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イギリス紅茶実習|note✕午後の紅茶「#紅茶のある風景 投稿コンテスト」 準グランプリ受賞作

初めて紅茶を飲んだ時のことは覚えていない。記憶の一番深いところにあるのは、小さな頃のお祝いの食事風景だ。誕生日やクリスマスの夜、いつもより少し豪華な食卓を囲みながら、冷蔵庫に待ち受けるホールケーキの存在に心を踊らせていた。メインは食事のはずなのに、私の心はいつも食後の方を向いていて、料理を食べ終わるなり、いそいそとケーキをテーブルに置いたものだ。

母が紅茶を入れてくれるので、それをワクワクしながら眺めるのもイベントの一部だった。ガス火でぐらぐら沸かしたお湯をティーポットに注ぎ、今度はそれをカップに移す。器を先に温めておくと紅茶がもっと美味しくなるのだ。茶葉を数杯ポットに落とし、煮え立つお湯をトポトポ注ぐ。蓋を置いたらカバーをかけて、じっくりゆっくり茶葉を蒸らす。その間に私はすっかり取り皿もフォークも並べて、準備は万端。黄金に輝く紅茶がティーカップに注がれたら、ここからが本当のメインパート。ケーキと紅茶、幸せな時間の始まりだ!

初めてヨーロッパに行ったのは、今から15年も前のことだ。私たち家族はツアー旅行に参加して、夏のスペインを周っていた。ある日の昼食、レストランでのこと。個室に通された私たち一行は、みな一様のメニューを食べ、食後のお茶に一息ついていた。金髪のウェイターさんたちが、それぞれにコーヒー、紅茶を注いで回る。片手に握られたティーポットが白く輝き、ああ、ここはヨーロッパだなぁ、ウェイターさんもかっこいい……そう見惚れていると、ティーポットの蓋から何かが垂れているのを発見した。振り子のようにぶらぶら揺れる、こよりのような糸と紙。「こ、これは……ティーバッグ!!」そう、そのレストランではティーバッグが使われていのだ。

当時の私はまだ十代で、歴史の授業の影響か、ヨーロッパといえば貴族というイメージを抱いていた。ヨーロッパといえば貴族、貴族といえば優雅、優雅といえばティータイム……そんな浮かれたマジカルバナナは、この瞬間に虚しくも打ち砕かれた。ショックだ。なんだかよく分からないけど、私は大きなショックを受けた。ティーバッグの何がいけないかなんてわからない。その紅茶が美味しいとか美味しくないとかも関係ない。ただただ、無性にショックだった。日本にはもうSAMURAIがいないことを知った時の外国人のように、ヨーロッパにティーバッグが普及していることを知った私は愕然とした。「ヨーロッパノヒトタチ……ティーバッグ、ツカウ……」初めてのヨーロッパで洗礼を受け、この衝撃を胸に刻んだ。

それから何年も時が経ち、私はイギリスに留学した。22歳のことである。イギリスといえば紅茶の本場、ヨーロッパ随一の紅茶大国だ。目を閉じると浮かんでくるのは、美しい装飾のティーカップ。色とりどりのかわいいケーキを前に、小指を立ててお茶を飲む貴婦人たち……ああ、優雅なティータイム。しかし、この時の私は違った。スペインでの反省を踏まえ、イギリスに対して過剰なイメージを抱きすぎないよう、入念な気持ちの調整を行っていたのだ。旅立ちの前にも「ヨーロッパの人たちはティーバッグを使う!」「ヨーロッパの人たちはティーバッグを使う!」そう繰り返し唱えることで、イギリスの紅茶文化への憧れを完全に葬っていた。準備は万端だ。ヨーロッパの人たちはティーバッグを使う。ならばイギリスもそうに決まっている。もう何も恐れることはない。いでよ、ティーバッグ!!!

留学して最初の三か月はホームステイをした。と言っても、言葉の持つアットホームな印象とは裏腹に、これは下宿のようなものだった。留学生が多いイギリスでは、副業としてホームステイを行う家庭が多いらしい。この事実を知らなかった私は、「週末は家族一緒にお出かけをするのかな、ドキドキしちゃう……!」などとお気楽な期待を抱いていた。ああ、自分が恥ずかしい。いざ蓋を開けてみると、ホストファミリーの思わぬビジネスライク感に、私は面食らってしまった。

ホームステイ先、改め下宿先は、数多くの留学生を受け入れてきたようで、その受け入れ体制は手慣れたものだった。朝食には毎朝、三種類のシリアルとトーストが用意される。どれもセルフサービスだ。そして紅茶が飲み放題だった。出たな、紅茶のやつめ。私はもう驚かないぞ。紅茶の茶葉が入っている容器を覗き込むと、大量のティーバッグが詰まっていた。おう、ティーバッグね。予想していた通りだ。ヨーロッパ人はティーバックを使う。いわんやイギリス人においてをや。あの事前学習は本物だったのだ。

