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【毒親育ち】『誰かと一緒にいる幸福』を感じてはいけない、という掟の話。

noteで色んな方の記事を読ませて頂いている中で、時々「とても素敵な記事を読んで幸せな気分になったのに、次の瞬間に『恐ろしい』という感情に囚われる」ことがある。

特に「恋人や友人、特に配偶者との幸せな時間・記憶について書かれた記事」に対して発動する率が高い。
私自身が配偶者とちょっとアレな関係なので、それで自分が妬んでいるのか?と思っていたのだけれど、どうも違うようだ。

読みたくないわけでは決してない。むしろ読みたい。なのに、読み終わった途端に「こんなことを自分は絶対に書けない・書いてはいけない」と強く思い、同時に「こんなことを書いて、この人が無事でいられるわけがない」という恐怖が湧き上がってくる。
文章が素敵で幸福そうであればあるほど、感情移入できて幸福感を追体験出来れば出来るほど、この感覚もまた強く感じる。

だが、よく考えてみるとこの思考は明らかにおかしい。
何故、「幸せそうで、それを素敵に表現している」人が「無事でいられるわけがない」なんて思考が発生するのか。
「リア充爆発しろ」式の妬みが働いているなら、それはそれで分かる。しかし、どちらかというと私は「心配している」。それも純粋に善意で。
それは危険だ、そんなことをしてはいけない、それは隠しておかないといけない、だってそんな風に表現してしまったら、その幸せは壊れてしまう――と、そう心の底から思っている。

明らかに何かが歪んでいる。
私の場合、こういう時に意識を振り向けるべきは幼少期の母との記憶である。

よくよく思い返してみると、確かにあった。大きな事件ではないが、日常的に繰り返されていたコミュニケーションの中に、「家の外で楽しかった・嬉しかったなどの経験を話すと、何らかの理由で叱られ、次回以降その行動を禁止される」という流れがしばしば発生していた――ということを思い出した。
この手の漠然と繰り返される刷り込みは、あまりに日常すぎて、よくよく考えなければ思い出すことすらできず、「健全な親子関係では起こらないよな、こういうこと」という発想を持てないのが厄介な所である。

例えば小1の頃、クラスメイトと近所の駄菓子屋に行ったことを話したとき。
事前に母の了承も取っていたし、行き先も所持金も明確で、帰宅も特に遅くなかった。だが楽しかったと報告すると、「そういう遊び方は良くない」という漠然とした𠮟責から、「そもそもママはあの子を好きじゃない、ワタリを引きずり回すから」という理由で、それ以降その子と遊ぶことは禁じられた。
私は当時、別にその子に引きずり回されて困っていたわけではなかった。だが、その子の事を特別に好きだったわけでもなかった。なので叱られる危険を冒してまで再びその子と遊ぼうとは思わず、以後は疎遠にした。

こうしたことが、非常にたびたび起こっていた。
過干渉な母は、私に「行動を報告しない」ということは許さなかった。学校の事であれ放課後の遊びであれ、私は毎日、時系列に沿って詳細に報告を行い、その日の言動のダメ出しを受ける必要があった。
嫌なことがあったと言えば、そんな事態を避けられなかった私の不手際を叱られ、楽しかったと言えば、外出そのものを禁じられる危険がある。その一方で、例え「遊び」の内容が多少危険だったり、大人から見てマズそうな要素があろうとも、私が「楽しかった」という種類の表現をしない限り、強く禁止はされなかった。
やがて私の報告は最適化され、「○○ちゃんがどうしてもっていうから一緒に遊んだ、△△をしたけど楽しくはなかった、でも特にそれ以上嫌なことも起こらなかった」という形に落ち着いた。

母はそもそも、私が誰かと交流すること自体を嫌っているのではないか?という疑問は何度も抱いていたが、私が「誰とも遊ばない子」になることも、母は許さなかった。私が友達とまったく遊ばないのも、母が厳しすぎるが故に友達と遊べないのも、「良くない事」なのだ。「みんなと同じ」から大きく外れることは、母の概念上許されない事だった。

こうして考えてみると、当時の私は非常に複雑なルールに従っていたのだ、と実感する。

まず前提として、家の内外問わず「恵まれた環境にいる子供」として振舞う必要があった。不満を感じること、不満を述べること、特に母に対する不満を漏らすことは強く禁じられていた。
家の外で理不尽に遭遇した場合にも、大人らしく最適な対応を取る必要があり、ネガティブな感情を引きずってはならなかった。何が起ころうとも仕方がないと諦めるべきで、傷を負ってはならないし、泣き言を言うなどもっての外だった。

だが、家の外で楽しんでもいけない。学校で未知の経験をするなどして「面白がる」ことは許容されていたが、他人との交流で喜びを得たり、楽しい思いをしても、いけなかった。
これは恐らく、母の嫉妬によるものだっただろう。家の中で、母との関わりを最低限にしようと振舞う私が、母以外の人との交流を楽しむことは恐らく、母にとって耐えがたかったのだと思う。

