喪失の響き
わたしには文学の才能ってものがない。自分で書いていて虚しいほどにわかる。語彙は少ないし、小説も数えるほどしか読めたことがないし、コツコツと地道な作業を続けるのも苦手だ。
それでも、書かないと生きられない瞬間があったから、これまで書き続けてきた。
わたしが本当にやりたい芸術は音楽だ。音楽でなら、どんな言いたいことだって表現できる。音は血肉となってわたしの中を流れている。こどものころからずっと、記憶の前からずっと。
目を瞑れば音楽が流れ出す。
ピアノの前に腰掛ければ、この両手が踊りだし、音楽を奏でてくれた。わたしを導いてくれた。ピアノなんて嫌いだ、やりたくない、そう思ったときもあったけど、音楽をやめたことはなかった。
それなのに、だ。
どんな人生にも喪失はある。
けれど音楽を失うとは考えてもみなかった。
運命は残酷だ。
病はわたしから音楽を奪った。
この耳はもう満足に音楽に浸ることができない。
この両手はもう自由に動かすことができない。
からだは鉛のように重く、
こころは縛り付けられたまま。
わたしは魂を解放する術を失ってしまった。
鬱積する日々の中で、こころの奥深くから、血の湧き立つような感情を押し堪えている。
怒り、憎しみ、悔しさ、悲しみ、不幸。
いくら足掻いても過去は永久に変わらず、時は美しかったころに戻らない。
ああ、音楽さえあれば、わたしはもっと楽になれるのに。この感情だけでも解放できれば、魂を自由にできれば、時が止まったみたいな時を過ごせるのに。
もしも音楽が奏でられたなら、
わたしはどんな音を出すだろう。
激しく降り注ぐ雹のように、冷たくて怒りに満ちた、鉄球のように堅い音。
ゆったりと、仔猫を撫でるようにやさしい、指先の全神経まで慈しみに満ちた音。
和声と旋律の美しさ、芸術の素晴らしさの前で、自分の存在の小ささにひれ伏すしかない、若き音楽家の生命の音。
宮殿の舞踏会のように、華やかで、何もかも忘れて踊りあかしてしまうような、ひときわ楽しくて明るい音。
ああ、今だって弾きたい音はいくらでもあるのに、それを表現するための言葉の力がわたしにはないことが、この上なく歯がゆい。
「あの時」までは目の前にあった音楽が、今ではこんなにも遠くなってしまった。
必要以上の同情はいらない。ただわたしは、表現が続けたいだけだ。音楽を失っても、言葉を使った形でも、芸術はわたしの救いでいてくれるはずだ。
芸術にできることはなんだろう。その人のこころの中を映して、観る人、聴く人、読む人に感じさせることだ。考えさせることだ。そして慰めや憧れや衝撃を与え、ときには相手の人生すらも変えてしまうことだ。
芸術における基礎的な技術は、表現のための地盤にすぎない。音楽を通して痛いほどそれを知っているからこそ、文学の基礎のないわたしは、おままごとのような文章を書きあげるたびに、高すぎる壁を認めて、諦めてしまいそうになる。
それでも、わたしにはもう、
他に残っていないのだ。
神様はわたしから音楽を取り除き、
言葉だけを残した。
言葉の世界には大海が広がっている。
波音が頭の中で鳴っている。
わたしはまだまだ、遠くへ行ける。
喪失の響きの中で。
この文章は、ジョージ朝倉先生の『ダンス・ダンス・ダンスール』というバレエ漫画を読んで、「自分にとっての芸術とは何か?」を考え書いたものです。作品の主人公にとってのバレエは、わたしにとっての音楽でした。本当に素晴らしい芸術は、垣根を越えて、「自分もやりたい!」と思わせてくれるものだと実感しました。この物語がこれからも続くことが心から楽しみでありません。
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