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【毒親育ち】「私のこと好き?」とは誰にも聞けなかったのに、「ママ偉い?」は気軽に聞いてる、という話。

しょーもない話で恐縮なんですが、つぶやきには文字数的に収まりきらなかったので記事に。

昨日の呟きでふと気づいたんですが、私は「私のこと好き?」とは誰にも聞けなかったのに、「○○したママ偉い?」とは気軽に息子に聞いてるな!?と。

これ言ってる時って、まぁ軽くドヤってるというか、「これちょっと自分凄くない?偉くない?」と思った時なんですね。で、大抵息子は肯定してくれるんですが、稀に息子に都合が悪いと「えー?偉くないぽよ!」と言われます。息子の苦手な食べ物を生産した時とか、それ聞く直前に息子の「ぽよクイズ※」を拒否ってたりした場合ですが。
※カービィに関するクイズ。付き合ってると延々出題され続けるので、適当な所で切り上げる必要があるのですが、時々息子に拗ねられます。

で、その稀に否定されるのもそれはそれで「息子的には駄目だったかww」となるので、ちょっと面白くて。しょーもない質問なのは分かってるんですが、つい聞いちゃってます。

これ聞きたくなるのって、私の承認欲求から来てるのかもしれんなぁ、付き合わせてすまんな息子。と思う時もあるんですが……。
ただ、よくよく考えると、母が幼少期の私に毎日何時間も話を聞かせ続けてたのって、この「ママ偉い?」の代わりだったのかもしれないなぁ、と。

例えば、母の過去の武勇伝。母の苦労話。母の知るアレコレの知識。今日どんな家事をどのようにやったか。近所の人と何を喋ったか。よその家庭はどんなトラブルを抱えているか、ひいてはそのトラブルがない我が家はどんなに素晴らしい家庭か。

母が私に向かって延々話し続けていたのは、ざっくりまとめるとそういう事柄だったわけですが、それって結局のところ、「ママ偉い?偉いよね?誉めて!」だったんだろうなぁ、と。
そう素直に私に言えなかった母は、期待するリアクションを返さない私を見ると、「ママは偉くない」と言われているような気がして許せず、だから激昂していたのではないか。

それは、「別にお前を好きじゃない」と言われるのが怖いあまりに「私のこと好き?」と聞けず、相手の挙動から推し量ろうとして勝手に傷ついていた私と、同じ仕組みだったんじゃないかな、と。
そんな風に思ったわけです。

当時、その「お話」を毎日延々聞かされていた私には、相槌を一つ間違えば引っ叩かれて怒鳴られる、という状況は(自覚してはいませんでしたが)凄まじいストレスがかかっていたはずです。少なくとも離人症っぽい症状があったのはその辺が原因だと思っています。家庭内にタイマーの見えない時限爆弾があるような緊張感の中で日々を暮らすのは、子供の成育環境として非常に良くない。

ただ、母自身が私を上回る愛着障害持ちで、自己肯定感も恐らく私以上に低く、他人から見て少しでも「偉くない」何かがあれば自分には存在価値がないと固く信じていたとしたら、母の恐ろしいまでの外面の良さ、母が必死に「良い妻・良い母親」という見た目にこだわり続けたこと、そして他人に尽くしたがる(が感謝や敬意を十分に得られないと感じるとブチ切れる)生き方、そういった色々の辻褄が合うようにも思います。

無論、当時の私は母が「ママは偉い!頑張ってる!」なんて私に言われたがっているとは想像もついていなかった訳ですが、もし私がそれを思いついて言えていたら、何かが違っていた可能性もあるなぁと。
まぁ、そんなことを言えるような空気感でなかったのは母が原因ですし、そもそも私のことを母が「偉い・頑張ってる」と誉めたりしていなかった以上、私の中にその語彙や発想がなかったのも当然ですが。少なくとも家庭内で、そんな関係が成立するなどとは考えたこともなかったですし、母に向かってそんな種類の発言をするのは不敬だとまで思っていました。

でも、私は自分が毒親育ちだったと自覚するまで40年弱、ずーーーーっと、「母は偉い」と信じてきました。
世界で一番偉くて凄いのは私の母だと、一度も疑わなかった。
これは勿論、母によるそうした刷り込みの結果でもあると思いますが……でも、子供って割と母親の事を、そんな風に自然に思うものでもあるんじゃないかな、と息子を見ていると思います。

多分、母がそんなに必死に毎日主張し続けなくても、私を殴ったり怒鳴ったりしなくても、私は母を「えらい、すごい」と思っていたはずだよな、と。
昼寝し過ぎて寝坊した私が、「わー大変だ、ママ寝坊しちゃった!」と騒ぎながら夕飯の支度に息子を付き合わせた上に、「でも15分で夕ご飯出来たママ偉い?」なんて下らない事を聞いても、ぽよ息子が「うん、えらい!」と肯定してくれるように。
親と子供は、割と本能レベルでそういうものなんじゃないかなぁと。

ただ、母はそれを知らなかった。母の知る世界には、そういう概念はなかった。
だから、信じられなかった。そしてその母の「飢え」が毒となって私を傷つけた。
そういうことだったんだろうなぁ、と。

だから何、という結論までは出せませんが、なるほどなぁ、とちょっとしみじみするものがあります。
そして多分、どうでもいい事で「ママえらい?」と息子に聞けて、「えらくないぽよ!」とたまに言われてもヘラヘラ笑っていられる私は今、かなり自分を満たせているんじゃないかな、と。

まぁ、しょーもない会話に付き合わせて息子ごめん、という時もありますが、そこはその……ちょっとなら良いでしょ!明日はぽよクイズをちょっと余分に出していいから!ということで。
ゆるっと、そんな所で終わりにしておきます。


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