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変わる変わるよ音楽性は変わる 〜ショパンを弾いていた少女が大塚愛経由でDesperadoに辿り着くまで〜

音楽が好きな人ならきっと、聴いた途端センチメンタルスイッチが入る曲ってあると思うんだけど、私にとってのそれはイーグルスの”Desperado”だ。

1973年の発売当時に相当売れた曲みたいなので、私にとっての、というよりは全世界共通のセンチメンタルスイッチと言えるかもしれない。まあ、みんながみんなセンチメンタルな気持ちで聴いているのかどうかはわからないけど、少なくとも私はめちゃくちゃ胸が熱くなる。

こうやって自分の中のセンチメンタル機能を起動されるとだいたいいつも過去のことに思考を巡らせる。そういえば自分の音楽性がこんなところに辿り着くとは思っていなかった。自分の人生は振り返ればいつも音楽と一緒で、感慨深くてそれだけで泣けてくるのだ。私は年を取り、音楽性も年を取った。

私が音楽に出会ったのは5歳の頃で、それから高校卒業までピアノを弾いていた。習っていたのがクラシックの先生だったので、赤バイエルから始めて、ブルグミュラー、モーツァルト、ソナチネ、ソナタ、バッハ、ショパン、ドビュッシー……と進んでいった。ずっとピアノに打ち込んできた分、私にとっての音楽はそういうもので、世の中の音楽というものが全然わからなかった。

高校の時、何かを決意した私は「よし!歌のある音楽に親しもう!」と思い、通学路にあるレンタルビデオ店に突入した。CDの棚をぐるぐる見て回って、「やはりこのランキングの上位にあるやつというのが良い音楽なのだろうな……」と、大塚愛のアルバムを借りた。その他にも人気のアルバムを何枚か借りていった。

家に帰り、満を持して大塚愛を聴いた私は思った。
「なんか……思ってたんと違う……」
大塚愛のファンの方々には本当に申し訳ない。大人になった今なら大塚愛には大塚愛の良さがあると分かるけど、当時の私としては「なんか……しょうもなくない……?」と、どうにも釈然とせず、「世界にはこういう音楽しかないんかぁ……」と、複雑な心境になったのを覚えている。

もちろん大塚愛が世界の音楽の全てなわけがない。しかし高校生だった私にとっては通学路のレンタルビデオ店が世界の音楽の全てだった。そしてランキング上位にあるということはイコール優れた音楽なのだろうと純粋に思ったのだ。今振り返ればこの視点はアホなようでいて意外と真髄を付いているような気もする。少なくともクラシックの世界では人気な曲はそれだけ音楽的にも突出した魅力を持っている。

大塚愛がっかり体験を経て世の中の音楽を諦めていた私であったが、大学に入学して転機が起きた。というより、起こした。兼ねてから憧れていた軽音楽部に入部したのである。私は本当を言うと小さい頃から歌がやりたくて、歌手になりたいというひそかな夢を持っていた。高校の時も本当は軽音部に入りたかったのだが、なんとなくガラが悪そうで怖いし取って食われそうに思って入部を諦め、音楽繋がりという理由で吹奏楽部でトランペットを吹いていたのだ。

大学に入ってまで大して上手くもないラッパを吹いてる場合じゃない、今こそ歌を歌うのだ!高校卒業と共にピアノ教室は辞めた。音大も受けなかったし、もうピアノに必死になる必要もない。今度こそ歌をやるしかなかろう!

軽音部に入ってから暫くは、自分がなんの「軽音楽」も知らないことを恥じていた。今でこそツッコミどころ満載だが、当時の私は世の中で流れている音楽の総称がわからず「軽音楽」と呼んでいたのだ。部の掲示板にも「あんまり軽音楽のことはわからないんですが……」とか書き込んだ気がする。

部活仲間に好きな音楽を聴かれることも多く、私は答えようのない問いに悩んでいた。とりあえず「大塚愛」の名前を出すのが間違いということだけはわかったので、焦ってレンタル屋でいろいろ借りて、「矢井田瞳なら大丈夫な気がする!」という解答に辿り着いた。矢井田瞳も特別猛烈に好きというわけでもなかったが、聴いていて普通にかっこよかったし、オリジナルアルバムは全部聴いた。今聴き返しても、むしろ今聴いた方がかっこいいと思う。

こうして矢井田瞳を起点に私の音楽探求の道は始まったのだが、すみません、書くのに疲れてきたので続きはまた次回。





HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