見出し画像

決別と白い息とアルマトイの街

朝8時に目を覚ました。冬の寒さに身震いをして着替えをする。この日12時20分のフライトで韓国ソウル仁川空港を経由して、カザフスタンのアルマトイを目指す。実に7年ぶりに海外へ行く。なぜ、カザフスタンかと?それは僕にもわからないが、なにもわからないところに行ってみたいと心が動いたからである。ロシア語を話すことが出来る友人から教えてもらった簡単な挨拶や質問の仕方など、わずかな知識を備えて飛行機に乗り込んだ。数日前から呼んでいた沢木耕太郎さんの『深夜特急第4巻シルクロード編』に出てくるアジアの風景を思い描きながら揺られる。
正直なところ、仁川空港の時点では日本に引き返そうと思っていたくらい、不安と悲しみが心の中にはあった。友との決別を意味する旅でもあったから。アルマトイ行きの飛行機搭乗締切ギリギリまで。ゲートを通り後戻りできなくなった。窓の外には暗闇の中で、肩を寄せ合うように身を寄せる光たちは中国の地方の町だった。中国は広大だった。

アルマトイ国際空港に到着したのは現地時間21時45分。機内の窓の外に見える景色は大気が白く霧に覆われたような世界だった。日本との時差は-3時間なので、日本では12時45分だ。ほぼ12時間かけて、未知の土地中央アジア、カザフスタンのアルマトイの空気を吸った。肺の奥に入ってくる空気は冷たく、吐く息は煙のように濃く白い。

到着ゲートを出ると、家族や友人、恋人を待っていた人たちが押し寄せている。中には通称白タクと呼ばれる、ぼったくりのタクシーのドライバーが待ち受けている。僕のような外国人ターゲットにするんだろう。長いあごひげを蓄えた、いかにもインチキそうな口の軽い初老の男が声をかけてきた。この町ではそういう白タクには乗らない方がいい。法外な料金をぼったくられるという。メーターちゃんとついているタクシーかYandex(ヤンデックス)タクシーを使うのが無難と聞いていた。あえて乗ってみるという手もあるがそこまでする余裕もない。メーターはついているか、と声をかけてきた運転手に聞くと「もちろんある!」と答える。「見せてくれ」というと車にあったのは、それらしいスマートフォンのアプリかなにか、とても怪しげな代物だった。「このタクシーには乗れない」というと、これが普通だぞと言わんばかりにしつこくついてくる。ある程度無視し続けるとその男も飽きためたようで、離れていった。
空港のWi-Fiを使い、Yandexでタクシーを手配した。が、しかし空港のネット状況が悪く、うまく目的地設定が出来なかったのでタクシーの運転手に目的地の住所を見せる。「Мухамеджанова, 33」。タクシーに乗り込みその日の宿へ向かった。しかしどうも様子がおかしい。地図を見ていると目的地である宿からどんどんと離れているではないか。運転手に「本当に道はあっているのか。間違えていると思う」と言うが、ちゃんとナビを見ているから心配いらないと聞く耳を持たない。しかし運転手はカタコトの英語を話し、やけに饒舌だ。住宅地のようなとこまで行くと、「着いたぞ」と言われ車を降りた。数日前にアルマトイには雪が降ったらしく、道の脇に雪かきされた雪が山になり、地面には踏み固められた雪がある。吐く息は街頭に照らされ、より白く深く見える。タクシーは去っていくと、あたりには静けさが残る。まあ、ここだと言われたからここなのかもしれないと、番地33番の扉の前に立った。大きな鉄の扉に付いているインターホンを押し、「今日宿泊の予約をしているんだけれど」と言う。2分ほど何もないと思うと門の向こう側から人がこちらに歩いてくる足音がする。雪を踏む、グググッというあの音。門の下の隙間から人の足の影と、犬の息遣いが聞こえた。中から出てきたフードを被った背の高い青年は流暢な英語で「ここは宿じゃないんだ」という。いやでも、と住所を見せる。しかしそれは一見パッと見ると似たような地区名の別の場所だった。自分が今アルマトイのどこにいるのかもわからなかった。彼は「実は前にも一度あってね、2回目だよ」と爽やかに笑った。タクシーを呼んであげるからと、彼の持っていたスマホでタクシーを手配してくれて、しかも支払いも済ませてくれていた。何もわからぬ異国にやってきた外国人である僕に対しての、最大の計らいであった。「じゃあ、本当にありがとう。スパシーバ!」と僕は別れを告げた。

夜0時過ぎ、ようやく宿に着いた。部屋はセントラルヒーティングで暖かい。扉の向こうのキッチンからはロシア語で話す声が聞こえていた。ドミトリーの同室に泊まっている者の寝息といびきを耳にしながら、その日夜はすぐに眠りについた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?