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1月27日(月)言葉が分かれば10倍伝わる(お能とかオペラとか)

Eテレでお能の映像を放送していたので途中から見た。演目は「隅田川」。

隅田川の船に乗ってる一人の女(能面を付けている)。船頭と同船者の世間話をたまたま聞く。

「男の子が亡くなったそうだ」
「京都の白川から来た子だそうだ」
「(それ……私の息子……!!)」

と、又聞きに息子の逝去が発覚する気の毒な話だった。

その後、母親が船頭たちに打ち明け話をして、お焼香を上げに行くと、息子の幻覚が見える。地謡のバックコーラス部隊による念仏に紛れて幼子の「南無阿弥陀仏〜」という声が聞こえてくるのだが、幻聴かと思いきや、草かげから子役の男の子が姿を表して、拙げに念仏を謡っており、5歳くらいだろうか?それがまあ可愛らしく、「あらかわいらしい……(*^^*)」と観ているとき、私は完全にテレビ好きのおばあに同化していた。

……じゃなくて……

新年にEテレで歌舞伎を観た時も思ったけど、テレビで伝統芸能を観ると理解が深まりやすい。正直何を言うてんのやら全く聞き取れへん謡にも、字幕が付いていれば「隅田川を渡りし折にどうのこうので候……」とか書いてあって、意外と、驚くほどに、大したことは言うてない。日本語が古いから耳で聞くと分からないだけで、文章の内容としては普通のお芝居と一緒。シェイクスピアの英語が古いから分かりにくいのと一緒(?)。

ミュージカルもオペラもお能も歌舞伎もフォーマットが違うだけでやってることはみんな一緒なんやなぁと思った。

23歳の頃、イギリス留学中にヨーロッパ諸国を旅して周り、ウィーンにも立ち寄った。国立歌劇場の真ん前に立つダフ屋みたいな人に声を掛けて、当日券を購入し、まさかの展開だけど、人生経験のためにとオペラを観た。そんなに良い席ではなかったので舞台はよく見えず、そもそもオペラの知識も皆無なため形式も理解しておらず、全体的によく分からなかった。ただ、座席の前の液晶パネルに英語の字幕がリアルタイムで出ていたことは覚えていて、当時の英語力は相当低かったため意味不明のまま終わったけど、今のレベルであればもう少し理解できたかもしれない。

何が言いたいかというと、歌舞伎とかお能の舞台でも、字幕が出たら分かりやすいし知識ゼロでも楽しめるんじゃないかなぁということである。オペラだって理解できなかったのは英語という言語が分からなかったからで、日本語で字幕が出ていれば多分もっと楽しめたはずだ。

今って字幕出るのかな?歌舞伎は大学生くらいの時に親に釣れられて南座に観に行ったことがあるけど、幕の内弁当を食べた記憶しかない。パンフレットに概要が記されていたような気はするけど、字幕はなかったような気がする。能は小学生の時に学校行事で観に行ったけど、まあ歳が歳だけに退屈だったので何一つ覚えてない。

時は流れて今、こうして能を観てみると、一つのセリフに掛ける秒速が遅いので、時間の流れがとてつもなくゆっくりになる。はっきり言って、今の忙しい人たちが能をゆっくり楽しむ余裕、ないと思う(もしかしてだから言葉に対する秒速の速いラップが人気なのか……?)。私だって今みたいに死ぬほど暇を持て余し、何でもいいから何か新しいものを……と刺激を求めてでもいない限り、能を見ることはなかっただろう。時間が有り余っていることを逆手に取って、何か勉強できればいいなと思う。

あと一つアイデアとしては、能や歌舞伎に出てくる楽器の音をサンプリングして現代のヒップホップとか、まあ私の好みならオルタナティブロックやけど、そういうのんに使ったら面白いかもな。そんなことをやれる体力はないので、誰かにお任せしますが……

おわり


【出来事】

金土と、2日連続で夕方に2階に上がった副作用が1日遅れで来て、昨日は夜から体がしんどすぎて泣いた。もうめちゃくちゃに泣いて、泣きながらお風呂に入り、泣き喚いて、これが31歳?赤ちゃんやん……と思いながらも泣いた。

完全に脳の病気だと思うんだけど(っていうか病名からして筋痛性脳脊髄炎だしな)、疲れすぎて体がしんどすぎると、頭の中にある不快感とか要望とかを言葉に変えて出力することができなくなる。「しんどい」と「助けて」、せいぜい頑張って「暑い」「寒い」しか言えなくて、もっと具体的な「暑いからエアコンの温度を下げて」とか「おでこに濡れタオルを乗せて」とかみたいな言葉が出てこず、苦しい。

この不快症状に対してこの処置が有効、と頭ではイメージできても、口も体も動かないから、目線と指先の僅かな動きだけで主張するしかないし、それに看病担当者は気付いてくれないし、自分では何も出来ないし、苦悩が凄い。赤ちゃんってめちゃくちゃ辛いのでは?という気がしてくる。おしりが気持ち悪くても泣くしかできないんでしょ。今の私と同じやん。赤ちゃん時代の記憶がなくてよかった……

日頃心身ともに物凄く我慢していて、毎分毎秒我慢しているから、溜め込んだ鬱憤が砂袋みたいにうっすい表皮の中に詰まってて、ちょっと針で突いただけでドシャーーーーッて土石流みたいに感情が爆発する。

この苦しみから開放されたい……楽になりたい……もう頑張りたくない……となった時、「仕事をやめる」とか「子供を預ける」とか「環境を変える」とか、具体的な解決策があればまだ救いがある。けど、私が最も苦しんでいるのは身体的苦痛であり、体がしんどいとか動かないとか痛いとかの苦痛に対して、「病気が急に治る」ということはないので、頑張るのをやめるというのは、命を諦めるということになり、命だけはまだ諦めたくないので、やっぱり頑張って我慢しているんだなぁと思う。

人は頑張るなとか我慢しない方がいいとか言うけど、それは心の問題に対してであって、体の問題に対しての策っていうのはどこにあるんだろうなぁ。体のことについては我慢するしか生きるすべがないので、せめて心のことだけでも我慢しないようにすればいいのだろうか……?インターネットに載ってない苦悩の種類だな。

今日はしんどくなりませんように。


日記おわり

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