従って、私は「隠す」必要があった。
家の中であれ外であれ、良くも悪くも感情が動いたことを母に話してはならないし、気付かれてもいけない。興味のある事をして面白がることは可能だが、他者との関わりで感情を大きく動かしてはいけない、と。

母との関わりで大げさに喜びや幸福を表現できていれば、また違ったアプローチがあったのかもしれないが、それが出来なかった私にとっては「常に冷静沈着で、無感情な」キャラクターを演じることが、最もリスクが少なかったのだろうと、そう思う。

年齢が上がるにつれて、私のポジティブな感情表現は許容される幅が広がった。恐らくは父の影響だろう。
思春期以降の母は、時折私に「楽しかった?」と問うことがあったが、私が肯定しても強い批判や禁止はしなかった。直接の記憶にないが、「ワタリが家の外で楽しむのは喜ぶべきことだ」と、私の居ない所で、父が母に示し続けていた可能性が高い。「まぁまぁ、楽しかったなら良いじゃないか」というような形で、母の思考を誘導する役目を父が果たしていたのだろうと思う。

さて、幼少期の私が外で、つまり母以外の他人との交流で体験した感情は、ポジティブでもネガティブでも、母には隠さねばならなかった、ということは思い出せた。

私自身が意識的に母に対して隠してきた部分は、まぁいい。
「ポジティブでもネガティブでも、他人に感情の体験を話しても、何も問題は起こらない」と、私の中のルールを置き換え、後は実行するだけである。
簡単に出来ることでもないだろうが、いずれは慣れることが出来るだろう。

問題は、本当に「母に対して」だけ隠してきたのか?という点である。

私は、ネガティブな感情ほど極端ではないが、ポジティブな感情も割と感じにくい。ずっと許容されてきた「自分一人での体験を楽しむ」ことに関しては人並みの敏感さがあるように思うが、「誰かと話せて嬉しい」「誰かと過ごせて楽しい」のような感情は、「じわりと感じる」ぐらいが精一杯で、それを上回る場合には必ず、ネガティブな感情をセットにしてしまう。
「楽しかった、けれど疲れた」「嬉しかった、でも次に会えるのは大分先だろうな」のような具合だ。

自分がネガティブな人間で、だからひねくれた感想を持ちやすいのだろうと長年思っていたが、もしかすると私は、自分自身に対しても「他者との交流で大きな喜びを得てはいけない、得た場合には隠すか、打ち消せるだけの負の感情も持たねばならない」というルールを適用しているのではないだろうか。
他人との交流で、大きな喜びや幸福を感じそうになるとブレーキをかけ、「ネガティブな何かが起こるはずだ」という予感や疲労などで相殺して、感情をフラットに引き戻そうとする仕組みが、無意識に働いているのではないか。

そうだとすると、私自身が幸福を追求するに当たって、これはかなりの問題である。
つまり私は、自分一人で体験できる幸福はそのまま感じられるが、誰かと一緒にいると、幸福を感じた分だけストレスを同時に感じる「仕様」をしているという話になる。
となると、夫がある日突然、乙女ゲーの攻略対象のような完全無欠のスパダリ系イケメンに変貌しようとも、息子が私に一切のストレスを与えないような完璧な天使になろうとも、私は一人になれない限り幸福を感じない。他者と関われば関わるほど、楽しいことが起これば起こるほど、ストレスを捏造して、トータルで評価した時に「取り立てて幸福でも不幸でもない」範囲に自分を収めようとする、ということになる。

これで「幸福に」なれるはずがない。
不幸にもならずに済むならともかく、メンタルを病んだ結果としての「不幸」は既に経験している。こうした呪縛をなんとか減らして、ストレスを無意味に増やさないような仕様変更を行わなければ、また私はどこかで再びメンタルを病み、「不幸」だけを味わう羽目に陥る。

私の内側にあるであろう、「幸福感」にかけられたリミッターを外して、純粋に「幸福」を味わうこと。
味わった分だけの「幸福」を相殺しようとする機構を抑え、無意味に発生するネガティブな感情の生産量を落とさせ、やがてゼロになるようにすること。
そうして感じた「幸福」を表現しても何も危険はない、という成功体験を積むこと。

こうした訓練が必要だろう。

元々私には、マイルドな「ポリアンナ症候群」的な要素があるようには感じていたが、「逆ポリアンナ症候群」とも呼べる要素があるので、関係ないのかと思ってきた。
しかし、違った。私は「ポリアンナ症候群」と「逆ポリアンナ症候群」を同時に運用し続けてきているような状態だったのだ。常にフラットであるために。
なんと面倒くさい。

自然に発生する感情を、素直に感じること。あらゆる手を加えず、「ありのまま」で味わうこと。それが出来るようになる日が来るのかどうかわからないが、ひとまず身近で拾える部分から、余計な思考を排して「味わう」訓練をしていこうと思う。

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