティブか?と言われれば、必ずしもそう捉える必要はないじゃずです。なぜなら、現在よりもよい社会・より豊かな社会の希求は文化に装飾された欲望に由来しているとも見ることができるからです。


思考の材料

参考文献

エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』藤岡 俊博訳、講談社学術文庫、2020年

熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』、岩波現代文庫、2017年

小泉義之『レヴィナス 何のために生きるのか』、NHK出版、2003年

堀内勉『ファイナンスの哲学』、ダイヤモンド社、2016年

その他

欲望の資本主義 


新・映像の世紀


Hello Sleepwaikers  神話崩壊 ↓

RADWIMPS 億万笑者

ONE OK ROCK 欲望に満ちた青年団 


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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