ホストマザーはひと通りの説明を終えると、私に最初の一杯を入れてくれた。電気ケトルでお湯を沸かすと、戸棚から大きなマグカップを取り出す。ティーバッグを投入して、お湯が湧いたらカップに注ぐ。スプーンでお茶をくるくる混ぜると、あっという間に濃い茶色が出る。そしてそのまま、ティーバックをぎゅうぎゅう押す。そう、ホストマザーはスプーンの裏側で、ティーバッグを力いっぱい押していたのだ。紅茶の最後の一滴まで、ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう、絞り出す。ミルクはいるかとおもむろに聞かれ、右も左も英語もわからない私が慌ててイエスと答えると、冷蔵庫から取り出した牛乳をそのまま注いだ。またスプーンでひと混ぜして、ティーバッグをポイッと捨てると完成だ。

私は思った。なんて雑なんだ!ティーバッグを使うことは予測していたものの、まさかこれほど荒々しいとは。しかし一口飲んでみると、そのミルクティーの美味しいこと。まろやかで濃厚、苦くもなく、渋くもなく、水っぽくもない。深い味わいで、なぜかいくらでも飲めてしまう。そして何より、速い。こんなに素早く美味しい紅茶が飲めるだなんて、さすがは紅茶文化を極めた国だ。私は以降、これを「雑ミルクティー」と呼び、愛飲するようになった。

「雑ミルクティー」的な淹れ方は、ホストファミリーの家のみならず、あらゆる場所で共通していた。町や都会の小さなカフェや、スターバックスなどのチェーン店、外で紅茶を飲むときはいつもこの方式が用いられる。イギリスではストレートティーよりもミルクティーが人気のようで、コーヒーショップでも定番だった。テイクアウトで紅茶を頼むと、紙カップにティーバッグとお湯を入れ、ミルクを淹れて蓋をパチン。あっという間に出来上がる。なんという無駄のなさだろう。私はこれに感銘を受けた。テイクアウトにも大いにハマり、通学前や散歩中に買っては、ちびちび飲みながら町を歩いた。紅茶を片手に握っていると、ただそれだけで楽しかった。古びたコンクリートの道、枯れ葉の街路樹、遠くに見える公園の芝生。すべてがいつもより輝いて見える。ああ、最高の気分だ。なんて優雅なんだろう。なんて優雅な雑ミルクティー!

私はこうして紅茶の虜になった。留学を終えて日本に帰ってからも、いろんな種類の紅茶を買って楽しんでいる。ゆっくりとティーポットで淹れたお茶も大好きだけど、ふとイギリスが恋しくなると、いつも「雑ミルクティー」を作って飲む。大きなマグカップにパパっと淹れれば、あっという間に優雅な時間の出来上がりだ。

イギリス人はティーバッグを使う。それは予想の通りだった。だけど予想と違っていたのは、それがなんにもショックではないこと。私にとって特別な日の象徴だった紅茶は、イギリスではもっと日常的な、毎日を支える飲み物だった。一日のちょっとした時間に一息つくことの大切さ。紅茶大国は私に、そんな心の在り方を教えてくれたのだ。



■雑ミルクティーの作り方

【用意するもの】

・水
・やかん、電気ケトルなど
・ティーバッグ
・マグカップなどの容器
・牛乳
・スプーン

①お湯をぐらぐら沸かす
②ティーパックをカップに投入
③お湯を注ぎ紅茶を濃い目に出す
④スプーンでティーパックを押す
⑤牛乳を入れる
⑥スプーンで混ぜる

【オススメの飲み方】

・口の水分が奪われる系のお茶菓子を用意して、雑ミルクティーと交互に口に入れると美味しい!

・ティーバッグに選ぶ紅茶の種類は、アッサムやイングリッシュブレックファストブレンドなど、ミルクティーに合うストロングなものがオススメ!





【追記】
このエッセイが「#紅茶のある風景 投稿コンテスト」で準グランプリを受賞しました!note公式さん×KIRIN 午後の紅茶さんのコラボ企画です。審査員の皆様、読者の皆様、読んでいただき誠にありがとうございました!このコンテストをきっかけに、自分が信じる「くだらなくて笑えるエッセイ」に改めて真剣に取り組むことができました。準グランプリをいただいたことで、私の楽しかったイギリスの想い出が、多くの人に笑いとしてお届けできたのかなと、とても嬉しく思っています。何度も何度も遂行を重ねる中で、エッセイをじっくりと書いていく喜びや情熱、届けたい想いを思い出すことができました。このような貴重な機会を与えてくださったことに心から感謝申し上げます。

午後の紅茶とnoteがコラボした「#紅茶のある風景 投稿コンテスト」の審査結果を発表します!
https://note.mu/info/n/n0cce98b5a150




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