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父は、私を「ヒーロー」にした。という話。

かぜの帽子さんが、この記事でアダルトチルドレンについて取り上げられていた。

私はアダルトチルドレンの特徴を十分に備えていることには以前から気付いていたが、ではどのタイプか?と言われると、これだと言えるほど当てはまるタイプはないように思えていた。が、今回改めて見ることで分かった。
私はアダルトチルドレンの6タイプの内、4タイプもの特徴を持っている――というか、これらの役割を父と分担して、入れ替えながら過ごしていたのだ、と。

私には兄弟がいなかったので、子供時代の私の家族構成は、父・母・私の3人だ。
恐らくは父も母も、アダルトチルドレンの要素を持っていた。最も不安定で自己主張の強い母に合わせる形で、父と私はバランスを取ろうとしていたのだと思う。

母はヒーロー、あるいはケアテイカー(世話役)であろうとしていたが、恐らくはイネイブラーの要素が最も強かった。過剰なまでに家事を行い、家族の世話を焼き続けることで、自分が必要とされる状況を常に求めた。「そんなに必要ない」と私や父に言われると怒り狂い、「私や父が家の事を何もできない」状態を維持するために躍起になった。私や父が、母なしでは生きていけない状態を作り出そうとしていたのだろう。
だが、赤ん坊時代の私はともかく、幼稚園以降の私相手に「母なしでは生きていけない」を感じ続けることは難しいし、母と再婚するまで独身暮らしをしていた父が「母なしでは生きていけない」わけがない。まして父の職業は調理師で、つまり断然父の方が料理のスキルが高く、日ごろの食事も大半を職場の賄いで済ませてきてしまう。「自分が求められている」感覚を満足するほど得られなかった母は、強い不安とストレスを常に抱え、そのはけ口を必要としていた。

母は幼い私の無能さや配慮不足を、執拗に攻撃し続けた。あるいは何時間も愚痴を聞かせ、私の相槌が気に入らなければそれを理由にまた攻撃した。
母が必要としていたのは、ストレスのはけ口としてのスケープゴートであり、愚痴を聞いてくれるメンタル面でのケアテイカーだった。

だが私は、記憶にある初めからずっと、ロストワン(いない子)として振舞おうとした。
当時、ロストワンの役割には既に父が就いていた。父が物理的に不在か、いても空気として振舞っている家庭の中で、母は私が母と距離を取ったり、気配を消そうとしたりすることを許さなかった。常に他者との関わりを求める母には「自分以外が二人ともロストワン」の状況など、到底許容できなかった。

だが喜怒哀楽がはっきりせず、母への愛情表現もロクにせず、離人症っぽい症状のせいもあって常に無表情で黙っていた私は、スケープゴートとしてもケアテイカーとしても適性がなかった。
私が小1から小4まで行っていた万引きは、発覚すればスケープゴートに相応しい問題行動だったはずだが、臆病過ぎた私の「非行」に母は最後まで気付くことすら出来なかった。

無感情な人形のように従順に母に従う私を、母は「私の最高傑作」と呼んではいたが、実際には、母と積極的に関わろうとしない私に不安や不満を溜め込んでいたのだろう。気が利かず、可愛げがなく、母を馬鹿にしている――と、母の説教の内容は年々、具体的なミスへの叱責から、私の態度や性格に対する攻撃へと移り変わっていた。

そんな勢力図が変わったのは、私が小4の頃、父の浮気が発覚したタイミングだ。
この上なく分かりやすい問題の出現でスケープゴートの役割が父に移り、私はケアテイカーとして母の愚痴を聞くだけで済むようになった。やがて父が生活の中に常に存在してくれるようになったことで、母の愚痴を聞く役割も父に移った。私は自分にとって最も負担の少ない、ロストワンの立ち位置でいられる時間が増えてきた。

父は、母の愚痴をひたすら聞き、時に母の財布から小銭をちょろまかしては叱られ、時に天気が雨なことまで自分のせいにされつつも「そうだな、俺のせいだな。悪いね!」と言って飄々と笑っていた。ケアテイカー、スケープゴート、ピエロの3つの役割を使い分けながら果たしていたのだろう。

そして、自分の部屋に引っ込んで、いよいよロストワンらしい生活を送ろうとしていた私に、父は新たな役割を与えた。「ヒーロー」だ。

「ワタリは勉強ができるんだから」と、私の居る所でも居ない所でも、父は繰り返し母に言った。

母はそれまでずっと、この程度の成績など取るに足らない、調子に乗るな、私だって小学生の頃にはこの位は出来た――と主張し続けていたが、「いやぁワタリは頭がいい、俺とは違って」と言い続ける父の手前、徐々に私の成績に文句を言わなくなった。
私をスケープゴートにしておくためには、私は完全な無能でなくてはならなかった。だが、スケープゴートの役割を父が果たすようになった以上、私に何らかの能力があっても問題なくなったのだろう。周囲の大人たちの評価も相まって、母は渋々ながらも「ワタリの成績が良い」ことだけは認めるようになった。

そして「学校で良い成績を取る」ことは、当時の私にとって別に新しい努力を必要とすることではなかった。それまで叱責され続けてきた90点台のテストで、叱られないようになっただけだ。
中学生になり、定期テストではっきりと順位が見えるようになると、父はことさらに私を誉めた。母も「ワタリには勉強ぐらいしか出来ることがないんだから」という表現で、父の発言に追従した。

