![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111073242/rectangle_large_type_2_ffd3e91d8d05b4363b1f3c6715384e08.png?width=800)
兄を許せた日|不良化はアダルトチルドレンのスケープゴートだった!?
最近、よく考えるのが集団における各々のポジションについて。
「人生をよりよいものにしたい」と本気で願うなら、被害者ポジションから脱する勇気が必要。
自分も被害者ポジションにい続けることがよくあったが、被害者ポジションでい続ける限り、現状打破は難しい。
疾病利得ではないが、被害者であることを手放せなくなった人間は、前に進むことを拒絶する。
僕が小学校高学年の頃に、父が亡くなった。
それから母と兄との三人での暮らしが始まる。当時、中学生だった兄はグレ始める。
怒りの持って行き場がなかったのだろう。
兄が暴れる度に、家の壁には兄が拳で作った穴が増えていった。
我が家の壁は破壊され、ボコボコになっていった。
僕には反抗期がない。
兄が先にグレてしまったので、「自分までグレてしまっては家庭がさらに壊れる」と考えたのだろう。
大好きな母親を、暴れる兄から守りたかったというのも大きい。
これも全体を考えてのポジション取りである。
アダルトチルドレンを勉強していて、興味深い気づきがあった。
アダルトチルドレンとは、機能不全家族において生み出されやすく、親がアルコール依存症などに陥っているケースも少なくない。
アダルトチルドレン6種の分類について、「心理オフィスK」さんのサイトから引用させていただこう。
(1)ヒーロー(英雄)
勉強やスポーツで良い成績や評価をもらうことを第一としています。しっかり者、頑張り屋さんというように見られることがありますが、そうした努力は自身のためではなく親の期待に応えるために、もしくは家族の雰囲気を悪くしないための防衛的で、後ろ向きな意味合いがあります。
こうした努力が実っている内は良いですが、それが何らかのきっかけで挫折したり、失敗したりしたときに、心がぽっきりと折れてしまい、破綻してしまいます。
(2)スケープゴート(生贄)
ヒーローとは全く反対に、問題行動を起こしたり、過剰に低い成績を取ったりして、家族の中で悪者や問題児の立場を引き受けます。家族の憎しみや怒りや不満、鬱憤を一人で引き受け、そのことにより家族のバランスを取ろうとしているのです。家族の中のゴミ箱的な役割とも言えます。
(3)ロストワン(いない子)
家族の中での存在を消し、いない子どもとして、生まれてこなかった子どもとして家族との関係を断ち、ひっそりと気配を感じさせずに生きていこうとします。
時には迷子になっても家族のだれからも気付かれることがなく、旅行にも連れて行ってもらえず、家の中にはいても、いつも一人で孤独にいます。
(4)ケアテイカー(世話役)
献身的に家族の世話をし、愚痴を聞き、支えることを過剰なまでに行います。それは自己犠牲的であり、自虐的でもあります。家事をしない親に代わって家事をしたり、養育をしない親に代わって弟妹の面倒をみたりします。そして自身のことは何でも後回しにしてしまいます。
そうした家族を維持する機能を一身に背負って家族が崩壊しないように、バランスが取れるに努力をします。
(5)ピエロ(道化師、クラウン)
家族の暗い雰囲気を回避するために、おどけたり、おちゃらけたり、冗談を言ったり、面白いことを言って笑わせたりして明るい雰囲気を作ろうとします。
ひょうきんで明るい性格に一見すると見えますが、過度に雰囲気を読み取り、人の表情を伺い、どうすれば険悪なムードにならないかと常にビクビクしていたりします。
(6)イネイブラー
イネイブラーはケアテイカーとやや似ています。ケアテイカーと同じように、自己犠牲的で、献身的に尽くします。
イネイブラーでは献身的に尽くしますが、その尽くし方が相手のためにならない尽くし方をします。例えば、アルコール依存症の人にために、アルコールをせっせと用意するなどです。相手の依存を助長するような尽くし方をするため、相手がさらにダメになっていきます。
僕は30代までケアテイカーとイネイブラー的な生き方をしてきた。
今は気を付けるようになったが、イネイブラー傾向が強く出ていたときは、「相手を依存させることで自分に繋ぎとめよう」というアプローチをよくしていた。
イネイブラー的なコミュニケーションは、共依存関係に陥るためだんだんと人間関係がしんどいものになり、バッドエンドを迎えることも珍しくない。
また集団の中に入った途端、気配を消しロストワンになることは、今でもある。
小学校低学年、中学年の頃は通知簿に「明るい性格」「いつも楽しそう」と書かれることがあったが、父が亡くなって以降、そういう記述はなくなった。
僕自身、その場その場で求められている役割を無意識に察知して、求められたポジションを取ることでバランサーになろという傾向が強い。
父の死後、ケアテイカー、イネイブラー、ロストワンのポジションを選ぶにようになった気がしている。
アダルトチルドレンとメサイア(救世主)コンプレックスは、相関している。
さて、思春期からグレまくった兄だが、振り返ると自らスケープゴートという立場を選んでいたように映る。
スケープゴートは、問題行動を起こすことで、家族の中で悪者や問題児の立場を獲得。家族の憎しみや怒りや不満、鬱憤を一人で引き受け、そのことにより家族のバランスを取ろうとするのだが、これは当時の僕の家での兄の役割そのものだったように思う。
「兄にはたくさん傷つけられた」と感じ、兄が加害者で自分は被害者のように位置付けていたこともあった。
しかし、あるとき荒れていた兄の視点に立って考えたときに、次のような気づきがあった。
「当時はいっぱいいっぱいで、外に当たることでしか精神のバランスを保てなかったのだろう」。
このことに気づけたときに、長年こわばっていたものがふっと緩み、兄を許せた。
憑き物が落ちたかのように、彼への恨みがすっと引いた。
今では兄と普通にLINEでやりとりをしているし贔屓にしている野球チームの勝敗など、他愛もない話題で盛り上がっている。
それにしても、加害者と被害者という解釈は難しい。
一見、攻撃しているような印象を与える加害側の立場を取る人間が、実は心の中で「誰かに助けてほしい」と叫んでいたりもする。
彼ら彼女らは、「常に強い人間でありたい」と強者の振る舞いを見せるものの、強いどころか、かなり脆弱であることも少なくない。
「弱さを見せてはいけない」「弱さを知られると自分が崩れるので、絶対に弱味を見せない」という考えが無意識の信念になっている人ほど、過剰に強さを演出する。
そのベクトルが外側に向くと、加害行為になることが多いのだ。
もちろん痛めつけられた側の傷は簡単に癒えることはないし、長期に渡って恨みや憎しみが残るという状態は、自分も嫌になるくらい経験しているので、深く深く共感できる。
荒れくるったり、攻撃せざるをえない人たちは、生きづらさを言語化できなかったり、問題を素直に開示できない、もどかしさを抱えているのだろう。
思春期に荒れた兄のことを思い出し、そんなことを思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?