私は勉強を盾に、ようやく母から堂々と距離を取れるようになった。自分の部屋に引っ込むことさえ許されれば、机で漫画を読んでいようが小説を書いていようが、両親からは見えない。
そして、食事の時間以外はリビングや食卓から消えている私を、恐らく父は「ワタリは勉強があるんだから」などと言って援護射撃をしてくれていたのだろう。「家族と話もしないなんて」と母は時々小言を言ったが、大して長くもなくなった説教は大抵「お父さんが職場で『俺の娘はいつも一番なんだ!』って自慢してるらしいから、アンタもしっかり勉強しなさい」などの台詞で締められた。
私の成績は「いつも一番」という訳ではなかったし、今考えれば「父が職場で自慢していた」というのも本当だったかどうか疑問だ。ただ、父が「自慢していると母に言っていた」ことは恐らく事実で、それが母から見た私の立ち位置を、スケープゴートからヒーローに変えていた。

私は勉強が好きなわけではなかったが、典型的な早熟型で、いわゆる「十で神童、十五で才子、二十すぎれば只の人」タイプだった。私の学力的な「貯金」は中3になる頃には底が尽きかけていて、受験期に入って猛然と追い上げてくる同級生たちに、私は畏怖を感じていた。数年前には話も通じず、ひたすら騒ぐだけだった「馬鹿な」男子たちに、うっかりすると成績で抜かれそうになるというのは、ある意味で面映ゆくもあったが、現実問題としては相当なプレッシャーだった。
小学校低学年の頃に私を散々いじめて来ていた、あのサルどもにだけは負けられない――という意地で私は必死に成績を死守し、何とか地元の進学校に合格した。

一方で、私の合格を母は喜ばなかった。母自身が受験して落ちた高校よりも2ランクは偏差値の高い高校に合格した私は、母とは明確に「違う」能力があると示したからだろう。
母からすれば、私は母と同一か、母より劣る存在であるべきだった。母を上回る能力を持ってしまえば、スケープゴートとして一層不適格になるし、母が私を自分と同一視することが難しくなる。母が求めていたのはヒーローではなかったし、母は母自身がヒーローとして振舞おうとしていた。

だが、そんな母の態度を相殺するかのように、父は派手に私の合格を喜び、称賛した。「ワタリの学費のために」と母を鼓舞して、平日は母、休日は父が担当する形で、私が小5の頃から始めていた新聞配達の副業を、止めずに継続し続けた。
他の時間は専業主婦をしていた母はともかくとして、平日毎日働いていた父が、土日の深夜帯に副業もしていたのは、かなりの負担だったと思う。母は新聞配達の仕事をずっと母自身の苦労エピソードとしてしか語らず、私も長年それを「母の」苦労話だと理解してきたが――今振り返れば、愚痴一つ零さずにそれをやり続けた父の苦労こそ、並大抵のことではなかったはずだ。

そもそも新聞配達の仕事を始めたきっかけが、父の浮気事件に付随して発覚した父の借金返済のためだった、という点は「しょーもないなぁ」としか言えない。だが父はその借金返済が終わった後も、血の繋がらない子供だった私の、しかも自分では行ってもいない大学の学費のためにそれをやり遂げ、そして父自身は一度もその苦労を私に語らず、母のように恩を着せることもなかった。

「スケープゴート」だった私を「ヒーロー」にすることで守り、献身を続けてくれた父。
その想いを、努力を、私は「愛」と呼びたい。

アダルトチルドレンのタイプとしての「ヒーロー」は、もちろん十分に大きな生きづらさを抱える類型だし、そもそもアダルトチルドレンはどのタイプであれ苦難を伴うはずである。本来なら、子供が特に何の役割も課されない状態を「正常な」家庭と呼ぶはずで、父がしたことは恐らく、手放しで称賛できる種類の事ではない。

だが、不安定過ぎた母を含めて3人しかいなかった私達の家族は、私と父がどう頑張っても正常な機能を果たすことは出来なかった。私にとって負担の少ない役割を父が選んだ結果が「ヒーロー」であり、その役割は、私をスケープゴートやケアテイカーの役割から解放する盾にもなった。

「ヒーロー」は、父自身にとって必要だった面もあるだろう。
だが、母ですら私に提示しなかった「無償の愛」を、血の繋がらない父の立場から、母の反発が出ないように影から表現するには「ヒーロー役への献身」という形が限界だったのではないか、とも思う。

今の私が持つアダルトチルドレンの要素の中で、「ヒーロー」はそこまで強い特徴ではない。

成績や学歴は単なる結果論だし、高校以降の私は勝敗には大して興味がなく、優越感より劣等感を感じる時間の方が圧倒的に多かった。今も助けを求めるのが苦手であったり、完璧主義なところもあるが、例えばスケープゴートやロストワンの特徴の当てはまる度合いに比較すれば、私の中のヒーローの要素は段違いに弱い。
これはヒーローになった時期が遅く、私の自我がスケープゴートやロストワンとして固まりかけた後に追加された要素だから、だろう。ケアテイカーとしての要素もヒーロー同様に弱いが、こちらは求められていた時間も短く、更に小学校高学年以降は殆ど求められなかった役割だからだと思われる。父のお陰だ。

少なくとも当時の私にとって、父が与えてくれたヒーローの役割は、他の役割に押し潰されていた私を救った。そして母を毒だと気付けてから以降、私は少しずつ「ヒーロー」を手放せるようにもなってきたと思う。

私は、父のヒーローになれていただろうか。

4年前に亡くなった父に、今から問うことは出来ない。だが、私がヒーローの役割をこのまま手放し、全く自分に課さなくなったとしても、父はニコニコと笑いながら「やりたいようにやれ」と言ってくれるように思う。

私にとってのヒーローは。
本物のヒーローはきっと、父だった。


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